志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2017年06月

2羽の雛が育っている

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 ベランダわきの鳩の巣に、雛が2羽いるのを確認しました。親鳥が来て、餌を与えているところも見ました。ただし雛も親も、一切声は出さずに無音のままです。天敵に知られない安全のためでしょうか。知らぬ間に、雛は意外なほど大きくなっていました。このまま成鳥として飛び立つまでになるかどうか。楽しみが一つ増えました。
 30年もここに住んでいるのに、初めてこんなことになるとは思いませんでした。中野駅の北西側は、警察大学跡地の再開発で「四季の森公園」などもでき、かなり緑地が多くなりました。そんな環境も影響しているのかもしれません。埼玉の草加から引っ越して都内へ出るとき、奇跡のように巡り合った今の住所地でした。身の程知らずの借金を積み、夫婦が必死に働いて、3階建てのビルを建てるまでになりました。
 今では事実上、3世代8人がここで暮らしています。鳩にとっても、ここが安住の地になるように願っています。いま「10年間は安心なように」をスローガンにして、建物の補修をしています。私たちの代は心配ないようにしておいて、その後のことは二人の娘に任せます。
 長女から、本音らしい話をきいたことがありますが、「私が自分の家を建てるんなら、地下室は作らないで、ふつうの2階建てがいい。」と言っていました。それもいいのかも知れません。大雨が降るたびに、地下室は排水が心配になるのです。あえて制作の作業場を地下にしたのは、録音のときの防音が容易で、温度変化も少ないからでした。
 いま日本では、空き家率が13%以上にもなっていて、ますます増える傾向だそうです。あらゆる面で、リサイクルが大事な問題になってくるのではないでしょうか。このビルを建てるときは、まだ新しい木造の2階屋が建っていました。下見に来た工務店の人が、「こんなきれいな家を壊すわけないと思った」ということです。その決断で30年以上使えるビルが建ったのですが、まだ使える家を壊してしまった事実は消えません。思えば私たちも、高度成長の波に乗っていたのでした。
 目の前のことに追われて夢中でやっていたことでも、あとから長いスパンで見ると、時代の流れの中の一部分だったのですね。私たちのやってきたことを、孫たちはどんなふうに覚えていて、後へ伝えてくれるのでしょうか。
 

「有象無象・八人展」を見てきた

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 村雲司さんから案内をいただいた、「有象無象」展を見てきました。会期は2日の日曜日(午後4時まで・その他の日は6時まで)です。

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 村雲さんの今回のテーマは「個の解体」。解体させられ、孤立させられる現代だからこその、力強い反骨が宿っています。

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 「孤立する群衆」を描いた作品を背景に、こちらは友情で結ばれた人々。右は作者として初参加の滝清子さん。西口仲間の「めぐみさん」にも、たまたまお会いしました。

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 これは滝清子さんの作品群です。中央は自由を妨げられている自分を表現したもので、本来は自分が網の中に入るべきところだが、人形で代用したという説明でした。そこで「写真だけでも近くにいてみませんか」と声をかけたところ、素直に人形と並んで網に入ってしまいました。しかも大きな赤バッテンをつけた黒マスク姿です。網の中で、姉妹が肩を寄せ合って訴える姿になりました。こういうアートは、そのまま作者の表現の舞台なのですね。

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 これもまた印象的だった滝清子さんの「木霊たちの共謀」です。海で拾った流木を素材に使ったもので、木の霊たちが何事かを相談しています。疑ってかかれば、権力者には枯れ木が並んでいるだけでも危険な共謀に見えることでしょう。
 自由なアートの心が、時代のいやな空気を告発しています。しかしそこには、知恵比べなら絶対に負けないという、強い意思が潜んでいます。権力は法律をいじって都合のよい世の中にしようとするでしょうが、アートは、はるかにに高い次元で権力を嘲笑するのです。
 作者の思いが伝わるとき、梅雨空が晴れるような、さわやかさが感じられるのでした。

 


稲田はやっぱりだめだった

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 稲田防衛大臣は、都議選の応援で、「自衛隊としても、ぜひ当選をお願いしたい」と演説してしまったとのことだ。行政の中立性を逸脱した行為で、その中でも自衛隊の政治的中立性は厳格に規定されているところだ。「うっかり忘れた」で済む話ではない。およそこの人には、政治家としての自分の立場を、客観的に把握する能力がないらしい。そのときの自分の「直感」で発言してしまう癖があるようだ。南スーダンへの自衛隊派遣問題のときも、思いつき発言をしては批判されて、説明に四苦八苦していた。
 防衛大臣といえば自衛隊の直接の担当者なのだから、相手国のからむ緊急の難しい問題で、前後を忘れた「直感」で命令を出されたりしたら、取り返しのつかない事態にもなりかねない。本当にこの人で大丈夫なのだろうか。今回も、まずいと思って発言は撤回したものの、辞任は否定して「職務を全うしたい」と言っているそうだ。
 野党側は「完全にアウトだ」として辞任を求め、折から加計問題などで臨時国会の開催や閉会中審査を求めているところから、稲田問題を政権への反撃の新しい拠点にしようとしている。政治評論家の解説によれば、稲田防衛相は「安倍内閣の弱い環」ということになる。安倍内閣は、本体の安全のために、閣僚の更迭へと進むのだろうか。

(追記・「稲田は否だ」というフレーズを思い出して検索したら、今年の3月16日に、自分で「稲田は否だ〜確信的記憶喪失の心理」という記事を書いていました。こちらもどうぞ、ご参考までにご覧ください。)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55726505.html

