志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2017年10月

オスミばぁーばの紙芝居語りを聞いてきた

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 昨夜は寄席「お江戸日本橋亭」で、オスミばぁーばの紙芝居話芸を聞いてきた。オスミばぁーばは本名を山本すみ子という。滝野川小学校の同窓生の中で、ほとんど唯一の芸能人となった人だ。元・滝野川区の霜降り橋に近い食堂の一人娘で、昔からひときわ目立つ才媛だった。日大芸術学部に進んだと聞いたが、その後どのような活動をしていたのかは、昨夜の打ち上げ宴会の中でも、まとまった話としては聞けなかった。「オスミばぁーば」という今の芸名も、まさか長く使っていたわけではあるまい。老境になってからの、半ばボランティアの活動での名前だろうと思うのだが。
 昨夜の出し物は、寄席の舞台に書き割りの自転車を持ち出し、その上に紙芝居を載せて演じて見せるという趣向だった。話も面白かった。閻魔大王から「極楽でも地獄でも、好きな方を見せてやる」と言われた道楽者は、「極楽はあとで行けるから、地獄を見ておきたい」と言うのだ。ところが地獄で怖いものを見せても少しも驚かない。これでもかと見せるたびに茶化して面白くしては閻魔を困らせるという珍談だった。
 年のせいで杖がないと歩けないと言っていたのに、舞台への出入りは杖なしで堂々と歩いていた。芸人としての根性も一人前と見てとれた。それはそうとして、夕食を兼ねたミニ同窓会が、彼女の芸人仲間の打ち上げ会と融合してしまったのが印象的だった。帰路の遠い同窓生が帰ったあとも残った私は、テレビ局時代の雰囲気を思い出していた。いろいろなタレントさんが、当時は私の身近にいて、一仕事のあとの懇親の席にもつきあうことがあった。時間を気にする者など誰もいなかった。酒の飲めない私も、そんな雰囲気は嫌いではなかった。タレントも仕事から解放されれば、ただの人になる。ロケ先で、デビュー間もない布施明と同宿で風呂に入ったこともあった。
 とにかく昨晩は、夜の11時を過ぎても、遅い時間になったという気がしなかった。久しぶりに「業界人」になったように、私は意気揚々と帰宅した。
 

間庭小枝さんの「椰子の実コンサート」を聞いてきた

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 きのうは例年秋に行われる間庭小枝さんの「椰子の実コンサート」を聞いてきました。今年で第18回になるとのことです。間庭さんは歌の実力者として活躍する一方で、カルチャースタジオ・メヌエット(CSmenuet)を主宰し、所沢にある音楽教室を拠点として音楽教育を進めています。それと同時にインターネットを駆使して、驚くべき曲数の歌を、映像つきでユーチューブにアップし、精力的に更新を続けているのです。そのこと自体を、一つの文化的な事業として評価していいと私は思っています。
 そんな間庭メヌエットさんとのおつきあいは、いつから始まったのかと過去記事を調べたら、2014年の9月あたりからのようです。私が作詞した「この世にただひとり」(ジプシーの歌)で、作詞者としての志村建世の名がインターネットに出ているのに気付いたのが、きっかけだったと思います。この偶然がなければ、私の作詞の仕事は、一時期だけの過去の経験として終っていたかもしれません。
 そこから、過去の作詞の発掘と、新しい作詞の依頼という形で、私の中に「作詞」という仕事の分野が確立しました。昨夜のコンサートでも感じたのですが、音楽と歌声の中で「言葉での表現」を考えるというのは、私にとっては非常に心地よい時間なのです。私は本質的に「うた」が好きだということを、改めて自覚しました。
 間もなく私が人生を終るとき、「結局、自分は何をした人間として記憶されたいのか」を自問したときに、それはハンガリア民謡(つまりサラサーテのバイオリンが奏でている)としてのメロデイーに乗せた
1.この世に ただひとり きみこそ わがひかり
  つきせぬ あこがれを 永久(とわ)にと いのる
2.きみこそ 世のたから 花より うつくしく
  やさしい ほほえみを 永久(とわ)にと いのる
という「この世にただひとり」の歌声であればいいと思ったのです。
 とにかく間庭メヌエットさんには、私の作詞を世に出していただいた恩義があります。今もインターネットで「志村建世の作詞・訳詞」を検索すると、ユーチューブで以下の17曲が出てきます。そのすべてが、CSmenuet さんの提供です。
なつかしいヴァージニア
グリーンスリーブス
キンダーポルカ
オクラホマミクサー
さよなら今は(蛍の光)
麦畑(故郷の空)
コロブチカ
消えぬおもかげ(暗路)
マイムマイム
名残りのばら(庭の千草)
スコットランドの釣鐘草
銀色の月よ(Bellini作曲)
遠い日の(ロンドンデリーの歌)
Malia(トスティ作曲)
この世にただひとり(ジプシーの歌)
Ave Maria(マスカーニ作曲)
Ave Verum Corpus(モーツァルト作曲)

蛇足ですが「この世にただひとり」についての詳細は、ここにあります。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55663105.html



