志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2018年02月

2月は逃げ月

 2月は逃げ月と言われる。1月の年初のさまざまな行事も終り、ようやく落ち着こうかという翌月が、いつもより早く終って3月になってしまうので、逃げられた感じになるのだろう。それにしても、30日か31日で決まっている日数が、2月にだけ妙に短いのはなぜだろう。
 少し調べてみたら、ローマ皇帝のわがままの結果だと説明されていた。自分が8月生まれだから、そこを「大」の月にして、足りない1日は2月から引くことにした。暦には、3月1日が新年で、2月は年末という時期があったのだそうだ。2月の末が年末と考えれば、そこに閏年の調整も含めて、しわ寄せに使うという発想も、わからぬではない。ただしそれならば、1月を新年にしたときに、なぜ12月の年末を調整に使わなかったのかという疑問が残る。しかし、そんな合理的な判断に納まらないところが、人間の歴史の面白さなのだろう。
 2月の暦で特徴的なもう一つに、平年の28日だと、次の3月と曜日が同じになるということがある。この件では、忘れられない思い出がある。昭和49年(1974)の2月のことだが、私は洋上研修船に講師として乗り込み、マニラ・香港を回遊する2週間の船旅に出ていたことがある。ちょうどその時期に、大きな録音の仕事があり、3月にスタジオを予約して、オーケストラのマネージャーにも早めに伝えておいた。ところがその電話が、マネージャーの息子さんの伝言のところで、2月の話と誤っていたのだ。曜日が同じなので気付かれずにいた。
 その結果、まぼろしの「録音日」に、楽団員はスタジオに集まったのだが、指揮者もディレクターもいない。電話で問い合わせたら「船に乗っていますよ」というわけだ。あとで聞いて大いに同情したのだが、マネージャーさんは言い訳に汗をかいたことだろう。指揮者の伊藤辰雄さんも自宅で電話を受け、「志村さんの予定だから間違いない、3月ですよ」と言ってくれたそうだ。
 そんなこんなで落ち着かないうちに、もう2月は行ってしまう。来年の2月に自分がどうなっているか、今の私にはわからない。あまり変わらずにブログを書いていられるといいのだが、いつまでも、というわけには行かないだろう。逃げて行く2月が、今年はなんとなく愛おしい。
 
 

梅一輪一輪ほどの暖かさ

s-IMG_1303

 壁に近い梅のつぼみは、陽光の反射で暖かくなるらしい。例年のことだが最初に咲きはじめた。何の不思議もない現象だが、絵にはなる。
 それだけのことで、朝からボーッとしている。それにしても、嵐雪の句はよく出来ている。

 

オリンピックは終ったが

(熊さん)予告なしの連休は、珍しいじゃないですか。
(ご隠居)そうでもないさ、今までにもあったよ。ビキニデーがあって出かけたり、けっこういろんなことがあって忙しかった。書く材料もあったんだが、あり過ぎて逆に渋滞しちまった感もあるな。去年のビキニデーでは、後ろで遠慮がちに「原子力ムラの陰謀」の本を売っていた西村トシ子さんが、今年は第2部の特別報告者になっていたよ。西村さんの夫の西村成生(しげお)さんは、動燃の総務部次長だった人で、原子力村の機密情報を知る立場にあった。その人が、表向きは「自殺」という形で不審な死に方をしてしまったんだな。
 西村トシ子さんは真相を知りたいと言って会社や警察に問い合わせたが、どこでも「自殺だから」と取り合ってくれない。仕方なく遺品の返還を求める民事裁判という形で争っている現状なんだよ。夫は自宅に大量の秘密資料を残していて、これを読み解いて記事にして行ったのが週刊朝日の取材班だったんだ。この作業は今も続いていて、「原子力ムラの陰謀」の解明に努めているところだ。
(この図書の紹介は、以下のブログに書いています↓)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55726729.html
(熊)相手が原子力村じゃ、息の長い仕事になりますね。ところで第1部は第五福竜丸に乗っていた大石又七さんと、老人党の例会でお世話になってる編集工房「朔」の三角忠さんでしょ。
(隠)そうだよ。今年は水爆実験のビキニ被爆から64周年になるそうだ。当時20歳の青年だった大石さんは74歳になった。「矛盾〜ビキニ事件、平和運動の原点」という立派な本を出しているのに気がついて買ってきたよ。誰でも、自分の身に災いが降りかかってきた時に、初めて真剣に世の中のことを考えるようになるんだね。それを受けて三角さんの基調講演とアピールは、「軍隊をなくさない限り、核はなくならない」だった。これも、まさにその通りだね。
(熊)と言ってる間に、どうやらオリンピックも終りましたね。
(隠)ああ終ったね。で、ようやく国会中継が始まったと思ったら、ゴールデンタイムは依然としてオリンピック一色なんだな。「まとめ総集編」なんて銘打ってる。ありゃそんな手があったかと恐れ入ったよ。会場が外国でもこうなんだから、2020年に東京でやったら、とんでもないことになるんじゃないかな。
(熊)オリンピックにあらざれば、ニュースにならず、ですか。
(隠)ちょっと変な引用だが、まあ、そんなもんだ。

s-IMG_1300

ブログ連歌(505)

