志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2018年05月

核あればこそ隅には置けず

(熊さん)米朝の首脳会談が開けるかどうか、微妙なとこみたいですね。
(ご隠居)そうさな、中止だとか言って牽制してみたり、アメリカはだいぶ気にしてるみたいだ。アメリカとしたら、小さな貧乏国の北朝鮮を相手に、大統領が会談に出て行くなんてのは不本意なことだろうよ。本当に使い物になったかどうかわからなくても、核もミサイルも完成したと言われたら、無視するわけには行かないんだ。 
(熊)北朝鮮も苦労したろうけど、やっぱり作戦勝ちですかね。国連決議も無視して開発を続けたおかげで、アメリカにものが言えるようになったってことですよね。
(隠)そこは難しいところだな。話し合いが成り立って互いに不安感が消えてさえいたら、そもそも核を持つ必要もなかったわけだよ。でも今それを言ってもしょうがない。6月12日にシンガポールで首脳会談という予定は消えていなくて、そこへ向けて調整中というから、まずそれを実現することだね。国の最高責任者同士が、義理であろうと握手を交わして話し合うというのは、それだけでも充分に意味があるんだ。相手が危険な怪物じゃなくて、話の通じる人間同士だってことが実感できるからね。
(熊)核さえなかったら、北朝鮮は本当の小国ですよね。
(隠)それはそうだ、まるで相手にならない。アメリカは、どんと構えて無視していたっていいくらいだ。ちなみに、世界の軍備ランキングってのを見たんだが、日本は7位で韓国が11位、北朝鮮は23位(Global Firepower:2017年による)になってたよ。10位までは、アメリカ、ロシア、中国、インド、フランス、イギリス、日本、トルコ、ドイツ、イタリアの順になってる。日本はいつの間にか、意外に軍事大国になってるんだね。

戦争には「止めどき」がある

 朝日新聞の「天声人語」で、沖縄戦で日本軍の司令部が本島南部の摩文仁へ撤退したのが、きょう5月27日だったことを知った。このあと1ヶ月足らずの6月23日に組織的な戦闘は終るのだが、12万にものぼる県民の犠牲者の4割は、この1ヶ月に集中しているということだ。もし日本軍が陣地を死守して玉砕していたら、その後の戦闘はアメリカ軍にとっての掃討戦となり、住民の犠牲はずっと少なくて済んだことだろう。当時は沖縄は本土を守るための防波堤と考えられていたから、死力を尽くして戦い、少しでも長く時間稼ぎすることが使命と考えられていたのだ。
 戦争は暴力の対決だから、均衡が破れて一方が優勢になると、負ける側の被害が一挙に拡大する。だから負けそうな戦線からは早めに兵力を引き上げるのがいいのだが、日本軍は世界でもまれな「上手な負け方を知らない」軍隊だった。絶海の孤島にろくな補給もなしに放置された守備隊は、圧倒的な戦力で攻撃してくるアメリカ軍への対抗手段を持たず、次々に非人道的な「玉砕」をさせられたのだった。
 日本にとって幸いだったのは、太平洋戦争の終結が、本土への敵軍上陸の前に成り立ったことだった。これにはナチス・ドイツの降伏が先行したことが関係している。同盟国だったドイツの降伏で、日本は全世界を敵に回す形となり、誰が見ても勝ち目はなくなった。そこへポツダム宣言で、日本への降伏勧告が出た。内容は受け入れ可能な温和なものだった。惜しむらくは手続きを誤り手間取った間に、原爆の投下とソ連の参戦という二つの災厄を招いたことだが、ともかく国家の意志としての降伏を実行できたのだった。
 今の世界にも、あちこちで戦争の可能性がくすぶっている。しかし、かつてのような長期間の「総力戦」を予想する向きは少ない。おそらく、ごく短期間で決着はついて終るだろう。大量破壊兵器は、もっぱら「抑止力」として作られているからだ。それにしても、戦争は「始める前に止める」のがいいに決まっている。
 

ブログ連歌(513)