公明党は安倍政権から離脱せよ

(熊さん)こんどの選挙で議席を減らした公明党が、内部でぎくしゃくしてるようですよ。自民党への不満があるんだって。
(ご隠居)そりゃご愁傷様だな。もともと自民党は公明党の票が欲しくて連立を組んでるだけだよ。本気で公明党を助けようなんて思ってないさ。公明党と連立なんたって、閣僚には国土交通大臣を一人入れているだけだよ。
(熊)そうなんですか、形ばかりの連立ですね。そう言えば、自民党が公明党の応援演説をしてる場面なんて、見たことがないや。
(隠)そうだろう。そもそも自公連立のルーツを探ると古い話になるが、落ち目になってた自民党が、長いこと敵対してた社会党に抱きついて政権に復帰した、村山内閣の時代というものがあったんだ。自民党と社会党が連立するという奇策で、世間をあっと驚かせたものだよ。そこから連立の相手を公明党に取り替えて、安定政権を作るという知恵を定着させてきたわけだな。公明党は、政権与党に加わってみて、よほど気分が良かったんだろう。そのままずっと居着いてしまったわけだ。
 だけどね、そのまた前の時代には、社公民共闘というのがあって、公明党は社会党、民社党といっしょに自民党政権を倒す側にいたんだ。つまり公明党は支持母体の関係で、絶対に単独では政権党になれない宿命があるんだよ。そして綱領には次の7項目を掲げている。
 卆弧拭生活・生存〉の人間主義
∪験莠埆纏襪諒顕宗κ〇禮餡
人間と自然の調和
た洋牘廚鬚瓩兇甲狼緻餌下腟舛
ダこΔ帽弩イ垢詁本
α陲虜民主主義の開花と地方主権の確立
民衆への献身とオピニオン・リーダー
(熊)へーっ、なかなか結構じゃないですか。
(隠)安倍自民党とは、だいぶ肌合いが違うのがわかるだろう。やはり今は野党でいるのが似合うと思うわけさ。少し持上げて言えば、いつまでも保守党の補完勢力でいたら、もったいないですよ、立党の精神に立ち返って、平和と改革の側に立ったらどうですか、ということだな。

忘れてもらっては困る

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 総選挙が終って間もなく国会が始まるが、安倍政権与党は新衆議院の構成を決める事務手続きを中心にして、具体的な審議には踏み込まない意向のようだ。まだホットな話題である首相夫人がらみの「もりかけ」問題が炎上しないように、なるべく長い冷却時間が欲しいのが見え見えになっている。マスコミもそれに協力するつもりかと思っていたら、東京新聞だけは会計検査院に取材して、それを今日のトップ記事にした。
 内容は問題国有地のごみ撤去費用見積もりの妥当性を論じたもので、文字通りにゴミを拾うような地味な取材と思われる。しかし結果として国の財産が不当に安く払い下げられた、つまり国庫に入るべき金が個人の懐に入った事実をあぶり出して見せている。
 今回の選挙でも政権与党は深く傷つくことはなかった。その理由については野党の分裂などがいろいろに論じられているが、どう見ても安倍政権が積極的に支持されたという雰囲気ではなかった。負けなかったという理由で、すべてについて信任を得た、つまり「禊(みそぎ)は済みました」と言える状況でないことは疑いようがない。
 第一野党となった立憲民主党は、史上最小の「第二党」だそうだが、次の国会では、少数でも精鋭の力を発揮して、疑惑は徹底的に追及してほしい。常識で考えれば、首相の昭恵夫人は、証人喚問に必須の人物と言われているではないか。遠慮は要らない。国民の一人として、疑惑の解明には協力する義務を負っている。
 「もりかけ」疑惑を、決して闇に葬らせてはいけない。立憲民主党は、精鋭のチームを組んで疑惑解明に当ってほしいと思う。この問題だけでも、安倍政権は崩壊の弱点を抱えているのではなかろうか。

ブログ連歌(496)

9899 選挙戦 候補者いずこ 奔るやら (みどり)
9900  聞きたくもない 安倍の長話し (建世)
9901 新聞の 選挙予想に 異議があり
9902  オレは違うと 気ばんでみたが (建世) 
9903 あきらめず 選挙広報 見入る朝 (みどり)
9904  とりあえず読み 紙背を案ず (建世)
9905 ユネスコ離脱 国立の文系処分に よく似たり (獣医さん)
9906  ヒマ人集うを 学び舎(や)と言う (建世)
9907 核兵器非合法どころか 合意すら破棄する 大統領 (獣医さん)
9908  銃は捨てない 西部の男 (建世)
9909 ジコウキイ(自公希維)翼賛会 いずれは憲法敵にす (獣医さん)
9910  護憲に奇策なし ただ中央に立つ (建世)
9911 秋雨に 候補者カーの 留まらず (みどり)
9912  名のみ聞こえて あとは去り行く (建世)
9913 パナマ文書 暴いた女性 卑劣な爆破で殺害され (獣医さん)
9914  正義の戦士は 屍を越えて (建世)
9915 冷雨突き 九条守れ 声激し (みどり)
9916  立てば孤ならず 思いは熱く (建世)
9917 笑顔なき自民の圧勝 何かが起きるか (獣医さん)
9918  驕らず謙虚と うそぶく慢心 (建世)
9919 熟慮欠き 新党へ行き 禍根積む (みどり)
9920  希望の党で 絶望の日々 (建世)