10079 廃棄した書類が 300枚も出てきたよ (獣医さん)
10080  そっと出しても あるものはある (建世)
10081 税務官 見逃しならぬと 税搾る (みどり)
10082  長官人事は 「適任」だとさ (建世)
10083 二時間質問 首相を追い詰めて
10084  枝野も オリンピックにかき消され (獣医さん)
10085 地を覆う 雪の五輪旗 制覇して
10086  日本列島 冷えわたりけり (建世)
10087 氷上で抱き合うライバル 輝いて (獣医さん)
10088  競争心は かくもありたし (建世)
10089 安倍政治 許さじの声引き継いで (獣医さん)
10090  春近くして 逝く人讃う (みどり)
10091 また出てる 五輪ピックの 顔と顔
10092  インタビューにも 答え滑らか (建世)
10093 根拠の資料は 虚偽のデーターばかり (獣医さん)
10094  それも構わず 働かせ法案 (建世)
10095 残業代 奪って裁量 搾取です (みどり)
10096  言葉替えれば 忖度奉仕 (建世)
10097 北国の凍れる大地も緩め 
10098  熱気も去って 春を待つ (獣医さん)
10099 選手らの 笑顔さわやか 冬五輪
10100  平和外交 かくもありたし (建世)
 

映画「NO」を見て国民投票を考えた

映画「NO」240px-Bandera_del_NO
 昨夜は、久しぶりに参加した「老人党護憲プラス」の例会で、2012年のチリ映画「NO」の上映を見て、国民投票にどう向き合うべきかを、みんなで考えた。上のマークは、軍政継続の是非を問う国民投票で、反対派が掲げたシンボルマークである。政権側は、圧倒的な広報力で勝利を予想していたが、反対派は巧みな宣伝を繰り広げて予想を覆し、政権移譲を実現させたのだった。
 チリの軍事クーデターというと、かなり古い話になるのだが、幸いにして私には明瞭な記憶がある。チリで「世界初の選挙で成立した社会主義政権」が誕生したのは1970年のことだった。それがアメリカの干渉などで軍事クーデターにより倒され、1974にはピノチェト将軍による軍事独裁政権が成立した。その過程で弾圧による犠牲者や拷問など、多くの暗黒部分があったと伝えられ、ちょうど政治的課題に目を向け始めていた私は、強い関心を寄せていたのだった。
 この映画は、1980年代なって中南米に民主化の波が押し寄せ、ピノチェト政権も正統性の根拠としての信任投票を求める必要を感じた1988年の国民投票を舞台としている。そして話は国民投票に向けて作られる15分間の宣伝映画の制作が中心になって行くのだった。
 このあたりは、宣伝教材づくりは私の本業だったから、非常に興味深く見られた。広告のプロたちは「仕事としての民主化PR」に精を出すことになる。そこで基本コンセプトなのだが、基本は政権への批判だから、まともに作れば鋭く暗くなる。そこを思い切って未来に希望を持たせる明るく楽しい作りにするのだ。NOの向うに美しい虹のかかる構図がそれを象徴している。
 それに対して危機感を抱いた政権側は妨害工策などネガティブキャンペーンに走るのだが、ここでYESとNOのイメージが逆転してしまう。両陣営の支持率は、宣伝の前と後とで、きれいに入れ替わって、そのまま投票結果となり、平和のうちに政権の移譲が実現するハッピーエンドとなった。
 安倍政権がNOで、護憲がYESはもちろんだが、この運動を成功に導くためのヒントがこの中にはある。だからこその上映会で、行ってみてよかった。

 

金子兜太氏の「アベ政治を許さない」

c02bd42c-s 

 金子兜太氏のこのプラカード文字は、2015年に澤地久枝さんに依頼されて揮毫したものだという。私もこれを掲げて夕方の新宿西口に立ったことがある。その一枚は、今も私の手元にある。その金子兜太さんが一昨日、2018年2月20日に亡くなった。享年98歳、死因は誤嚥性肺炎とされているが、堂々たる老年死と言ってもいいだろう。
 金子兜太氏は終戦時に海軍主計中尉として、トラック島で200名の部下を指揮していたということだ。正真正銘の戦争体験者である。餓死者が相次ぐ中で奇跡的に生存し、終戦から一年半後の1946年末に帰国した。帰還後は古巣の日本銀行に復職し、そこで55歳の定年まで、淡々として地方転勤もこなしながら、学生時代からの句作を続けていたという。
 俳人としては、定型や季語にとらわれない「前衛俳句」の旗手となり、俳句にも「社会性」があるべきことを説いた。今回知ったのだが、以下のような句を残している。

曼珠沙華どれも腹出し秩父の子(1955年)
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく(1961年)
彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン(1961年)
人体冷えて東北白い花盛り(1968年)
暗黒や関東平野に火事一つ(1971年)
梅咲いて庭中に青鮫が来ている(1981年)
夏の山国母いてわれを与太という(2001年)

 池田幸一さんもそうだったが、戦争体験の当事者たちは、次々に現世を去って行く時を迎えている。去る者は、もう余計なことは言わない。ただ書いたものを通して言いたかったことは残している。残っている私たちは、そこから「何をすべきか」を汲み取るしかないのだ。
 「許さない」と言われたアベ政治は、きょうも猛威を振るっているが、84歳の老体は、寒さの中に外へ出て行くつもりはない。それでも心の中には燃えるものを絶やしていない自負はある。だから……