安倍の世は(替え歌)

 なぜかわかりませんが、荘厳なメロディーとともに、こんな替え歌ができました。

安倍の世は
友に身内に
甘く厚く
見えすく嘘に
民の見放すまで


旗の波 無題

人工知能を政治改革に使ったらどうなるか

 昨夜のNHKスペシャル「人工知能・天使か悪魔か2017」を見た。将棋の羽生善治が登場して、さきに人間が完敗した「電王戦」を解説しながら、人工知能(AI)と人智との違いを考察していた。将棋での「実力」としては、何万もの対局譜を学んでいる人工知能に勝てる棋士は、すでに存在しないのだそうだ。逆に、AIと対戦することで、今まで思いつかなかったような新しい指し手を、教えられることもあるということだった。
 その他、タクシーの乗車効率では、ベテラン運転士の「カン」に頼るよりも、AIで確率を計算した客探しの方が良い結果が出ることが報告されていた。この場合は、周辺の人と車の密度と流れ方など、情報の質と量が決め手になるから、当然の結果のようにように思われた。
 さらに海外では、バスの運転士の中から事故を起こしやすい傾向を持つ者を選別する例や、アメリカでは犯罪者の前歴から将来を予測して、刑期や再犯防止策を決めるなどの例が報告されていた。個別の適切な対応ができるから公平だとも言えるが、その一方ではデータ分析で人間を評価し「決め付ける」危険をはらんでいる。「悪魔か天使か」というのは、その両面を指しているのだろう。
 人は大悪人でも、あるきっかけで大善人に変身することもある。その場合はどうするか。新しいデータのフィードバックを迅速にして、直ちに基本情報を更新すればいいのだろうか。そんなことができるのだろうか。
 それよりも、番組を見ているうちに、こんなことを考えた。政治的判断のある分野は、人が介入せずに人工知能に任せたらどうなるのだろう。人間がらみの情実などに左右されることなく、無駄のない合理的な結論が出せたりしないだろうか。その場合は、判断の基準になるデータの入力が大切になる。その部分は、優秀な官僚機構に任せておけばいいのだろうか。
 そこまで来ると、政治改革以前の「役人の自動運転に乗っかっている保守政権」を思い出してしまう。それを打破しようとして「戦う政治」を挑んだ長妻昭らの改革運動が、一度は民主党による政権交代を実現させたのだった。だか、その後から現在に至るまでの政治の状況は、以前よりもさらに悪くなっているように感じられる。国会は政治的選択を議論する場ではなくなって、「数で押し切って何でも決めてしまう手続き」の場となった。今の多数が将来のための正義である根拠は何もない。独裁者になりたいらしい特異な人格の欲求を満たすための場となってしまったように見える。
 今回は2020年という年月を限って憲法の「改正」を言い出した。国民投票という最後のハードルはあるとしても、今の劣化したマスコミが政府に迎合して動いたら楽観はしていられない。彼は本気でいる。自分の使命だと思い込んでいる。そこが危ない。
 これに対抗するために、人工知能を持ちだしたらどうだろう。憲法9条を保持している日本と、改憲後の日本と、どちらが平和でいられるかを判断させたらどう答えるか。私は答えは明らかだと思うのだが。

誓い〜私達のおばあに寄せて

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 昨日の「沖縄・慰霊の日」に、県立宮古高校3年生、上原愛音(ねね)さんが朗読した詩の全文です。原典の形が確認できませんでしたので、段落、改行などは、私の感覚で裁量させていただきました。

今日も朝が来た。
母の呼び声と、目玉焼きのいい香り。
いつも通りの 平和な朝が来た。

七十二年前
恐ろしいあの影が忍びよるその瞬間まで
おばあもこうして 朝を迎えたのだろうか。
おじいもこうして 食卓についたのだろうか。

爆音とともに
この大空が淀(よど)んだあの日。

おばあは
昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を
友と歩いた砂利道を
裸足(はだし)のまま走った。
三線の音色を乗せていた島風に
鉄の臭いが混じったあの日。
おじいはその風に
仲間の叫びを聞いた。

昨日まで温かかったはずの冷たい手を握り
生きたいと泣く 赤子の声を抑えつけたあの日。
そんなあの日の記憶が
熱い血潮の中に今も確かにある。
決して薄れさせてはいけない記憶が
私の中に
私達(たち)の中に
確かに刻まれている。


少女だったおばあの
瞳いっぱいにたまった涙を
まだ幼かったおじいの
両手いっぱいに握りしめたあの悔しさを
私達は確かに知っている。

広がりゆく豊穣(ほうじょう)の土に芽吹きが戻り
母なる海がまた エメラルドグリーンに輝いて
古くから愛された 唄や踊りが息を吹き返した今日。

でも
勇ましいパーランクーと 心臓の拍動の中に
脈々と流れ続ける 確かな事実。

今日も一日が過ぎゆく。
あの日と同じ刻(とき)が過ぎゆく
フェンスを飛びこえて
締め殺されゆく大海を泳いで
癒えることのない この島の痛み
忘れてはならない 民の祈り
今日響きわたる 神聖なサイレンの音に
「どうか穏やかな日々を」
先人達の願いが重なって聞こえる。