   

わが闘病の旅はつづく

 6週間、42日ごとにめぐってくる東京警察病院での診察日でした。「結核ではないけれど結核菌と戦わなければいけない」闘病がつづいています。毎日飲む3種類2錠ずつの薬は、体の方が慣れたのか、ほとんど副作用を感じなくなりました。体重も50キロの線まで回復しています。血液検査のデータを見ながら担当医の所見は、「肺の炎症は落ち着いています。栄養状態も良くなっていますね」でした。ただし薬はずっと続けなければならない。少なくとも2年間。5年ぐらい続けるのはふつうですよ、ということでした。
 自分が病人なのかどうかわからない、あいまいな状況が、これからも続きそうです。処方された薬は前回と同じで、42日分の「エンシュア」という栄養剤が加えられています。これが1本250ミリリットル入り、375キロカロリーの缶で、けっこう重いのです。例の通り、家から台車を持ってきて運びました。とはいうものの、病院も門前の薬局も、私の家からは、どの店に行くよりも近くにあるのです。なにしろ「角から3軒目」なのですから。
 ところで、薬というのは、どこの医師でも余裕をもって処方してくれるものです。たとえば「次は来月」というとき、予約は4週間先でも、薬は30日分の処方になっていたりします。ですから「飲み残し」が多少は出るものです。ですがこの栄養剤の飲み残しだけは、家人に大歓迎されます。ほどよい甘い味付けで、飲んで美味だからです。しかも飽きさせないように、バニラ、バナナ、黒糖、メロンといった味が用意されていて、薬局で頼むと適宜に混ぜてくれるのです。
 病院通いと薬という、暗くなりそうな話題の中で、ふしぎな「栄養剤」に出会いました。家人のために、少しでも楽しい記憶として残ってくれるのを願っています。

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大荒れの投票日とその結果

(熊さん)台風で大荒れの投票日だったけど、結果が出ましたね。
(ご隠居)安倍内閣の支持率が、「支持」よりも「不支持」の方が多かったのに、自公で300議席を超えてしまったな。変わり映えのしない結果だが、立憲民主党が「希望の党」を上回って第2党の大きさになったのは収穫だった。保守党の間での政権交代の可能性は、これで遠のいたと言っていいだろう。だけど、改憲勢力が国会の8割を占めるようになったという側面もあるから安心はできないな。
(熊)立憲民主は、出来たばっかりの党なのに、がんばりましたよね。
(隠)そうだね。野党の再編でごたごたしたが、ようやく立憲民主という、わかりやすい拠点ができたんだ。野党の本命が立ち上がったと言っていいだろう。ただしそのかげで、共産党が減ってしまったのは意外だった。選挙戦術としての調整を、やり過ぎたんだろうか。もっとも伝統的に、社会党が増えると共産党が減り、逆に社会党が凋落すると共産党が伸びるというという関係はあったんだよ。保守が強くなると、中道を通り越して共産党に期待する人が多くなる、という現象があるようなんだな。
(熊)その気持、わかりますよ。現実の政権交代が期待できないとなると、とりあえず強力な革新の種だけは残しておこうという、一種のバランス感覚ですよね。
(隠)おお、そうかい。なかなかいいセンスだな。じつは私も今までに2回だけ政党としての共産党に投票したことがあるんだが、今回がその2回目だった。個人票は長妻昭だが、共産党とは共闘できる部分があると思うんだな。ある人の観察によると、今の共産党は、昔の感覚で言うと「穏健なる保守党」に分類できるそうだよ。そうやって共産党も「ふつうの政党」になって行くんだろうね。そのうちに名前も変えるかな。
(熊)共産党に「立憲民主」は似合うじゃないですか。合併したらいいや。
(隠)あはは、そりゃ面白いや。今の共産党の綱領を読んでごらん。なかなかいいことが書いてあるんだよ。