 許さじと思う心に春を待つ



オリンピックの終了まであと5日

 テレビも新聞も、連日独占しているようなオリンピックだが、いつまで続くのか少し心配になって調べてみたら、この25日が最終日だった。
 冬のオリンピックは、夏の近代オリンピックから28年遅れて1924年から始まったというから、その歴史は案外に古い。そして1992年までは夏のオリンピックと同じ年に開催されていたものが、1994年のリレハンメル(ノルウェー)から、2年ずらして夏季大会と2年おきに開かれるようになったということだ。
 今年の冬期オリンピックでは、スケートボードのハーフパイプなどという目新しい競技も見られた。冬期の競技種目は、毎年一貫して増加を続け、今年の平昌(ピョンチャン)ではついに100種目の大台を超えた。1998年の長野大会では68種目だった。種目が増えればそれだけメダルの数が増えるわけだから、史上最高のメダル数獲得といっても、少し割り引いて考えたほうがいいかもしれない。
 ジャンプ台にしてもハーフパイプにしても、競技のための施設づくりも大変だろうと見ていて思った。ハーフパイプは恒久施設として残るのだろうか。選手の練習のためにも施設は必要だろうから、たぶん設備投資は一度で使い捨てにはしないだろう。
 開催国にとっては負担も軽くないオリンピックだが、でも、オリンピックは平和の祭典である。選手は死力を尽くして能力を開花させるが、それは競争ではあっても戦争ではない。競技が終れば、ライバル同士が抱き合って互いを讃えることさえできるのだ。オリンピック憲章は、スポーツの実践を「人権の一つである」と規定している。
 人間の闘争心は、運動競技によって昇華され無害になるという説がある。より確実な殺人や、より強力な破壊力を求めて止まない「軍事力の充実」を図るよりも、スポーツの振興で愛国心を満たす方がずっといいに決まっている。オリンピックへの注力を、戦争を減らすためのプロセスの一つと考えれば、お祭り騒ぎも許せるかと思えてくる。

芥川賞の二作品を読んでみた

 今年の芥川賞を受賞した二作品、「百年泥」(石井遊佳)と「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子)を、それに付随する「選評」や「作者の言葉」を含めて一通り読んでみた。それぞれに面白くて楽しみながら読めた。受賞者は両方女性だったが、女性だから書けたと思ったのが、先に読んだ「おらおら……」だった。遠野の方言で書かれていて、釜石への震災取材の帰りに遠野で途中下車して聞いた「語り部」の姿とも重なり、なにやら懐かしい気がした。人が年老いて、過去の人になって行く。その最後は誰でも一人で行くのだ。
 しかし桃子さんには子どもを産み育てた経験がある。そして先祖から延々と伝わっている「子供を産んで育て」てきた女たちの歴史の記憶がある。だから一人で死ぬことがわかっていても、決してそれで終りにはならないのだ。私はこの作品の末尾の、申し分のないラストシーンを読みながらも、まだ続きがあるような気がして、最後のページの紙を指で強くつまんで、こすってみたのだった。
 桃子さんには早死にした夫がいて、その設定は著者の実人生と重なる。そして女性にとっての夫の記憶とは、たとえ子供が残っているとしても、妻をなくした男とは比べようもなく深いものだろうということを、私は前後の脈絡もなしに考えていた。
 「百年泥」も面白かった。南インドの大河が氾濫して、橋の上に百年間の泥が堆積し、その中身と現世の人が自在に往来するという奇想天外の設定をしている。著者は若いころに見た原風景を、いつか書かなければと温めてきたということだ。なにしろインドという大国の百年間が堆積しているのだから、話題にはこと欠かないし、われもわれもと発言したい人はいくらでもいる。さまざまな言語が飛び交うのだが、相手に通じるがどうかも出たとこ勝負である。
 そういう名状しがたい混沌だが、そこは洪水のあとの橋という特殊な場所なので、物見高い人たちが後から後からと詰めかけてくるのだ。その橋を、人を搔き分けながら通勤のために歩いて会社へ行くという設定で全体が構成されている。
 今回の受賞者は、いずれも若い人ではなく、人生経験を積んだ女性たちである。芥川賞というと鮮烈な新人のデビューというイメージがあるが、こういう「片隅にいた人」を発掘して紹介してくれるのも、大事な役目だと納得した。