おばあ、大丈夫だよ。
今日、私達も祈っている。
尊い命のバトンを受けて
今 祈っている。
おじい、大丈夫だよ。
この島にはまた 笑顔が咲き誇っている。

私達は
貴方(あなた)達の想(おも)いを
指先にまで流れるあの日の記憶を
いつまでも 紡ぎ続けることができる。

誓おう。
私達はこの澄んだ空を
二度と黒く染めたりしない。
誓おう。
私達はこの美しい大地を
二度と切り裂きはしない。


ここに誓おう。
私は、私達は、
この国は この世界は
きっと愛(いと)しい人を守り抜くことができる。
この地から私達は
平和の使者になることができる。


六月二十三日。
銀の甘蔗(かんしょ)が清らかに揺れる今日。
おばあ達が見守る空の下
私達は誓う。
私達は今日を生かされている。

(注・「ウージ」はサトウキビのこと。「パーランクー」は民俗楽器の片手持ち太鼓。)
(追記・中谷久子さんのところに寄せられたユーチューブがあります。作者は「朗読」ではなく、直接に「語って」いました。ぜひお聞きください。)
http://hisakobaab.exblog.jp/237117465/
(追記その2・「ナツ」さんのところに、対照的なすごい写真がありました。2枚目を見てください。「目は口ほどに物を言う」のを実感します。「沖縄県民怒りの目」。よほどの厚顔無恥でなければ、この視線に耐えられないでしょう。)
http://blog.goo.ne.jp/soukaikei_119/e/bd939df08f6d73cab63de215f208c440

「慰霊の日」が72年目であるという事実

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 沖縄戦は、1945年(昭和20年)の3月末から6月にかけて行われた。日本軍による組織的な抵抗が終ったのが23日とされ、この日が「沖縄・慰霊の日」となった。この戦闘による死者は、アメリカ軍を含めて24万名以上になる。摩文仁の丘にある「平和祈念公園」の「平和の礎(いしじ)」には、国籍を問わずすべての犠牲者の名が刻まれているのだが、今年も54人が追加されたということだ。
 沖縄では住民の4人に1人が犠牲になり、その総数は軍人よりも多かった。軍は住民を守らなかった、洞窟から追い出した、集団自決を強要したとも言われる。日本兵のいなかった地域のほうが、住民の生存率はずっと高かった。戦争とは、そういうものだろう。
 いま84歳になっている私でも、当時は小学(国民学校)6年生の12歳だった。空襲下の東京にいたのだが、自分の才覚で戦場を生き延びるような力はなかったと思う。周囲の大人たちに言われるままに、右往左往するだけだったに違いない。その親たちにしても、焼夷弾の直撃に見舞われたら、運を天に任せるほかはなかったに違いないのだ。
 戦争は計画された破壊と殺戮だから、その害は自然災害の比ではない。庶民が逃げる算段をしたところで効果には限界がある。私が戦争体験者のような顔をして戦争への備えを説いたところで、おそらく何の役にも立ちはしないだろう。それよりもこれから大事なことは、抽象的でもいいから「戦争は絶対悪である」という事実を、多くの人が「思想として堅持して行く」ことだと思っている。
 戦争がいかに「反人間的」なものであるかを知ってほしいのだ。人が敵と味方に分かれて戦うとき、根本的な価値の逆転が起こる。敵機を撃墜し敵を殺すことが、味方にとっては何よりも嬉しい「戦果」になるのだ。大人も子供も手を叩いて喜び、「バンザイ」を叫ぶ。それはそうだ。焼夷弾を落してわが町を焼きにくる憎いB29が目の前で火を吹いて墜落するのだから。
 しかし、そんな「戦場の心理」に支配されている限りは、人間は幸せになることができない。自分にとっての「勝ち」は相手の「負け」であり、立場が変ればその逆になり、どこまで行っても安心できる「幸せ」にはならないからだ。私たちが「戦わなくてもいい」ことを知るには、「終戦」まで待たなければならなかった。
 でも、戦争を実感できない世代が多数を占めてくるのは良いことだと思う。体験者の繰り言など下らないと思ってくれても結構である。ただ、常識で考えたら、戦争がいかに外交の手段として無駄の多い愚劣な行為であるかはわかるだろう。そのことだけ知っていればよいのだ。

鳩の雛が生まれた

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 今月の7日に紹介した、2階ベランダのすぐ下で巣づくりをした山鳩のその後ですが、あれから2週間と1日、雛が生まれたということです。私は黄色っぽく小さい姿を一瞬見ただけなのですが、家人の言うところによれば、3羽いるとのこと。ただし親鳥がすぐ羽の下に入れてしまうので、なかなか見ることができません。
 巣に気がついて以降、オスの親鳥がやってくる気配はありません。どうやらシングル・マザーのようです。これから雛に餌を与えて育てなければならないと思うのですが、どうするつもりなのか、少し気がかりです。親鳥が巣から離れるところは、一度も見たことがないのです。いつ見ても静かに座っているだけで、それは今でも同じなのです。
 一時は妻がビスケットを砕いてベランダの縁に置くようなこともしたのですが、「介入しない方がいい」という長女の意見で、ただ見守ることにしています。それでもやはり気になるので、時々は様子を見に行くことになります。
 人間ならば親から話を聞くとか、子育ての方法は何かの形で知る機会がありそうですが、鳩には親から育てられた記憶はあるのでしょうか。それとも、本能の力だけで、雛を育てることは初体験でも出来てしまうのでしょうか。それよりも、理屈はどうでもいいから、何とかこの雛たちは無事に育ってほしいと思います。
 生きがいだった子育て、楽しかった孫育てを経験させてもらって、私たち夫婦はここまで来ました。そのお礼を兼ねて鳩にも何かしてあげたいのですが、先方には迷惑なのかもしれません。でも、よくぞこんなに近いところに巣を作ってくれたと、奇跡のように思います。ですから雛たちには、ぜひ無事に、ここから巣立ってほしいのです。
(写真は前回のものですが、今でも外見上はこれと全く同じです。)
 