第10回「花音」朗読会を聞いてきた

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 入間市在住の「花てぼ」さんが参加している朗読の会の「第10回・花音(かのん)」を聞きに行ってきました。例年会場にしている「入間市文化創造アトリエ」の「アミーゴ」という施設が、なかなか風情のある建物なのです。
 今回のプログラムは、宮沢賢治「やまなし」の朗読、芥川龍之介「藪の中」の群読、森瑤子「ディオリッシモ」の朗読、それと「歌詩を読む」と題した、みんながよく知っている歌の歌詞を、朗読として読み聞かせるという、斬新な企画から成っていました。
 中でも強い感銘を受けたのが「藪の中」の群読でした。かなり昔に読んで、知っているつもりだった作品ですが、登場人物の「検非違使に問われたる木樵りの物語」「同・旅法師の物語」「同・放免の物語」「同・媼の物語」「多襄丸の自白」「清水寺に来れる女の懺悔」「巫女の口を借りたる死霊の物語」が、それぞれの人の口で語られることによって、リアルな迫力をもって立ち上がったのには、心底から驚きました。ぜひ、原作者に聞かせたいと思いました。
 この「藪の中」は、事件の関係者の語ることが、その立場によって変転することにより、結局何が真実であったかわからなくなる、人間の「心の闇」を気付かせる作品で、「藪の中」と言えば難事件の代名詞のようにも使われる名作です。その作品が、多人数の朗読によって、はじめて原作者が意図した通りの説得力を発揮したように感じたのでした。
 失礼かもしれませんが、きょう登壇した人たちが、そこまでの「深み」に達して読んだのかどうかは、別次元の問題なのです。一編の小説として書かれた「藪の中」が、舞台劇の台本でもないのに、原文のまま朗読されただけで、演劇の空間でなければ作り出せないような「人間についての無限の闇」を描き出して見せたことが驚きだったのです。
 芥川龍之介がこの「藪の中」を書いたとき、実験的な意欲があったことは、ほぼ確実でしょう。それは著者自身が明快な見通しをもっていたのではなく、人間性の不可解を予感していたことの告白のように思われます。そうでなければ、芥川は自ら死ぬことはなかった。命をかけて小説を書いた男は、永遠の「藪の中」を残して去って行ったのです。 

いつまで踏み違えを続けるのだろう

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 性懲りもなく、またペダル踏み違えの事故がニュースになった。事故にならない小トラブルは、日常にいくらも繰り返されていることだろう。右足を踏むという同じ動作で、ある時は加速し、ある時は停止するという、正反対の仕事をさせるからこうなる。足は左右に2本あるのだから、使い分けしていればこういうことは起きない。
 使い分けには、左足でアクセルを踏むのがいい。これは自明のことで、左足で踏める位置にアクセルを移すか、あるいは補助のペダルをつければ解決する。しかし自動車メーカーはこぞって、絶対にそういう改造には応じないことがわかっている。そこで自分の身を守るために、私は左足でブレーキを踏むことにした。完全に慣れるまでには1年間ぐらいを要したが、今は安全に乗りこなしている。
 世の中の傾向を見ていると、自動車は、間もなく全面的に電気で走るようになりそうである。そうなると加速は一種のスイッチ操作だから、今よりずっと簡単になるだろう。そうなっても、自動車メーカーは、頑固に「一本足運転」にこだわるのだろうか。左右の足の使い分けや、アクセルは手で操作するなどの安全策を考えてはくれないのだろうか。
 私は今の運転免許を、もう更新しないことに決めている。だから先のことはどうでもいいのだが、未来の自動車が、新しいメーカーの参入によって、右足を踏むという同じ動作で加速も停止もする危険な構造を、改善してくれることを希望している。
 ここから先はこじつけみたいだが、世の中は「右」が優勢なご時世である。何が右かは、人によって見方があるだろうが、「個人よりも全体」「世界よりも日本」「未来よりも歴史」「護憲よりも改憲」あたりが今の「右」のイメージではないだろうか。私は未来への「まっすぐ」が好ましいと思っている。右足ばかりが強いと、いつまでも同じ所をぐるぐる回りする結果になって、少しも前へ進めないからだ。だから私は「右」には加担しない。

雨の日に琴の音

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 どういう風の吹き回しか知らないが、妻が琴を引っ張り出してきた。娘時代に静岡で習っていたのだ。結婚してからは、まともに聞かせて貰うこともなかったが、ベトナム難民の人たちと交流があった時期に、少しだけ音を出してみせたことがあった。
 本人の話によれば、弟子のランクとしては初(はつ)、中(なか)、奥(おく)とあって、奥まで行っていたのだが、お免状を貰わないまま東京へ来てしまったということだ。しかし根っから琴が好きだったということでもないらしい。ただ、六段の曲を弾いて見せて「トトコロリツテンコロリンシャン」などと口で唱えているのが面白かった。五線の楽譜ではなく、おもに口伝え的に習って、その形で覚えているらしい。
 琴の弦は13本ある。ピアノの鍵盤で確めてみると、ドレミファの7音のうち2音が欠けていて、2オクターブをカバーしている。音程の調節は、弦の下に琴柱(ことじ)という三角形の柱を立てることで行う。弦が短くなるほど音は高くなるから、右手で弾いて、手前が高音になる。この音階を「スズムシ、マツムシ、クツワムシ」と唱えながら合わせて行くのだ。何度かやるうちに、私の調音は正確だと言われるようになった。今回、何十年かぶりに琴柱を立ててみたのだが、弦に小さくつけてあった印を手かがりに並べたら、昔と変わらぬ音階が聞こえたのは感動的だった。
 琴の音には、独特の凛とした乾いた音感がある。桐の胴が共鳴しているのだろう。そして弦を無作為に掻き鳴らすだけで、優雅な「和の調べ」が立ち上がるように感じられる。試みに「さくらさくら」の曲を弾いてみたら、単純な指使いで弾けるのがわかった。
 琴の爪は、妻が習った山田流は丸型だが、生田流の爪は四角いということだった。妻が老後の楽しみとして琴の演奏を再開してくれるといいのだが、どうだろうか。なにしろ琴の本体は長さが180センチ以上もあるから、気楽に出しておくわけにも行かない。それでも妻がどんな気持ちで琴と対面する気になったのか、その事情は探ってみたいと思っている。 