総合雑誌は面白すぎる

 本当に久しぶりに「文藝春秋」の最新号(3月特別号)を買ってみた。「芥川賞受賞二作全文掲載」と書いてあったし、独身で実家にいた昔は毎月のように読んでいたことを思い出して、少し懐かしい気分もあった。価格は980円もするのだが、600ページ近くもあって、ふつうの新書版の新刊書なら6冊分ぐらいの活字量がありそうだ。
 パラパラめくりながら眺めると、手触りは昔と少しも変らない。少し厚くて重いかな、と感じる程度である。そして肝心の中身の構成なのだが、これが感心するほど記憶にある昔の「文藝春秋」そのままなのだ。著名人のコラムから始まって、ちょっと興味を引かれるような話題が、関連する人たちの執筆によって要領よく記事になっている。それらを眺めているうちに、何か妙な既視感があった。それも、昔の記憶ではなくて、最近の経験なのだ。
 少し考えたら、すぐにわかった。これは「ネットサーフィン」と同じなのだ。デフォルトで出て来るmsnのニュースタイトルを入り口として、面白そうな話題があればその中身を読んでみる。期待通りに面白いと思えば、さらに関連した記事や資料や、あるいは寄せられているコメントを読んでみることもある。ただし、ネットにしかない機能としては、定期的に訪問する「ブログ友」などがあるのだが、こちらは文通する友人関係に近いかもしれない。
 話を本筋にもどすが、文藝春秋がネットサーフィンの代替品(あるいはその反対の関係)になるというのは、目からうころ的な発見だった。だからこの数十年の間は、文藝春秋を買わなくても、少しも不便を感じないでいられたのに違いない。そして、その習慣が当り前になった今の感覚で見たら、「文藝春秋は面白すぎる」と感じたという、ことの顛末であったわけだ。
 速読を特技としている私ではあるが、今月号の文藝春秋を、3日では読み終らないと思う。かといって新聞のように、おもな見出しだけ読んで通り過ぎるにしては、読みたくなる記事が多くありそうな気がするのだ。ふつうならこれは「お買い得」感になるべきところだが、たかが一冊の雑誌に3日も取られるのは時間がもったいないという感覚がある。
 つまるところ、私は「娯楽(ひまつぶし)としての読書」を楽しめなくなっているのかもしれない。何かの役に立つとか、知らなかったことがわかるために読んできた傾向があると思う。だとすると、この文藝春秋は、「読む楽しさの復活」になるのか、「ひまつぶしの後悔」になるのか、果たしてどっちだろう。
 

「本当の戦争の話をしよう」を読む

 「本当の戦争の話をしよう」(ティム・オブライエン著〜村上春樹訳〜文芸春秋社1990年)を読んだ。ほとんど題名だけに引かれて図書館で借りてきたのだが、ここで描かれている戦争は、著者が体験したベトナム戦争である。ベトナム戦争で「本当の戦争」がわかるのかというという抵抗感はあったが、ふつうに大学を出て社会人になるつもりだった青年が、徴兵のくじ運が悪くて戦場へ連れて行かれた。今の若者には、そういう形での戦争参加が多いのだろうと納得した。
 ベトナム戦争は、敵がほとんど姿を見せない非対称の戦争だった。現地にいる住民は、少なくとも協力的な「味方」ではないから、誰のために戦っているのかはわからない。わかっているのは、ともかく戦友を守るために戦わなければならないということだけだった。
 しかしアメリカ軍とは、なんと贅沢な軍隊なのだろう。戦死者や負傷者が出れば、直ちにヘリが収容に来てくれる。物資の補給も万全だから、前線での食事にもデザートやタバコがついている。それでいて、兵隊は常に予期せぬ狙撃や巧妙に仕掛けられた地雷や落とし穴を警戒していなければならないのだ。敵の存在さえ確認できれば、直ちに砲撃や空爆で吹き飛ばすことができるのだが、そんな機会はめったにない。念のために村落を焼き払ったりする 。
 上層部も現地の地理に明るくないから、どうしようもない沼地に進出を命じたりする。そこへ予期せぬ豪雨が降ってきたりする。そんな戦地の描写の中に時たま「日本での休養」が天国のような全員のあこがれとして登場するのが印象的だった。
 主人公である著者には、故郷に残した恋人がいた。その人は、あまりにも若い子供のうちに死んでしまった。そこで著者は「死者の命」ということを考える。この本の全体は、それを考えるための小説だったのだ。最後に出てきた彼女は言う「私は……誰も読んでいない本の中に納まっているような感じだと思う……だからただ待つしかないわけ……」
 著者はアイイスケートのイメージでこの本を締めている。暗闇の中でスピンしジャンプして、30年後に降り立つのだそうだ。小説を書いて命を救うとは、そういうことだ。昨夜は羽生結弦という一人の男が、氷の上に永遠の命を刻んだと言ってもいいかもしれない。
 
 