古賀茂明の「日本中枢の狂謀」を読む(その2)

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 10日前に(その1)を書いたあとを続けてみる。安倍内閣が着々と進めてきた「日本改造計画」は、国会が閉じられた今、「粛々と実行」の段階に入って行くところだったが、ここへきて支持率の低下という想定外の抵抗を受けて見直しを迫られている。なんとか「問題ない」で押し通そうとした「加計学園問題」では、新しい文書が出てきて、逆に疑惑が深まってきた。野党は国会閉会中でも集中審議することを求め、さらには憲法の規定に従って臨時国会の開催要求まで視野に入れている。衆参いずれかの4分の1以上の議員の要求があれば、内閣は国会を召集しなければならないのだ。
 安倍自民党は衆参で多数を占め、何でも自由に決められるように思っていたが、民主主義のルールはいろいろなところに埋め込まれていて、多数の横暴に歯止めをかけられるようになっているらしい。安倍独裁と言えども万能ではないのだ。何よりも打撃になるのは、支持率の低下に違いない。今後さらに疑惑がふくらんだら、支持率は危険水域にまで下がる可能性がある。
 ところで、前回は「戦争しない平和な国」だった日本が変質して、「日本人だから殺される」時代になったことを紹介したのだが、第5章「日本沈没の戦犯たち」以降には、日本をだめにした自民党の大罪が列挙してある。その第一は「日本を借金大国にしたこと」であり、第二は「少子高齢化を放置したこと」であり、第三は「安全神話を作って福島原発事故を起こしたこと」が挙げられている。そして著者はこれらに加えて、第四の「日本を成長できない国にしたこと」と述べている。マンネリ化したバラマキ景気対策を続けて、結局は日本経済を、縮小の逆スパイラルに追い込んだというのだ。
 しかし古賀氏の論考は批判だけでは終らない。同時に日本再生の壮大な見通しを描いているところに価値がある。その説くところによれば、政治的立場を「旧守か、改革か」の二つに分けることができ、さらに「タカ派・軍事力依存か、ハト派・平和主義か」に分けることができる。これを左右と上下に配置すると、4つの象限に整理することができるのだ。旧守でタカ派の象限には、自民党がぴったりと納まる。共産党はハト派だが旧守に入る。民進党は旧守・改革もタカ・ハトも入り混じっていて分別ができていない。結局は「改革でハト派」に、ぴったり適合する政党が、今の日本には存在しないというのだ。だがそれは、「あるべき新党」の姿を指し示していることにもなる。古賀氏の表には、民進党「長妻」の名が、微妙な位置に書いてあった。
 今の民進党は、党をあげて「改革するハト派」になることはできないのだろうか。長妻昭が党首になったら、その可能性が出てくるのではないか。彼も政治家として働き盛りである。立ち上がるとしたら「今でしょう」と言ってあげたくなった。

診察で「治療効果は出ている」との判定

 警察病院で「結核菌と戦う」という方針が出てから、ほぼ1カ月が経過しました。本日の採血、レントゲン撮影以後の診察では、主治医から「肺の影は薄くなっている、血液の状態も改善している」という結果が示されて、このまま服薬を続け、3週間後に血液の検査だけして様子を見ることになりました。いつも丁寧な主治医先生、きょうはカゼにやられたとかで、声もほとんどささやくようにしか出ないお気の毒な状態でした。「先生もどうぞお大事に」と言って帰ってきました。大病院の医師だって、カゼは引くのですね。
 いま飲んでいる薬は3種類。抗感染症の抗生物質、結核菌を殺す薬、結核治療薬で、いずれもかなり強い薬のようです。副作用のところを見ると、倦怠感、食欲不振、尿の赤色化などが明示されています。倦怠感と食欲不振は根強くて、つらいものがあります。また、咳と痰は切れそうでいてなかなか完治せず、先日の函館への旅は、闘病との二人旅のような様相でした。そんな中でも旅行中は、思ったよりも食べられて栄養補給が出来ているように感じました。それはホテルで提供される食事のおかげだったと思います。 
 近ごろのホテルの食事は、夕食でもバイキング方式で、用意された各種の料理の中から、気に入ったものを自由に取ってくる方式が多くなっています。選ぶ楽しみがあり、また食べ物を無駄にもしないので気に入っています。とくに今回の2日目は快活な「えいこう」さんといっしょでしたから、相手につられておいしそうなもの自分も食べてみる、といった場面が多くなりました。たとえばズワイガニが目の前に出て来ると、せっかく北海道へ来てるんだから、カニも食べなくちゃと思うわけです。
 つまりホテル暮らしでは、いつも魅力的な食材が複数並んでいて、そこから選ぶ楽しみがあったわけです。そこが自分の家の食事とは違うところで、家ではおもに次女が用意してくれる「その日の献立」に従って食事することになります。次女は体育大学で学び、栄養学も知っていますから心強い担当者です。週のうち4日は担当してくれて、冷蔵庫に「明日の献立」の予定を貼り出したりしてくれます。
 それはそれでいいのですが、私たちも、いつも残り物、あり物だけで食事を済ますと決めなくてもいいのだと気がつきました。自分で何を食べたいと、積極的に考えるのは大切なことです。そしてそれはたぶん、食事を考えてくれる次女にとっても、良いことなのです。「何が食べたいか、言ってよ」と聞かれて、「何でもいいよ」と答えるのは、無責任な「丸投げ」だったかもしれません。
 あと何回あるかわからない食事の1回ごとを、もっと大事にしようと反省しています。私の育ちざかりは、出された食べ物に文句の言えない食糧難の時代でした。食べたいものを選べる平和な時代を楽しみながら、長寿のための食事を求めて行きたいと思います。