この選挙は「立憲民主」と「希望・小池」対決がポイント

 この選挙での争点がいろいろ論じられているが、それらを集約した分水嶺が、ようやく見えてきた。それは、立憲民主党と希望の党の、どちらが上に来るか、つまり自民党に次ぐ第2党になるかということだ。両者の差は、非常に大きい。
 希望の党が勝った場合は、改憲が日本政治の主流になる。そして日本の政界は、保守二大政党による政権交代または巨大与党による強権政治へと近づいて行くだろう。
 それに対して立憲民主党が勝った場合は、改憲にブレーキがかかる。与党でも公明党の中で、改憲への慎重論が強く出てくる。2020年までに改憲という安倍自民党の目算は、限りなく実現不能に近くなるだろう。
 それにしても、立憲民主党の伸長ぶりは目ざましい。この10月3日に党が出来たばかりで、まだ2週間と4日目なのに、この勢いである。国民の中に、こういう立ち位置の政党を待ち望む気持ちが、幅広く潜在していたことを示している。野党再編の動きを野党の混乱ととらえ、「もり・かけ隠し」も兼ねた好機と思い込んだ安倍晋三の思惑は、完全に裏目に出た。
 しかしこの状況は、いくつかの偶然によって作られたところが面白い。最大の功労者は、民進党の「希望の党」への身売りを画策した前原誠司代表だった。これが小池百合子の「選別します」の一言でガタガタになり、反作用で目をさました人たちを新党の結成へと走らせたのだった。その意味では、小池百合子が第二の功労者と言える。
 ともかくこうして立憲民主党はこの選挙の主役として躍り出ることになった。ただしここで警戒しなければならないのは、形の上では野党が分裂したことになり、自民党が有利になることだ。だから「希望の党」が、曲りなりにも野党の立場で自民党から票を奪うことが必要になる。その意味でなら、「政権交代」を掲げている希望の党は、あまり小さくならないのが望ましい。
 伝統的に保守政党を支持している皆さんの中には、今の安倍政権に批判的な方もおられることと思う。その方々は、今回は「新しい保守」の希望の星を自任している「希望の党」に投票することを、ぜひともお願いしたいと思っている。
 

秋晴れの朝がきた

久しぶりに、東京に秋晴れの朝が来てくれた。洗濯干しに精を出している。この晴天は長続きしないそうだが、今のところは全天に雲ひとつない。気象の循環には一定の法則があるそうで、「待てば海路の日和あり」という言葉もある。しかし最近では「観測史上初めて」の大雨といったニュースも聞くことが多くなったような気がする。世界的な温暖化が、気象に不可逆的な変化を起こし始めているのだろうか。ちょっと気になる。
 これまでに得られている情報によると、この地球上でわれわれ人類のような文明を発達させたのは、私たちが最初であるらしい。今は陸も海も空気も含めて、地球全部が自分たちの自由にしていい財産と思っているようだ。その中で、少しばかりの土地に囲いをして、苦労して買った土地だから、大事にして子孫に渡そうなどと考えている。土地の「所有権」を証明する権利証を、銀行の貸金庫に預けて置いたりしている。
 でも考えると、ちょっと変なのだ。そもそも土地は誰が作ったのだろう。地球上に陸が出来て生物が住めるようになって、そこへ人間が来たから土地は人間にとって価値のあるものになった。だから土地の価値はその「利用価値」に集約されるのではないか。だとしたら、土地に人間の「所有権」を認めるのはおかしい。あり得るのは「利用権」だけである。
 これはなにも奇異な考え方ではない。そんなに古くない昔に「世界連邦」を構想した人たちは、土地を、空気や水とともに「人類の共有物」と規定した。これによれば、個人に認められるのは土地を「利用する権利」だけである。土地を「底地」から「所有」するなどは、思い上がりも甚だしいということになる。
 こんなことを考えたのは、青空が人の心に一種の「解毒剤」として働くからだ。「心を洗われる」と言ってもいい。貴重な秋晴れの太陽である。私たちにとって「何が大切で、何が下らない」ことか、「何が緊急で、何が後回しでもいい」ことかを考えさせてくれる機会になるような気がする。目先のことではなく、孫世代のために何を残すべきかを考えよう。それは戦争を遠ざける平和な世界だと私は思っている。