連合の「政策・制度推進フォーラム」設立総会に行ってみた

s-IMG_1299

 昨日は久しぶりに会社の取材チームと前後して、連合が立ち上げた「政策・制度フォーラム」の設立総会に行ってみた。会場の憲政記念館会議室は、超満員の盛況だった。きょうの朝日新聞は、第2面のベタ記事だが「各党幹部が一堂に会した」と書いている。連合が接着剤となって、分裂している野党勢力を共通のテーブルにつかせようとする試みである。
 連合としたら、利益代表として活動してくれる政党は一本化して強くなってくれるのが望ましい。ところが政党にはそれぞれの事情があって分裂したのだから、簡単には統一という話にはならない。さらに連合傘下の労働組合にもいろいろな成り立ちの事情があるから、自分の組織内の政治家を応援するのと、そうでない候補者を推薦するのとでは、力の入れ方が、まるで違ってくるものなのだ。それに加えて、今は組合員の政治離れという問題もある。昔は組織内候補が出れば、組合員の家族の票も計算できるとされていたのだが、今は組合員本人の票さえも当てにならないと言われるようになった。連合という組織の集票力は、一般に信じられているほどには強くないだろうと私は思っている。でも連合700万人あまりという数字の大きさは、やはり外からは魅力的に見えるのだろう。
 それよりも私は、ゲストとして登壇した井手英策氏の話に興味があった。慶大教授の経済学者だが、民進党の大会で熱烈な応援演説をしたことがある。学者としての研究成果を、現実の政治で実現したいと言うのだ。話によると、政治への接点は前原誠司氏だったとのことで、今でも「前原先生」と呼んでいる。しかし私は、井手英策氏の経済学は、長妻昭氏の「長妻ビジョン」でこそ生かせると思っている。学者の研究成果を政治に生かす実行力の上でも、長妻昭氏のほうが、ずっと信頼できるだろう。
 井手英策氏の「日本財政転換の指針」(岩波新書)は、政治家にとって絶好の指針となる良書だった。以前に当ブログでも紹介したことがある。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55728849.html
今回の井手英策氏は、野党の分裂に戸惑いを感じているようだった。しかし連合の政策顧問として信頼されているからこそ来賓に招かれたのだろう。今の立憲民主党は、野党の第一党としては力不足かもしれないが、これから育つ本命だと私は思っている。そう遠くない未来に、長妻昭が政界の主役となり、井手経済学を武器として日本を建て直してくれることを、私は心から期待し、願っている。
 余談だが、私はかつて長妻氏をUAゼンセンの幹部に紹介したことがあるが、長妻氏は集票組織としての労働組合には興味を示さないことがわかった。それは健全で良いことであると今にして思う。本物の政治家だったら、圧力団体にもなるような応援団は要らないのだ。長妻昭は、「献金は個人からしか頂きません」と公言して、律儀にそれを実行している。

 

確定申告の季節に

(熊さん)ご隠居のところは確定申告でしょ。今年の具合はどうですか。
(ご隠居)ああ、いつもの通り連れ合いの分と二人分の「お知らせ」が税務署から来てるよ。だけど期限は3月15日だからね、いつも10日過ぎから計算を始めて間に合わせてる。今はネットを使う「e−Tax」というのがあって便利なんだ。ビルと駐車場を貸してるから、給与はなくても収入があるんで税金とは縁が切れないんだな。納税はきちんとしてるよ。
(熊)ところでさ、テレビも新聞もオリンピックばっかりだけど、国会もやってるんですよね。長妻さんや枝野さんも出てましたよ。
(隠)そうなんだよ。いい場面もあるけど、なんせ目立たないんだな。森友の問題も新しい資料が出てきた。それを「資料はすべて破棄しました」と弁解していた佐川宣寿(のぶひさ)というご仁が、なんと今は出世して国税庁の長官に納まっているんだよ。野党が「更迭しろ」と要求しても、政府は「有能な人だから」と弁護してる。ごまかし上手だからねと皮肉を言ってやりたくなるよ。確定申告も「資料はすべて破棄した」で済めば、うんと楽になるんだが。
(熊)今の政権には、遠慮ってものがないんですかね。国民感情を考えないのかな。
(隠)数におごって「わが世の春」のつもりでいるんだろ。それに悪乗りしてるのがNHKだと思うよ。地デジでもBSでも、やってるのはオリンピック一辺倒だ。オリンピックの関連でありさえすれば、メダルを取った選手の地元からの中継なんかも入れて念入りにやってる。私はいつもはCMがわずらわしくて民放はほとんど見ないんだが、昨晩は一般のニュースは民放で見ていたよ。オリンピックが悪いってんじゃないが、冬のオリンピックは以前はもっとあっさりしてたと思うよ。新しい競技が増えて人気があるにしても、それにしても、だよ。
(熊)ふつうの人はあまり考えないで、テレビは、やってるものを見てますからね。
(隠)なんか世の中から「バランス感覚」というものが無くなって行く感じがあるな。大衆迎合的と言ってもいい。みんなが見たがるから見せてやるというだけだ。テレビ局は報道機関でもあるわけだよ。人気がなくても知らせなければならない情報もあることを、局の人間は知っている筈なんだ。毎晩7時のニュースなんていう定例化している番組は、あまり崩さずにやるべきだと思うよ。