支持率急落でも40%超えだって

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(熊さん)安倍内閣の支持率が急落したんだってね。
(ご隠居)新聞にもテレビにも出てたな。森友とか、加計学園だとか、わけのわからん問題が片付かないうちに、共謀罪の強行採決だけさっさとやって国会を閉じてしまったんだから、誰も納得するわけがないよ。それでもまだ40%台の支持率が残ってるんだから、その方がむしろ驚きだな。「支持する理由」としては「他の内閣よりも良さそうだから」が断然トップになってる。気に入ってるわけじゃないが、「ほかに代わりがないからしょうがない」で支持してる人が多いってんだから、日本の国民が可哀想になるよ。
(熊)でもさ、こんところ人手不足が続いて求人倍率は高いし、物価も安定していて、そこそこに暮らして行ける時代にはなってるんじゃないですかね。間もなくオリンピックは来るし、景気は上向きの期待があるんじゃないですか。
(隠)そうなってくれればいいが、逆に不安材料も多いんだよ。福島の原発事故は、安定的に制圧出来ているなんて状態ではないらしい。子供の甲状腺がんデータの開示は不充分だし、肝心の廃炉作業は、廃棄物の仮置き場の選定さえ進んでいないんだ。汚染水を海へ流さない対策として「凍土壁」を作るなんてアイディアも、金をかけた割には効果が上がってないと言われてる。メルトダウンした核燃料は、今どこにあるのか、所在さえわからないままなんだよ。確かなことは、完全に始末をつけるまでには、気の遠くなるような長い時間がかかるってことだけなんだ。
(熊)それなのにまだ原発にこだわって、再稼働を進めようってんだから気が知れませんね。
(隠)日本がこうやって堂々めぐりしてる間に、フランスでは新しい大統領が出てきて政治の流れが変ったね。マクロン大統領の新党「共和国前進」ってのが、下院・国民会議の選挙で過半数を大きく超える安定多数を獲得するのが確実になったそうだ。選挙制度も違うし、政治風土というか国民の政治へのかかわり方もずっと積極的だから劇的な変化も起こるんだろうが、うらやましい気がするな。
(熊)どうして日本じゃ新しい政治家が出てきて雰囲気を変える、なんてことが少ないんだろう。
(隠)それは「議院内閣制」というのを採用してるからだよ。議会の選挙で多数を占めた政党の党首が内閣総理大臣になって政権を作ることになっている。その議会が、今のところ自民党の絶対多数で決まっているから、動きが取れないでいるわけさ。だから支持率急落は、自民党に向けなくちゃいけないんだよ。次の選挙で自民党を勝たせてはいけないということだ。今度の都議選は、次の総選挙の前哨戦みたいなものだな。自民党の議席を、できる限り減らさなくちゃいけない。

劇団まほろばの「椿姫」を見た

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 昨日は、三鷹駅北口の武蔵野芸能劇場で、劇団まほろばの第23回公演「椿姫」を見てきました。老人党の縁で知己を得た矢田稔さんの演出ということで見ることができました。「椿姫」と言えばオペラが有名ですが、原作はアレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)が、1848年に実際の体験を基にして書いた長編小説だということです。さらにデュマ自身が戯曲にもしていました。これを翻訳して舞台劇にしたのは内田東良氏で、劇団まほろばが4年半前に初演し、今回台本も改めて公演に至ったものです。
 原作が長編小説だけあって、舞台でも2時間を超える堂々たる大作でした。19世紀後半のパリを舞台とし、恋愛ゲームに明け暮れる上流社交界に翻弄されながら、純愛に目覚め、それを貫こうとした男と女の悲劇の物語です。人間を描いているドラマとしての「椿姫」を見られたのは収穫でした。
 主人公であるマルグリットは、実在の人物でした。貧しい家に生まれ親にも捨てられながら、天性の美貌を認められて有力者のパトロンを得て、社交界のスターとなるのですが、それは所詮は「高級娼婦」と呼ばれる裏社会でのことでした。そんな彼女と出会い、その人間性を心から愛したのがデュマ(役名ではアルマン)でした。虚栄の日常から病(肺結核)に冒されたマルグリットの身を案じて、田舎での健康な療養生活を勧めます。一度は同意して二人だけの生活を始めたのですが、長くは続きませんでした。
 アルマン(つまりデュマ)の父親は、息子とマルグリットの純愛を知りながらも、前歴に問題のある女を、家族として迎えることは出来ない事情を説明し、身を引くようにと密かに懇願するのでした。承知したマルグリットは、故意に「田舎の暮らしには耐えられない、もうお終い」と言い放ってパリへ帰って行きます。裏事情を知らないアルマンは、マルグリットに裏切られたと思い込んで怒り、絶望します。恋人の幸せのために、心にもないことを言って別れて行く女の悲しみが、この劇のハイライトです。
 このままで終ってしまったら、これは悲劇そのものです。実際のマルグリットとデュマがどうであったのかは知りませんが(原作の長編小説を読めばわかるかもしれませんが)、マルグリットは23歳の若さで死んだと伝えられています。劇では死の床についているマルグリットのところへ、最後の最後にアルマンが駆けつける構成になっていました。すべての誤解は超越されて、愛し合った一組の女と男が手を取り合ったのです。それは悲劇でありながらも、深い意味でのハッピーエンドでした。演出は、よくそれを表現していました。
 絵そらごとでない、原作者の体験が織り込まれているところに、この劇の迫力があるように感じられました。役者はいずれも実力者揃いで、気持ちよく劇そのものに浸っていることができました。帰りがけに矢田さんにもお会いしたのですが、その人らしい、まっすぐな演出だったと思います。こういう、人生そのものを考えさせてくれるようなテーマでは、「演出を感じさせない演出」こそが似合うのです。