10239 夏日きて 吹く風肌に 心地よし (建世)
10240  空碧くして 小鳥飛び交う (緑)
10241 開発と 異常気象が 相まってか
10242  街角あちこち 鶯が鳴く (うたのすけ)
10243 この道を 君は走りて バス追いぬ
10244  わが妻となる 若かりし日 (建世)
10245 スミちゃん去り ボインも追って
10246  訃報にいつしか 耳慣れて (獣医さん)
10247 ここに来て 米朝会談 足踏みか (うたのすけ)   
10248  核持たざるは 世界の理想 (みどり)
10249 日大は 選手の純情に 救われて
10250  幹部の無能で 評価を落す (建世)
10251 日大は 日大一家と 呼称替え (うたのすけ)
10252  以後の出入りは きつくご法度 (建世)
10253 モリカケ問題 国会を一年半空転し (獣医さん)
10254  辻褄合わせに 廃棄と改ざん (建世)
10255 よくもまあ 与野党共々 飽きもせず (うたのすけ)
10256  捨てては置けぬ 疑問があって (建世)
10256B  疑問に至らぬ 己の無知よ (うたのすけ)
10257 忙しなや 晴れのち雷雨 北朝鮮 
10258  夢見る間なく トランプ抜けた (建世) 
10259 大学の 抑圧進み 意思封ず (みどり) 
10260  ない袖振れず 怒りは解けず (建世)    

事件には「核心」と呼べる部分がある

 他に大事なニュースもある中、突如としてトップニュースになってしまった日大アメフト事件で、深入りするのは本意ではないのだが、気になって各種の論評を見た中で、msnニュースの「東洋経済オンライン」に出ていた木村隆志氏の記事で紹介されていた「関学大OBの有馬キャスターが見せた配慮」という一文が、一つの救いのように思われた。(以下引用)
 「最初に反則をしたプレーで、(プレー終了を伝える審判の)笛は聞こえていましたか?」と尋ね、宮川選手が「(相手の選手が)投げ終わっていたのは気づいていました(プレー終了は認識していた)」と答えると、落胆を隠さなかったのです。有馬さんは、「プレーが終わっていたということは、認識していたと……(言葉を飲み込んで)。わかりました。ありがとうございます」と質問を誰よりも早く終わらせました。……(引用終り)
 これで何がわかるかというと、日大選手の行動が弁解の余地のないルール違反であり、それを知りながらあえてそうせざるを得なかった本人の苦しさと、それを強制した監督・コーチの罪の深さが浮かび上がってくるのだ。このインタビュー会場では、すでに本人はマスコミによる「日大アメフト部の体質」を暴こうとする追及で、拷問状態に追い込まれていたという。結論ありきの誘導尋問では、本人を苦しめる以外の効果は何も期待できない。
 日大という大学の評価がどうなるかは、当事者の危機管理能力でこれから決まってくるだろう。しかし、まだ学生で運動部の支配下にある若者の未来は、大人の知恵で守らなければならない。マスコミは一時の情感を煽り立てるのではなく、本来の使命である国政の監視などに遺漏がないよう、そろそろモードを切り替えてほしいものだと思う。 
 

かんじゅく座公演「みのりの畑」を見た

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 「60歳以上のシニア劇団」を名乗っている「かんじゅく座」の第12回公演、「みのりの畑」(中野駅南口・「ザ・ポケット」にて、27日まで2チームで交互に連続上演)を見てきました。作・演出の座長は、自ら演技者でもある(今回は出演なし)鯨エマさんです。今回の作品は、題名の通りに、農と食の問題に正面から取り組んだ力作でした。この作品のために、座員は稽古場の続き地を借りて、本気の農業体験をしたということです。
 劇のあらすじとしては、両親の不仲で夏休みの家に居づらくなった中学生の娘が、いなかの伯父伯母の家で暮らすことになり、そこでいろいろな出会いを経験して、本当の「食べ物のおいしさ」を知るという流れです。親しんでいたおばあちゃんが、いつの間にか認知症が進行していて、老人介護の問題が自然な形で登場してくるという展開も用意されていました。
 現代人の不安感は、たぶん人工物に取り囲まれて、自然との接点を、観光目的以外では、主体的対象として失っているところに根源があるのです。だからこそ、土に手を触れ、トマトを枝からもいで食べるという行為が、最上の解毒剤になるのでしょう。
 これは余談的なのですが、認知症のおばあさんを風呂に入れるのに、抵抗されて手こずる場面がありました。それが、昼の入浴ではだめだったのが、夜になったら、すんなり自分から入ると言うのです。おそらく長い人生経験を通して、お風呂は夜に入るものだったのでしょう。このあたりに、鯨エマさんの、介護者のプロとしての経験が生きているように思いました。
 高齢出産を成功させ、今は子育て現役真っ最中と思われる鯨エマさんの、これからの活動に、ますます期待したくなります。