こんにゃく座の「天国と地獄」を見た

 オペラシアターこんにゃく座公演「天国と地獄」(俳優座劇場・18日まで)を見てきました。チラシには「言語道断」「緊急事態」「地獄極楽」「抱腹絶倒」の文字が躍っています。今回はオッフェンバックの原曲も、クレミューとアレヴィの台本も生かした上で、台詞・訳詩・演出を加藤直が担当することにより、非常にわかりやすい上に「こんにゃく座らしい楽しさ」を乗せた舞台になっていました。
 舞台装置からして、全体が巨大な額縁に納まっているのに、その額縁が三次元的に歪んでいるのですから一筋縄では行きません。私は休憩時間中にも見に行って構造を解明しようとしたのですが、理解不能のままに終りました。その「枠づくり」を芝居として見せるのが世論(せろん)と与論(よろん)を名乗る二人の役者で、客席との間を自在に歩き回りながら芝居をかき回して行くのです。
 解説によれば、原作は「地獄のオルフェ」だったそうで、ギリシャ時代からある、死んだ愛妻を地獄まで追っていく話だったとのこと。後ろを「見てはいけない」の禁忌を破ると、すべておじゃんになるのは日本の神話とも瓜二つです。それにしても、この喜劇の題名を「天国と地獄」と翻案したのは、戦前の浅草オペラの大手柄だったと思います。
 こんにゃく座の「天国と地獄」では天界のゼウスと冥界のプルートが登場します。ゼウスに全能らしい権威がまるでなくて、気弱に女性への未練をさらけ出したりします。つまるところは、神様も人間も、天国も地獄も、絶対的な区別などは何もないのです。そこには権威を打ち壊す反骨精神さえも感じられません。萩京子氏が解説で「2018年の『今日』をも笑い飛ばすことができるのが、この作品のちからづよいところです。」と書いている通りです。
 こんにゃく座のオペラというと、これまでは深く人生を考えさせるようなものが多かった気がするのですが、今回は正真正銘の「見ているだけで楽しめるオペラ」でした。ただし、「もう笑うしかないなあ」と言ってしまうのは、少し考え過ぎでしょうか。



ブログ連歌(504)

10059 排除しないハズが いつの間にやら排除され (獣医さん)
10060  因果応報 盛衰輪廻 (建世)
10061 すぐしぼむ 仮想通貨の あぶく銭
10062  儲けたつもりが 落語のように (建世)
10063 グルジアが いつの間にやらジョージアに (獣医さん)
10064  国名変れど 故郷は同じ (建世)
10065 幽玄の 赤き月見る 身の寒さ (みどり)
10066  ほど良き高さ 雲も無かりき (建世)
10067 アナウンスは 電車の遅れを何度も謝って
10068  しょぼ降る霙程度で 首都圏混乱し (獣医さん)
10069 小型核  トランプ正気か 春寒し (建世)
10070  核使用の ハードルうんと下げ (獣医さん)
10071 生きること 危うきほどの 深き雪 (みどり)
10072  「白魔」という語 昔ありけり (建世)
10073 生活困窮者 住む場所求め火に追われ (獣医さん)
10074  軍事費ふやし 保護費減るのみ (みどり)
10075 美女軍団に微笑まれ 経済封鎖も戸惑って (獣医さん)
10076  五輪大事と よきに計らう (建世)
10077 戦争で 南北分かつ 歴史あり (みどり)
10078  わが近代史 責め無しとせず (建世)
10079 廃棄した書類が 300枚も出てきたよ (獣医さん)
10080  そっと出しても あるものはある (建世)  

池田幸一さんの訃報を聞く

 以下は東京新聞WEB版による簡潔な訃報です。
 池田幸一氏(いけだ・こういち=シベリア抑留者支援・記録センター世話人)10日、老衰のため死去、97歳。京都府出身。葬儀は近親者で営む。喪主は長男節(たかし)氏。
 第2次世界大戦後に旧ソ連に抑留され、48年に帰還。元抑留者への給付金支給を定めたシベリア特別措置法の立法運動に尽力した。(引用終り)

 今回の訃報で、死因が単に「老衰のため」となっていたのが印象的でした。いのちを燃やし尽くした昇天のイメージがあります。それと同時に、戦争の直接の体験者である人たちの世代が、いよいよ退場の時を迎えていることを、否応なしに実感させてくれました。
 池田幸一さんについては、当ブログの「カテゴリー別アーカイブ」の中に「no more war 池田幸一メール」の項が立ててあり、そこに31本の記事があります。その中でも、特にご紹介しておきたいのが「今こそ自主独立を」と題した昨年1月24日の記事です。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55720584.html
 ご自分のシベリア抑留生活を基盤として、日本および日本の政府、そして個々の日本人が作り出す集団や組織について、鋭い批判精神に基づいた提言を放ち、自主独立の精神をもって立ち上がるべきことを説いていました。あれほどの犠牲を払ったにもかかわらず、深い反省も学習もせずに、再び同じ過ちに向かって行きそうな日本政府の今の舵取りに対して、疑問と警告の言葉を絶やすことはありませんでした。
 「戦争の語り部」という言葉がありますが、池田幸一さんは正真正銘の体験世代であり、私のような受身の「空襲体験」などとは、やはり格が違うのです。たとえば上記の記事の中には、こんな部分があります。
(以下引用) 
なぜ大恩ある中国を疎外し、アメリカの手先になって中国包囲網に汗をかかねばならないのか? 西洋の功利に比べ東洋の道義の方が付き合い易いのではないか。トランプ時代の到来をチャンスに、せめて米中等間隔のスタンスに立てないだろうか、……
(引用終り)
 池田幸一さんの提言は、すぐ明日からでも、日本の進路を導くような内容の高さを持っていました。

