白井聡の「永続敗戦論〜戦後日本の核心」(atプラス叢書・太田出版・2013年)が図書館にあったので読んでみました。日本の現状と今後の進路について、新しい視点を教えてくれる本でした。冒頭の第1節は「私らは侮辱の中に生きている」から始まります。太平洋戦争の敗戦でアメリカの支配下に置かれた中で、同様の構図で2011年3.11の福島原発事故に見舞われました。私たちは、どこまでも敗戦を引きずって生きて行かねばならないのでしょうか。
この本については、いろいろな人の評論も出ているので、それらを参照すると、およその見当がつくことと思います。ただ私としては、最後の「戦後の『国体』としての永続敗戦」の章から受け取った、私の強烈な印象を書いておきたいと思います。
そこに出てくるのは、「天皇」というものの巨大な姿です。昭和天皇は、昭和の歴史を一身に体現した人でした。終戦の詔勅の中に「朕ハ国体ヲ護持シ得テ」という言葉が含まれていたことを、まざまざと思い出しました。当時の日本の官民あげて奉じていた最高の価値観は「国体の護持」でした。それが「天皇制の存続」を意味することは明らかです。その一点を守るためにこそ、日本は国家として降伏することができ、ドイツのような壊滅を経験せずに済んだのです。
日本の戦後の改革が不徹底だと言われるのは当然です。最高の責任者である天皇は、退位もせずに、そのまま民主主義日本の象徴へと横すべりしました。直前まで命をかけて戦う最高指揮官だった人が、平和と復興のシンボルになるまでに、1ヶ月もかかりませんでした。マッカーサーと並んで記念写真に納まり、アメリカを師として平和な国づくりに励むことを、素直に受け入れたのです。それは敗戦の結果としての対米従属を、自発的な構図として受け止めた姿でした。
こうして出来上がった日米関係の延長線の上に、今の私たちの日本があります。講和条約による日本の独立回復も、アメリカの主導によって行われました。天皇にはもはや政治的権能はありません。これから先は、日本国民の意思ですべてのことを決めなければなりません。たしかなことは、それだけです。
この本については、いろいろな人の評論も出ているので、それらを参照すると、およその見当がつくことと思います。ただ私としては、最後の「戦後の『国体』としての永続敗戦」の章から受け取った、私の強烈な印象を書いておきたいと思います。
そこに出てくるのは、「天皇」というものの巨大な姿です。昭和天皇は、昭和の歴史を一身に体現した人でした。終戦の詔勅の中に「朕ハ国体ヲ護持シ得テ」という言葉が含まれていたことを、まざまざと思い出しました。当時の日本の官民あげて奉じていた最高の価値観は「国体の護持」でした。それが「天皇制の存続」を意味することは明らかです。その一点を守るためにこそ、日本は国家として降伏することができ、ドイツのような壊滅を経験せずに済んだのです。
日本の戦後の改革が不徹底だと言われるのは当然です。最高の責任者である天皇は、退位もせずに、そのまま民主主義日本の象徴へと横すべりしました。直前まで命をかけて戦う最高指揮官だった人が、平和と復興のシンボルになるまでに、1ヶ月もかかりませんでした。マッカーサーと並んで記念写真に納まり、アメリカを師として平和な国づくりに励むことを、素直に受け入れたのです。それは敗戦の結果としての対米従属を、自発的な構図として受け止めた姿でした。
こうして出来上がった日米関係の延長線の上に、今の私たちの日本があります。講和条約による日本の独立回復も、アメリカの主導によって行われました。天皇にはもはや政治的権能はありません。これから先は、日本国民の意思ですべてのことを決めなければなりません。たしかなことは、それだけです。