国会は閉じられたが政治は止まらない

 疑問だらけの「共謀取り締まり法」は、幕切れの奇手によって参議院を通過成立し、国会は閉じられた。世間を騒がせた「もり・かけ」疑惑も、当面は国会での審議をしないという。すべては政権の思い通りに運んで、一強の安泰は守られたかのように見える。東京では間もなく都議選が始まるので、政治的エネルギーはそちらに向かうことになるのだろう。
 小池知事の「都民ファースト」は、この都議選を複雑にした。もとは自民党に属していた小池氏は、改革の力で「保守党の活性化」を目指しているように見える。この動きに、民進党候補者の少なからぬ部分が合流したと伝えられている。この構図は、かつての民主党による政権交代に似ていると指摘する意見があって、面白いと思った。東京を舞台として、「第二保守党」の登場による政権交代が起こるということだ。
 その裏側には、今の民進党に任せていては政権交代は起こりそうもないという事情がある。格差の少ない社会を目指すというのだが、それだけでは政権交代の大義名分には足りないように感じられる。それよりも、いま緊急に必要なのは、日本をあらぬ方角へ持って行きそうな安倍政権を立ち止まらせることなのだ。そのためなら、手っ取り早く保守新党を立ち上げた方が役に立つということになる。
 小池氏が憲法に対してどんな考えを持っているのかはわからないが、少なくとも今は性急な再武装論を主張してはいない。「都民ファースト」を拡大して「国民ファースト」で考えてくれるなら、国政まで行ってもらっても、安倍独裁よりは良いように思われる。
 ここ当面は国政選挙がないのだから、この都議選には注目すべきだと思う。ちなみに、私は西沢けいたを応援している。長妻昭議員の秘書だった人で、信用できると思っている。彼は「都民ファースト」には行かない。

澄んだ空気と竪穴式住居と国宝土偶そしてみどりの風

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 今回の函館への旅は、自分にとって何であったのか。写真を並べて考えてみることにします。まず、非常にさわやかな、澄んだ空気を感じた旅でした。北海道には梅雨がないと言われます。6月は新緑が鮮やかで、空は、東京なら「秋晴れ」と呼びたいような深い青なのです。
 函館山にケーブルカーで登ったときは、夕日が目いっぱいに街を照らしていました。右は太平洋で左は函館湾、夜景で有名なこの場所ですが、昼景では海と海の間が、びっしりと建造物で埋まっているのがわかりました。パラグライダーなら、どこでも好きなところへ降りて行けそうです。平地を埋め尽くすほどに繁栄している現代の人類。この風景は、永遠のものなのでしょうか。おそらく違うでしょう。
 人の住処としてなら、竪穴式住居の方が、ずっと安定しているように見えます。こんな家があって、付近の森や海に採取できる食料があるのなら、代々安心して住みつづけることが出来たでしょう。遺跡は多重に埋まっていて、何百年もの間、継続して人が住んでいたことがわかるということです。そしてそこに暮らした人たちは、国宝にもなるような土偶を作ってくれたのでした。冬は寒い北海道にも、縄文人は住んでいたのです。私たちの直接の祖先ではなかったかもしれませんが、この人たちが今の私たちと全くの無縁ということは、あり得ないでしょう。
 今の私が、自分の手では米一粒でも作ったことがないのに生きているのは、とても不自然に感じられます。カメラを持って撮影に行ったり、紙の上に台本を書いたりして収入を得ていたのは、いったい何だったのでしょう。創造的で高級な仕事をしている気になっていたのは、下司の驕りだったのかもしれません。
 4枚目の写真は、「かわぐちえいこう」さんと合流してから、函館公園で撮っていただいたものです。疲れない程度の軽い歩きの途中でした。しばらくベンチに腰を下ろして、吹き抜ける風を感じていました。このときの幸福感を、よく覚えています。ですからお願いして写真に残したいと思ったのです。同じ時間は、もう二度とありません。
 いろいろな人から、もっと気楽にしなさいと言われました。でも、本人が「これで終り」を自覚しているのです。しかしそれは、前途を諦めたことを意味しません。人生は最後まで、「いろいろあって面白い」のです。
  

函館から帰ってきました

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 函館への2泊3日の旅を無事に終って、帰ってきました。国会の状況は、テレビで見ていました。安倍の退陣を見届けるまでは死ねないと、頼もしい北の同志、「かわぐちえいこう」さんと語ってきました。「えいこう」さんと奥様のお店、椴法華(とどほっけ)海岸の「サーフサイド」で、初日と本日の2回、おいしい昼食をいただきました。
 「6月の北海道は、いいですよ」と言われていた通りに、すばらしい爽やかな晴天もあり、本降りの雨も霧もあった3日間でした。食べるものはおいしいし、食欲も回復して元気に過ごすことができました。行きたいところへ行き、会いたい人に会ってきた、満願の旅になりました。
 かかわりを持って下さった、すべての人と場所と物事に、感謝あるのみです。北海道から出土した唯一の国宝「中空土偶」にも再会してきました。「縄文の精神」を伝える立派な文化交流センターが新しく出来ていました。「えいこう」さんのマネをして、私からも「ジョウモン、アリガトウゴザイマシタ」