望月衣塑子の「新聞記者」を読んだ

s-IMG_1298

 東京新聞・望月衣塑子(いそこ)記者の新刊「新聞記者」(角川新書)を読んでみた。新進気鋭の若い人のようなイメージがあったのだが、1975年生れの、今年の誕生日で43歳になるベテランだった。すでに2児の母で、同業の夫君と安定した家庭を築いている。まさに働き盛りの「書ける人」だと思った。キャリアを積む中で、大手マスコミに引き抜かれるチャンスもあったようだが、小回りのきく東京新聞にいたことで、かえってのびのびした活躍が出来ているのかもしれない。菅義偉(よしひで)官房長官が取り仕切る「行儀のよい」定例記者会見に乗り込んで、何度でも手を上げて「東京新聞の望月です」と食い下がったことで有名になった。
 だが本人の感覚では、納得できる回答がないから何度でも聞かなければならなくなるのだ。それをしなかったら新聞記者じゃないという自負がある。記者クラブが仕切って質問を事前に届けるような馴れ合いの記者会見のほうが異常ではないか。これを裏返せば、今の新聞で本来の新聞らしい役割を果たしているのは、東京新聞だけということになる。政府にとって「話のわかる」新聞ばかりになったら、ますます政府の広報機関に近づいてしまうだろう。
 私の父も昔は徳富蘇峰の下で「国民新聞」の腕利きの記者だったと聞いている。記者としてなら、どんな偉い人にも平気で会いに行くが、個人的な縁故を結んで利用することは決してなかったと誇りにしていた。その教えは、私がNHKに在職していた間に役に立った。
 また、この本では事件記者として警察から情報を貰う駆け引きも述べられていて面白かった。プロ同士が、時には協力し合い、時には騙し合いもしながら、それでも真実を求めて理解を深めて行くのだった。新聞記者は、新しい情報から事件の解決を助けることもあるのだ。
 この本を読みながら、この著者は「書ける人」だと思った。記者だから書けるのは当り前なのだが、もっと大きな問題、たとえば日本の進路はどうあるべきかといった問題についても、書いて貰いたい気がしてきた。つまり、記者としての筆の確かさはわかったから、もう一段上、つまり論説委員的な言説も聞いてみたいということだ。
 新聞記者が「よい記事」を書きたいと思うのは、この国を「よくしたい」と思うからだと私は考えている。望月記者には、これからも「よい記事」をたくさん書いてほしいのだが、その先で「この国は、どうしたら良くなるか」という提言も書いて貰いたいと思った。

記憶されない重大ニュース

s-IMG_1297

 これは2月9日夕刊と、10日朝刊のトップ見出しを並べたものである。朝日新聞だからこれを連続して1面トップに持ってきた。日付で言うと、おととい夕刊と、きのうの朝刊である。しかし、これを重大ニュースとして記憶に刻んでいる人は、私を含めて、どれくらいいるだろうか。このところテレビにはオリンピック関連の映像が流れている。北朝鮮の要人が平昌(ピョンチャン)に現れたというオマケもついている。それに対して、このニュースは「絵にならない」のだ。
 でも考えたら、森友問題は安倍政権の運命を左右する重大事件だった。なにしろ首相自身が「私にしろ妻にしろ、この件にいささかもかかわりがあったとすれば、それはもう、総理大臣も国会議員もやめます」と断言しているのだから。
 この件に関しては、いろいろと不可解なことが多い。事情に通じていると思われる籠池夫妻が、補助金の不正申請という、言わば「別件」で逮捕されて長期にわたり隔離されているのも不自然である。
 だからといって私に特別な調査能力があるわけではない。この種の問題に深入りする義理も意欲も持ち合わせてはいない。それでもなお、「何があっても、おかしくはないなぁ」という感覚は働くのだ。こういう文書を提出するにしても、わざわざ目立たないように、他のニュースに埋没するであろうタイミングを見計らって出したのは、なぜなのだろう。誰かの「忖度」が影響しているのだろうか。
 ことは国有地の売却にまつわる官僚の動きである。どういう動機でどのように動いたのか。資料はもちろん豊富な方がよい。官僚の動きの向う側に、政治家の影が浮かんでくるだろう。直接に責任を取らせることが今回はできないにしても、未来への抑止力として、事情はなるべく明らかにするのが望ましい。 

憲法論議を複雑に見せる悪企み

 日本国憲法をどう思うかと聞かれたら、私なら「今のままでいい」と答える。問題はむしろ、いろいろな面で憲法の理想が、今の日本では実現していないところにあると思っている。その意味で私は自分を「護憲派」だと思っている。
 その一方で、憲法を「みっともない」「なんとか変えたいと」思っている人たちもいて、「改憲の必要性」を論じている。そして、その改憲案については、おもに憲法9条と自衛隊の関係について、いろいろな案を出してきている。その結果として、世論調査が以前よりも複雑になってきていると伝えられる。つまり回答を求める選択肢が増えてきているのだ。
 以前は「憲法を変えるべきだと思いますか」という、単純な世論調査が多かった。そしてこの時代には、「変えなくてよい」が常に「変えるべき」よりも多数派だった。ところがここに「どちらとも言えない・わからない」という選択肢が加わって3択になってからは、「変えなくてよい」が過半数でなくなってきた。この3択の世論調査は、毎日新聞が最初だったと言われる。
 さらにここに「自衛権と自衛隊の存在を明記する」「第9条の2項(戦争の放棄)は維持する」「第9条2項を削除する」などの案を加えると、調査の選択肢はますます増えて複雑になってくる。そうなると、当初の「今のままでよい」が、全体の中では少数派の印象になってしまうのではないかと心配する識者が出てきているのに気がついた。
 世論調査は、たしかに便利な方法で参考にもなるのだが、質問の組み立て方によっては一定の方向への誘導が、ある程度可能になる。たとえば「日本周辺の国際情勢は緊張感が高まっていますが」といった枕詞をつけてから自衛権の問題を聞かれたら、「今のままでよい」という答えは減るのではなかろうか。
 これから国会では憲法論議も始まるだろう。衆参両院で憲法改定発議のできる3分の2を確保している政権与党は、改憲案の具体化を急いでいる。発議されても国民投票で過半数を与えなければいいと安心していては危うい。発議する側は全力をあげ、世論調査の何倍もの力を入れて、「世論」の形成を図ってくるに違いないからだ。
 