雨の選挙は波乱含みか

 選挙戦が終盤に近づきつつあるが、依然として空は晴れない。逆に台風が接近中とかで、この週末の投票日は、下手をすると台風のピークと同時になる可能性もある。「国難選挙」とも呼ばれているそうだが、選挙・投票そのものが「国難」になるのでは、しゃれにもならない。
 選挙結果の予想についても、いろいろなものが出ている。しかし今回は不確定要素が多くて、どれを信じたらいいのかがわからない。自民圧勝の序盤の予想もあったが、今は自民党の議席大幅減という説も出ている。小池・希望の党への風の吹き回しがどうなるかで、見込みが大きく変動するらしい。立憲民主党についてはおおむね良好で、公明を抜いて第3党になるという見方が多いようだ。とにかく差し迫ってからの野党の再編だったから、新党の基盤が固まらないうちに選挙の本番に突入してしまった。あちこちで、関係者は「過労死」が心配になるほどの苦労をしたに違いない。
 雨つづきで、候補者もご苦労なことだ。主役に担がれる候補者は、選挙期間中は異常な緊張状態に置かれる。私は裏方として選挙戦を間近に見たこともあるが、候補者はタスキをかけている間は、「ふつうの人」でいることができない。少しでも知っている顔を見かけたら、大きく元気な声で手を振りながら挨拶を送らなければならない。必ず元気な「いい人」でいなければならないのだ。行く先々で繰り返す演説は、繰り返すことで滑らかになり、本気でしゃべっているように聞こえてくる。私は思うのだが、選挙運動期間中の候補者は、みんなとても「いい人」になっている。演説で繰り返す公約も、本気で努力して実現するつもりでいるに違いない。
 その厳しい選挙戦も、あと4日と少しで終る。そして投票日となり、あとは運命の開票を見ながら現実と向き合うことになるわけだ。今度の選挙は、掛け値なしに面白い選挙だと私は思う。それは、いくつかの予測不能な不確定要素を含んでいるからだ。自民党内にさえ、安倍が引責辞任した場合の総裁候補者が、麻生、石破、岸田と取りざたされているとのことだ。
 選挙をやっても政治は変らないと思わされてきたが、今度はちょっと様子が違う。自分が参加することで、少しでも変化への加勢ができるとしたら愉快ではないか。投票行動を、今までと変えて冒険してみたらどうだろう。もちろん棄権などは論外の外道である。
  

冬が近づく予感と潮の干満

 これから投票日まで1週間、東京は曇りと雨が続くらしい。気象解説によると、「夏の終りと秋雨」の季節を「最初からやり直し」しているのだそうだ。そう言えば12日の英文科同窓会の日は、最後の夏らしい日だった。
 私は夏が好きだから、基本的に冬は好まない。秋分の頃に、太陽は早い速度で日没の位置を北へと変えて行く。写真に撮って、1日に太陽の直径1個分ぐらい移動すると見たことがある。ただし厳密にはどうなのか、まだ確かめてはいない。今は、やや速度を緩めながら北への移動を続けている筈である。そして12月の冬至の日を迎えることになる。毎年、この日がくると「太陽がまた戻って来る」と思うのだが、じつは、これから先の寒さが長いのだ。
 「寒さ暑さも彼岸まで」という言葉があるが、春と秋の「お彼岸」の中日が、春分と秋分の日になる。つまり太陽の真冬日、太陽の真夏日から3カ月が経過すると、寒さと暑さから、それぞれ解放される日がくるというわけだ。日照の強弱の変化が、生活圏の温度に波及するまでには、それほど時間がかかるということになる。海水、大地、空気などが、クッションの役をして、熱を吸収したり放出したりを繰り返している。
 これに似た現象に、潮の干満がある。干潮や満潮は、月の引力が海水に作用して起こるのだが、海水の移動は地形の抵抗などを受けて遅れる。その遅れ幅が、平均して6時間程度と長いものだから、月が頭上に来たときは、満潮ではなくて反対の干潮が来てしまうのだ。だから逆に月の出か入りの時間に満潮が来ることになる。このことを私は高校の国語の時間に教えて貰った。
 熟田津(にきたつ)に 舟乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
という額田王の歌があるのだ。月の位置がわかれば、自信をもって潮の干満を知ることができる。この知識は、北方領土訪問の取材で国後島へ行ったときに役に立った。海岸沿いの小道が通れるかどうかでロシアの案内人が迷っているときに助言してあげることができた。
 なお、流体の力学で、海水は月の反対側にも盛り上がるので、潮の干満は、原則として毎日各2回やってくる。そして「月の入り」の時刻にも、満潮はやってくる。

 

