「山の日」の関連で、新聞にも山の話題がいくつか出ていたので、自分の少年期の山歩きを思い出した。父は箱根の仙石原村温泉荘、大涌谷の麓、湖尻の港を見下ろす丘の上に山荘を持っていた。おもに精神障害のある長兄のために、お手伝いさんつきで維持していたのだが、私はそれに便乗して、春夏の休暇などには、自由な長い時間を過ごした。
 当時「参謀本部の地図」と呼ばれていた5万分の1の地図を頼りにして見当をつけ、原則として全行程を徒歩で、あちこち歩いてみた。近所には知人も友人もなく、常に一人で行った。靴は次兄が復員で持ち帰った軍隊靴が気に入って愛用していた。皮革の表裏を逆に使い、内側が滑らかな合理的な造りだった。ザックを背負うことはなく、たいていは手ぶらで、遠距離の予定のときだけ、にぎり飯とガラス瓶の水を入れた小袋を手に持つ程度だった。(ペットボトルは、まだない)
 遠出では、湖尻から深良峠に上がり、外輪山を縦走して長尾峠を経て金時山の山頂まで行き、仙石原に下山して、そこから帰りだけバスに乗ったことがある。大涌谷から神山の山頂まで登り、そこから駒ケ岳山頂へ縦走して、元箱根から船で帰ったこともあった。どちらも、ほぼ丸一日かかる行程だった。
 そんな山歩きで我流で身につけた歩き方だったが、後年、NHKで山岳ロケに行ったとき、山のプロから「足の運び方がプロ並みですね」と言われたことがある。ただし基礎体力がないから、荷物を背負ったりしたら、まるでだめだと思う。しかし手ぶらの軽装でなら、山道の案内板にある所要時間の6割程度で歩ける自信は持っていた。
 だが、今にして思うと、独行での山歩きは、ものを考える時間でもあったのだ。中でもいちばん強かったのは「人恋しさ」だった。いま隣に、理想の恋人がいてくれたらと、何度思ったかわからない。あの長い孤独な山歩きは、結ばれるべき人と出会うための旅だったのか、本当にいま突然に思いついた。
 そう思ったら、急に世界が違って見えてくる。そこへ妻がお茶を運んできた。これは偶然なのだろうか。
 もう充分に、長い道を歩いたようなような気がする。孫たちもそろそろ学生時代を終ろうとしている。あの子たちは、一人で山道を歩きながら、ものを考えるような時間を持つことが出来たのだろうか。気にはなるけれど、もう本人に任せるしかないだろう。