北の大地でラストラン

 明日の早朝から、2泊3日の予定で函館・道南へ行ってきます。トドホッケの「かわぐちえいこう」さんに会い、1泊は同宿の予定にしています。飛行機に乗るのも、空港でレンタカーを借りて走り回るのも、これを最後にするつもりでいます。
 体調は万全ではありませんが、当面の行動にあまり不安を感じない程度にはなりました。「できそうなことは、できるうちにやっておく」主義を適用して、行ってみることにしました。予約関係の確認も済ませて、あとは当日を待つだけです。
 健康状態はもちろんですが、車の運転も安全第一で行きます。予約した車は日産のマーチで、2010年に行ったときと同じです。あれから5年ぐらいはたったかなと思っていましたが、もう7年も前のことだったのに、ちょっと驚きました。自分も年を取るわけです。
 免許は、あと2年有効の「第2種免許」です。取得が1949年ですから、今年で68年になります。免許の終了までだと、ちょうど70年。もう更新するつもりはありません。都内では、車を運転する必要は、ほとんどなくなりました。
 運転を始めたころ、このハンドルを握ったままで、道路がつながっている限り、日本中のどこへでも自由に行けるんだという、爽快な解放感がありました。乗った車も、教習所の「木炭車」から始まって、ダブルクラッチを踏むギアチェンジを習得し、エンジンの回転と車の速度が合っていれば、クラッチを踏まずにギアを変えられる高等技術も身につけました。妻と娘二人を乗せた軽自動車で、大阪万博を見に行ったあたりが「車のある暮らし」のハイライトだったでしょうか。
 今の高速道路では、運転が流れに乗るだけの単純作業になっているのを実感します。やがては自動運転が普及して、車は「個別移動手段」の一つに過ぎなくなるのかもしれません。一台の車を動かすことで、世界を手に入れたような高揚感のあった時代は、もう過去のものです。
 そんな感慨を嚙みしめながら、明日からは安全運転に徹して走ってきます。70年の運転歴を総括する、模範的な「ラストラン」を楽しみながら。

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昭和27年(1952年)の撮影だと思います。高校3年生でした。免許は高校1年の16歳で取りました。「小型四輪車」という区分があったのです。車は私にとっては2台目で、戦後すぐのダットサンで1951年製。15馬力の弱いエンジンで、箱根の山を登るのが大変でした。

 

古賀茂明の「日本中枢の狂謀」を読む(その1)

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 古賀茂明の新著「日本中枢の狂謀」(講談社・単行本1700円)を読んだ。400ページを超える重量感ある本で、著者も言うように、もっと軽装で早く出してほしかったと思う重大テーマを複数含んでいる。帯文には「総理官邸、記者クラブ、原発マフィア……悪魔の三重奏が作る地獄!」と書いてある。内容は
第1章 総理大臣の陰謀
第2章 「報道ステーション」の闇
第3章 新聞テレビから漂う腐臭
第4章 日本人だから殺される時代
第5章 日本沈没の戦犯たち
第6章 甦った原発マフィア
終章 東京都知事選挙と民進党の全内幕
 から成っている。一度通読しただけで紹介し切れる内容ではないが、いまの日本が安倍官邸の意図に沿って、引き返し不能な変容を遂げようとしている事実を、危機感をもって訴えている。ちなみに、「日本中枢の狂謀」という「狂謀」の語は、広辞苑の第4版には採録されていない。しかし言われてみれば「狂った謀りごと」だから意味はよくわかる。官邸から出てくる「狂った謀略」なのだ。
 その原点となるイスラム国(IS)による邦人人質事件は2015年に起きた。捕えられた後藤健二さんの映像が世界に流れる中で、中東歴訪中の安倍総理は「テロと戦う周辺国への援助」を公表したのだ。先進国の外交なら硬軟さまざまの手法を駆使して自国民の命を救おうとするだろうに、安倍官邸は敵対的と取られるであろう「毅然たる態度」を押し通すだけだった。
 このとき古賀茂明氏は出演していた「報道ステーション」で、日本が平和国家であってイスラムを敵視していないことを示すために、「I am not ABE」と書いたカードを掲げて見せた。これは官邸への真っ向からの批判だったから、古賀氏および報道ステーションには強い圧力がかかって、追放処分に近い処遇を受けることになった。一方、強硬な態度を押し通した安倍首相は、テロに屈しなかったとしてアメリカ以下の同盟国から評価されて満足していた。そのかげで、救えたかもしれない後藤健二氏の命は見捨てられたのだった。
 人質事件は、「日本人だから殺されない」平和ブランドが、「日本人だから殺される」日米同盟ブランドに変わってしまったことを意味している。平和憲法を持ち、戦争で一人も人を殺さずにきたことによって、日本人は世界のどこへ行っても信頼され、安心して働くことができた。その信頼が揺らぎ始めているのだ。この変化は自然に生じたのではない。官邸の明確な「狂謀」から生まれている。