選挙戦は秋雨の中

(熊さん)選挙中の週末だけど、静かですね。
(ご隠居)そうだね。選挙カーの声も聞こえないし、公営の掲示板にポスターが貼ってあるだけだ。天気予報だと、投票日までの1週間は、ほとんど雨と曇りばかりのようだよ。新聞を見れば、自民が300議席の勢いだとさ。安倍政権への支持率は低いのに、護憲・リベラルへの票は分散して、効率が悪いらしい。立憲民主は伸びるようだが、旧民進の一部が、評判の悪い「希望の党」へ行ってしまったのが痛かったな。
(熊)「希望の党」なんて、名前からして、うさん臭いや。「幸福実現党」もそうだけど、希望も幸福も、政治の結果として出てくるもんでしょう。政党として何をするかは説明してないわけですよ。口先だけの連中だってぇのがお見通しだね。
(隠)おお、熊公お前もいいこと言うじゃないか。その通りだな。こうやって私と漫談やってる間に、ずいぶん知恵がついてきたようだ。どうだい私の跡継ぎになるか。
(熊)えっ、ご隠居が死んだあとの2代目になるんですか。そりゃ無理ですよ。世の中、できることと出来ないことがあるって。ご隠居あっての熊ですよ。
(隠)ふん、こればっかりは仕様がないか。まあいいや。70代になってからブログを始めて12年、勝手にいろんなことを書いてきて面白かったよ。
(熊)あれ、妙にしめっぽくなりましたね。なにか「辞世の句」でも考え始めたのかな。
(隠)いや、そこまでは行ってないさ。ただね、何かにつけて「終り」が見えてきたのは事実だね。古い友人と話しても、これがこの人と話す最後だろうと思ったりするよ。だからこそ味わいが深いという、いい面もあるんだけどね。……あれ、ここで今朝の夢を思い出した。ずいぶん昔に返って、元気な母親といっしょにいたぞ。そうだ、そういう楽しみもあるわけだ。これは面白くなってきたぞ。こうなったら、生きてても死んでても、もう、どっちでもいいや。

最後かもしれない英文科同窓会

 昨日は学習院大学英文科の「同窓生食事会」に行ってきました。会場は学内の「中央教育研究棟」の12階にある「松本楼・学習院店」です。ここは一般の利用も自由で、門の守衛さんに「松本楼へ行きます」と言えば通してくれます。
 私たちは新制大学になって3年目の入学(昭和27年)だったので、「3回生」と呼ばれています。卒業時には28人でしたが、その中から7名が集まりました。男子は4名だけで、うち2名は亡くなり、1名は1年遅れの4回生として卒業しました。つまり男子で残っているのは私だけです。
 部屋の予約もせず、一般客として入店したのですが、食後のお茶を含めて、2時間以上も、ゆったりと過ごすことができました。その中で、在学中の思い出話の枠を超えて、今までの同窓会では出なかったような、戦争にまつわる記憶が話題になったのが印象的でした。
 鹿児島の名家のお嬢さんとして存在感のあった人が、戦時中は東京に住んで、空襲で自宅を焼かれた経験を持っているというのには驚きました。そういう話は、在学中もその後も、一度も聞いたことがありませんでした。私たちの学生時代に、戦時中の経験は、まだ生々しい記憶の一部分でした。だからこそ、あまり話題にしなかったのではないかと思い当りました。
 また、当時の英文科に、「第一志望」として入った人が意外に少なかったこともわかりました。出来たばかりの新制大学の3年目です。東大なり慶応なり、「まともな大学」に入るつもりでいて果たせず、すべり止めとして受けておいた学習院に妥協して入ってみたという人は、私だけではありませんでした。でも、話はそこで終りません。「結局は良かった。エリートコースに乗ったつもりで天狗になってたら、かえって変な人間になってたかもしれない」というのです。これは私にも近い感覚でした。負け惜しみではなく、同じ時間を二通りに生きる方法がない以上は、与えられた条件の下で、最善の結果を拾って行くしかないのです。
 こんな仲間との同窓会。もっとよく話を聞けば、何冊も本を書けるような内容があるのを実感しました。でも、残された時間は、おそらくあまり長くはありません。限りある時間で私には何ができるでしょうか。同期生たちへの、限りない愛しさの感情だけが残っています。
 

早くも出た選挙の予想記事

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 公職選挙法では、選挙結果を投開票日前に予想する「人気投票の経過およびその結果」の発表を禁止している。結果の予想が投票行動に影響を与えないようにするためと思われるが、これが実質的には少しも守られていない。少し調べたら、投票する「つもり」を「調査」しているので、人気投票ではないという理屈らしく、これが高裁の段階まで合法という判断が確定されているということだ。
 とにかく新聞の予想はよく当るという実感がある。新聞記事には最後に「しかし、まだ態度を決めていない人がおり、実際の投票が変動する可能性がある。」と書いてあるのだが、決まりごとの言い訳のように見えることが多い。
 この予想で、「希望」が伸び悩んでいるというのは、そんなものかという実感と一致する。自民党の「一強」は、揺らぎそうもないという。結果として改憲勢力が増えることになりそうだ。
 立憲民主には倍増の勢いがあるというのだが、よく読むと共産の支持率が下がっている。トータルすると、同じ地盤の中で票のやりとりをしているのかもしれない。
 さらに、世代が若くなるにつれて、保守化の傾向が見られるというのが気になった。なんとなく「世の中こんなものだ」と満足しているのではなかろうか。自分が非正規雇用で、世の中の格差が厳存しているのを知っていても、当面は暮らして行けるからいいやと思っているのだろうか。諸外国との経済指標の比較で、日本だけが成長せず停滞を続けている現状を、私を含めて、多くの日本人が、あまり抵抗感もなく受け入れているように思われる。
 でも今は、日本の未来像が作られて行く大事な時期なのだと思う。そして何よりも、世界に戦争を近づけない外交路線を取らなければならない。それは安倍自公政権には期待できないことがわかっている。私は間もなくいなくなるからいいのだが、子供たち孫たちにも少しは考えて貰いたいと思って、長妻昭の選挙ハガキが、娘たちの家庭にも届くように手配した。