ヘリコプターはよく落ちる?

s-IMG_1296

(熊さん)近ごろヘリコプターの事故が多くないですか。ふつうの飛行機に比べて、落ちやすいんだろうか。
(ご隠居)そうさな、ウィキペディアに出ていた資料によると、飛行回数あたりの事故率は、ヘリコプターは140倍だと書いてあったよ。飛行機には長い伝統があって安定した技術だから、今では旅行距離あたりの安全率は、どんな乗り物よりも良くなってるんだね。自動車はもちろん、鉄道よりも安全なんだよ。その中でヘリコプターは、飛行機の仲間とは言っても飛ぶ原理が全然違うから、安全率も違ってくるんだな。
(熊)そうでしょうね。飛ぶとこを見ても、回転翼が止まったらストンと落ちるのはわかりますよ。
(隠)そうでもないさ。エンジントラブルがあっても、オートローテーションという機能があって、竹トンボのようにゆっくり降りてくることも出来るんだよ。ヘリコプターの操縦士は、必須の科目として練習しているそうだ。ただしその割には、ヘリがトラブルを避けてオートローテーションでどこかへ不時着したという話は、あまり聞かないような気がするな。事故の場合はたいてい墜落で、人も犠牲になることが多いんじゃないだろうか。
(熊)今度の場合は、空中で回転翼が外れたってんだから、どうしようもないですよね。
(隠)整備の基本が出来てなかったということだな。部品を取り替えたばかりだってのが、かえって気になる。作業の工程管理のどこかに欠陥があったんだろう。厳しい見直しはしてるだろうが、平時でこれでは、緊急出動の場合なんかどうなのか、気になるよ。災害救助なんかでも活躍する自衛隊のヘリだから、余計にそう思う。
(熊)話は少し違うけど、先ごろは「墜落」か「不時着」かという論争がありましたね。
(隠)そうそう、沖縄でアメリカ軍のオスプレイが海岸に墜落して、大破・水没したのに、日本政府はアメリカ軍への思いやりで「予定外の着陸をした」と発表したんだね。パイロットが意識的に場所を選んだから「墜落」ではないという理屈だった。あの時は、そのうち「止むをえず民家の上に着陸した」なんて言い出すぞと皮肉を言った人がいたっけ。
(熊)冗談を言ってる分にはいいけど、軍の基地があれば、そんな危険もありますよね。
(隠)そうだよ、民家のすぐそばにアメリカ軍基地なんて状況は、まともじゃないよ。一日も早く撤退してもらうしかないさ。無条件に、だよ。

新聞休刊日に思うこと

 きょうは新聞休刊日なので新聞が来ない。いつもの朝食時の新聞がないから、朝の時間がちょっと手持ち無沙汰になる。ぼんやりテレビを眺めながら、どうしてテレビには休日がないのだろうと考えたりする。新聞の休刊日については、以前に少し調べてみたことがあって、おもに新聞販売店を休ませるためということだった。日本の新聞は宅配が主流になっていて、販売店の意向というものが、かなりの力を持っているようだ。販売拡張の先兵になるのが販売店で、時々見本紙がポストに入っていて、しばらくすると購読の勧誘が来たりする。
 アメリカへ行ったときは、分厚い新聞が街頭で盛んに売られているのが目についた。宅配の料金が高いのかどうかは知らないが、新聞は街頭で買う人が多いと聞いた。日本では新聞は家に来るものと決まっているから、家庭婦人を意識した編集もけっこう多いのだが、アメリカの新聞は、あまり家庭向きには作られていないのかも知れない。
 それにしても、新聞には手ざわりからして人間臭さがある。活字や写真の並べ方でも、それを作った人間の息遣いが感じられるのだ。私は業界新聞の記者や割り付けをしていた時代があるからかも知れないが、朝の机で一目見たときの印象から、作り手の「気合」のようなものを感じることがある。その新聞の性格も、その「顔つき」に、何となく出てくるものだ。
 ところが今は「忖度」の世の中である。新聞が政権の顔色をうかがって、批判精神を忘れているとも言われる。そういう不満には大いに根拠があると私も思う。挙国一致、大政翼賛に近づいていると言われてみれば、そのようにも見えてくる。その悪しき実例は、戦時中の「戦争協力の道具と化した新聞」の姿だろう。当時は、どの新聞も同じようなことしか書かなくなっていた。
 今の新聞で辛うじて個性を感じられるのは東京新聞だろうか。日経をやめて東京新聞にしたのは正解だったと思っている。一日休んだだけでも、きょうの夕刊、あすの朝刊は、新鮮な気持で読めるかもしれない。

 
記事検索
プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