今年は行けた「杉の子会」

 「杉の子会」というのは、東京・北区立滝野川小学校(当時の正式名は国民学校)を昭和21年(1946年)3月に卒業した同期生の同窓会です。敗戦直後の卒業ですから、空襲下の東京にいた者も、集団疎開や縁故疎開で地方に行っていた者も、あまりちゃんとした勉強をしていなかった時代の子供たちでした。また、敗戦で世の中がひっくり返り、教科書の都合の悪い部分は破り取ったり墨を塗ったりして、「時代が変った」実感がありました。進駐して来たアメリカ兵のジープに「ハロー」と声をかけて、チューインガムやドロップスを貰った世代でもありました。
 この会に、昨年の私は行けませんでした。カゼが長引いていると思ったら高熱を発し、調べてもらったら尿路感染症とかで、点滴を受ける騒ぎになってしまったのでした。小学校の同期生ですから、みんな年齢は同じです。誰だって、いつ何があってもおかしくないのです。
 しかし、雑談をしていると、自然に耳に入ってくる当時の思い出があります。ろくに勉強していなかった私たちの学力が、高かったわけがありません。分数の計算が、全然わからなくて困ったという話が出ました。分数という概念自体が、私にもほとんどわかっていなかったと思います。戦時下の教室では、国語の読み書きに、ほとんどの時間が使われていたような気がします。寺子屋のような「先祖返り」が起きていたのです。
 国民学校を卒業したとき、通信簿を見たら、「理科」「図工」など、一度も習った覚えのない科目にまで適当に成績がついていたので驚きました。学校としても、建前としての科目と、重点的に教えたこととの差は承知の上だったのでしょう。基礎教育で大事なのは、何よりも日本語を読み書きする力をつけてやることです。それくらいの認識は、先生たちも共有していたに違いありません。
 当時、私たちが勉強した時間というのは、決して長くなかったと思います。小学生だって、防空壕掘りなんかをやらされていたし、警報が鳴ればすぐに下校して待避でした。それでも、学校での勉強は楽しかったのです。
 

国会一周散歩について

月に一度、日を決めて国会の周回歩道を歩いてみるという行動は、2012の4月から始めたようですから、5年前のことになります。最初は「第一水曜日」にした記憶がありますが、当初から「これは集会やイベントの告知ではありません。自分の予定を書いているだけです。」とブログには書いてきました。国会周辺を、誰でも思いついたときに行って、政治的意思表示できる場所にしたいというのが本意でした。
 それから曲折しながらも続けてきましたが、幸いにして、自分が一人きりで歩く結果になったことはなく、最低でも、その時だけ参加の人が来て下さるという、奇跡のようなこともありました。短い時間でも、共通の気持を通わせて下さった方々に、心から御礼を申し上げます。
 最近は、「毎月9日の正午に、地下鉄丸ノ内線国会議事堂前駅の改札出口前からスタート」としていました。曜日でなく9日にしたのは、「平日だと行かれない」という人がいることに気づいたからでした。ただし私の体調が思わしくないのと、一周の後で食事をする楽しみが薄れて、一人前の食事を完食するのが重荷に感じられるようになってきたことから、積極的になれずにいました。
 そして基礎体力の低下を実感する最近となりました。まためぐってくる9日を前にして、何としても行かなければという気力は起こせずにいます。行動する人間としての自分には、限界が来ていることを感じます。しかし負け惜しみのようですが、私には少年期から、「体力勝負では勝てないから、頭を使う分野へ行く」という自意識がありました。だから国民学校の教室で、男の子がみんな「兵隊さんになる」に手を上げたとき、一人だけ「科学者になる」と言ったのでした。
 いま、明日の国会前へは行けないと思いながら、それでも自分のブログを使って主張したいと思っています。机の前から動かなくても、いま必要と思う本を読んで、その内容に共感し、広く知られるように紹介し、同じ思いを抱く仲間を勇気づけることは出来ると思うのです。
 でも、性別年齢を問わず、今の政治をおかしいと思う人は、都合がつけばいつでも、国会前へ行ってみてほしいと思います。議事堂を周回する歩道では、政治的デモ行為は規制されますが、着衣や持ち物で意思表示をすることはできます。出会った人と話し合うことも出来るし、修学旅行の生徒に呼びかけることもできます。その場で出来ることをすればいいのです。
 月に一度、9日の正午というのは、一つのシンボルでした。そのご縁をつないで、どなたでも、国会前へおいでになりませんか。

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写真は今年正月の撮影です。
(追記)
 「みどり」さんのブログ「日々の暮らしを記憶に刻む」を見ましたら、明日は国会前へ行く予定と書いてありました。たぶん今までと同じ時間で行動されると思います。受け継いで下さる方がおられるのは、本当に心強いことです。ご自身も体に不安要素をお持ちなのに、ありがたいことです。願わくは、みどりさんの「一人歩き」にならず、お仲間が現れますように。

新しい入居者は鳩だった

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 当ビルに、久しぶりに新しい入居者が来ました。2階のベランダのすぐ下、下の写真の左側の金木犀の茂みの中に、昨日からずっと動かずにいるのです。昨日午後の雷雨の中でも、動じることなく座ったままでいました。卵を抱いているのかもしれません。ビルを建てて40年になりますが、鳥の巣ができたのは初めてのことです。家人の言によると、夜にはこのままの姿勢で、首を下げ目をつぶっていたそうです。
 連れ合いさんがいるのか、この子がメスなのかオスなのかもわかりません。座り込む前には、すぐ近くの電線に止まっていたという孫の報告もありますが、くわしいことはわかりません。気がついてみたら、ここにずっといるのです。ペアを組んで交代する様子はありません。見たところ丸々と太っているので、当分は持続力があるのでしょうか。
 昔の日本家屋には、よく軒下に雀の巣が出来たものですが、私の実家でも鳩の巣は見ませんでした。中野に住んで40年、このビルが出来て32年、初めての鳩の店子さんです。その巣から雛が育つとしたら、「ハト派」としては縁起の良いことです。関東も梅雨入りしたとのことですが、あまり雨が激しければ傘をさしかけるとか、それとなく気をつけてあげようと思っています。
 
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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