国会には誰もいない

 きのうの「国会めぐり」は、あくまでも穏やかだった。警備の警察官の数も少なく、街宣車の進入を規制する路上ゲートの周辺も、手持ち無沙汰に見えていた。いまの国会は、建物があるだけの「がらんどう」になっている。議員会館でも、各部屋の主はいなくなって、それぞれの地元で選挙対策に没頭しているに違いない。なにか国家的な大事件でも起こったら、少数の参議院議員が集まって当面の対策を講じることになる。
 今回の解散・総選挙に「大義」はあったのか、議員の請求で開かれた国会で何も審議せず、冒頭で解散とは横暴ではないか、「もり・かけ」隠しが最大の動機だったと言われても仕方がないだろう。しかしそんな疑問も、もう誰も話題にしなくなった。選挙が始まってしまったら、それに伴う政界の変動と、結果の予測に関心は集中してしまう。それに加えて、今回は小池百合子こと「みどりのタヌキ」が「時の人」になった。「希望」という名の政党を立ち上げたのだが、それが本当の希望になると思う人は少ない。「絶望」になると言う人もいる。ただし「みどりタヌキ」が「政権選択の選挙だ」と言い出したので、安倍自民と対決する形になった。保守とウルトラ保守の叩き合いの構図になったのだが、小池旋風は失速しつつあると言われる。自分はすぐに首相になる気はないと言うものだから、気が抜けてしまった。
 かといって安倍自民が安泰になったとは言えないだろう。自民党の議席は、確実に小池新党に食い荒らされることになる。現有議席から30減まではいいが、50減を超えたら退陣を求められるという観測が出てきた。そうなると自民党には「安倍のあと」を狙っている人たちがいるので、安倍長期政権は終ることになる。
 保守党が分裂している間に、「立憲民主」はどこまで伸びるだろうか。「まっとうな政治」を待ち望んでいる国民は多い。今回は棄権などせずに、新しい流れに賭けてみたらどうだろう。立憲民主の候補がいない選挙区には、共産党の候補がいる。この面白い選挙で、投票率が上向かないようでは、日本の前途は暗くなる一方だと私は思っている。
 私たちは、どんな政治を望み、国会ではどんな議論をしてほしいのか。今は誰もいない国会に新しく乗り込む議員たちの顔ぶれは、間もなく私たちの投票で決まるのだ。
 

ブログ連歌(495)

9879 議会制 民主主義なき 専横さ (みどり)
9880  国会法など 無視も平気で (建世)
9881 ともかくも 明日は解散 秋の空
9882  リセット国会 何を議するや (建世)
9883 人寄せの 小池新党 名乗り出て (建世)
9884  右へ右へと なびくか日本 (獣医さん)
9885 右寄りが 知らないうちに 癖になり (建世) 
9886  いつか来た道 多数が正義 (獣医さん)
9887 安倍・小池 安保改憲 同類項 (みどり)
9888  保守党二つ 覇権争う (建世)
9889 選別を すると小池に すごまれて (建世)
9890  踏み絵を踏まぬ 良い男 (獣医さん)
9891 安倍ヤメロ 鋭き怒り 多けれど (みどり)
9892  やっと出てきた 立憲民主 (建世)
9893 選挙戦 野党結束 遠のけり (みどり)
9894  希望にならない 緑のタヌキ (建世)
9895 YOU CANの失態 I CANで取り戻し (獣医さん)
9896  日本政府は 国民とは別 (建世)
9897 ゼロを並べた条約は 信頼ゼロを背景に (獣医さん) 
9898  されども望み なきにしも非ず (建世)
9899 選挙戦 候補者いずこ 奔るやら (みどり)
9900  聞きたくもない 安倍の長話し (建世)
  

明日9日、正午から国会議事堂一周に行きます

 しばらく休んでいましたが、あす9日、「国会議事堂一周散歩」に行きます。12時に地下鉄丸ノ内線の「国会議事堂前」駅改札出口(1カ所だけです)の前からスタートし、1番出口から地上に出て、議事堂周回の歩道を左回りに一周するのを例にしています。所要時間は、会話しながらゆっくり歩いて45分ほどです。そのあと、時間のある方と適宜に昼食をとりながら歓談するようにしています。
 議事堂側の歩道では、「政治的中立」の原則とかで、プラカードを掲げるなどの「デモ行為」は規制されますが、身につけるもの、手持ちのバッグなどによる意思表示は、表現の自由の範囲ですから問題ありません。もちろん、ただいっしょに歩くだけでもいいのです。国会周辺は、そろそろ名物の銀杏の季節です。本命は来月の9日ごろかと思いますが、実りの具合も確かめられるでしょう。
 下の写真は、今年の正月に国会一周をしたときのものです。

(追記・過去記事で確かめたら、10月初旬で銀杏を収穫していました。)

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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