違うようでも同根のルール破り

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 新聞の第一面にトップ記事が二つ並んだ。それぞれ違う事案の経過と結果だが、どちらもレフェリーの笛が鳴って、ルールに照らした裁きが示されたところだ。日大の、ルール破りをしたアメフト選手は、いさぎよく実名と顔をさらして謝罪し、監督とコーチから受けた指示をも隠さなかった。この勇気ある謝罪は、アメフトという競技と、おそらくは母校の名誉をも守るだろう。
 もう一方でも、レフェリーの笛が鳴って協議は一時中断したのだが、これから先の展開が予断を許さない。ルールブックが、アメフトのように明快ではないからだ。始末の悪いことに、事件本人の安倍首相が、ルールの適用を自分に都合の良いように変動させたい意向を示しているように見受けられる。素朴な心情として、古くからの友人を助けてやって何が悪いのかという思いがあるのではなかろうか。
 さらに複雑なのは、これが過去の案件で、ルールの適用がすでにが学校という形に出来上がり、そこで学んでいる学生もいるという事実である。運動競技のように、隊形をもとにもどして、間違えた前の所からやり直すということができない。攻める側も守る側も、これから頭を痛めながら議論を続けることだろう。
 しかし、この両方の事件に共通していることは何だろう。それは、「ルールは守ることに意味があるから作られる」ということだと私は思う。スポーツは、ルールがなければ、そもそも成り立たない。そして政治家は、法律の適用に個人的な影響力を及ぼさないのが、公正な執行を保障するためのルールなのだ。ところが、これが難しい。官僚の世界に「首相案件」という言葉が存在するのが、それを示している。
 こう考えてくると、ルール破りを根絶するためには、「首相案件」も言葉ごと無くして行く以外に方法はない。これから始まる国会での議論では、長年の悪弊にメスを入れる根治策を考えてほしいと思う。官僚は国民全体のための奉仕者であるという、憲法の規定に立ち返るべきなのだ。
 ルール破りは恥ずかしいことだ。それは人間同士の信頼を傷つけるからだ。もし守ることが不都合なルールがあるのなら、それを直す提言から始めるべきなのだ。安倍首相に、「首相案件」で政治をゆがめた可能性が少しでもあるのなら、認めるべきものは認めて、後世のために政治を明るくしてほしいと思う。権力をふるって不都合を隠蔽するなどは、策の下の下なることを知るべきだ。

三題話(噺)にもいろいろある

(熊さん)ご隠居もこのところ忙しそうですね。
(ご隠居)そんなでもないんだが、出歩いたおかげで、いろんなことを考えたのも事実だな。なんかね、目の前の小さな予定と、明日のことと、それがつながる未来のことが、目まぐるしく回転してた。つまり、乗る列車の時間と、久しぶりに会う親族のことと、可愛くなってきた子供の育った先の時代のことなんかを、取り止めもなく考えてたんだね。なんと、予定してた墓参りをすっかり忘れていたことに、帰りの列車の中で気がつくありさまだったよ。
(熊)ちょっと笑えるけど、それだけ充実してたんでしょ。墓参りはいいんですよ。どうせあっちで会うんだから。
(隠)あんたもだんだんペースがわかってきたな。今と明日と未来と、3段構えでものを考えるというのは、生きる基本なんだよ。それぞれに目標があると言ってもいい。人生に終りがあることを実感するようになったら、余計にそれがはっきりしてくるところがあるな。それも、自分を中心にした小さい広がりと、それより一段大きい、日本と世界についてもあるような気がする。
(熊)話がでかくなりますね。世界の未来が見えてきましたか。
(隠)うん、未来の長さが気になるな。人類が、地球の上で最大に栄えた生き物であることは確実だと思うんだ。この繁栄は、いつまで続くと思うかい。古代エジプトから数えても、たった3千年程度だよ。これは、地球の歴史から見たら、ほんの一瞬にもならないほどの短かさじゃないか。それなのに、地球上の資源を、せいぜい百年単位ぐらいのペースで消費してるのが現状だよ。私はどんなに短くても、100世紀、1万年ぐらいは生存しないと、まともに生きたことにはならないと思うんだ。そのためには、人間の文明は、消費型から持続型に変わらなくちゃならない。もちろん、戦争なんていう浪費は、もってのほかだよ。
(熊)そのことだけは、よくわかりますよ。
(隠)あんたはそれだけ知っててくれりゃいい。とにかく、今あるものを大事に使うことを考えればいいんだよ。万物は流転し循環する。この宇宙の真理に、人間の文明を、できるだけ近づけることが大事なんだ。そうして少なくとも1万年は生き続けてほしい。本当にそう思うよ。久しぶりに赤ちゃんを抱いて、ふわふわの肌にふれたら、その思いを新たにしたっていうわけさ。

静岡へ行ってきました

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 日曜日の日帰りで、静岡へ行ってきました。60年前、昭和33年(1958年)の3月14日、この停留所からバスに乗った21歳の娘がいました。たった1通の手紙で知らされた約束を守るために、家を捨て、家族と離れて東京へと向かいました。抱えていた小さな風呂敷包みには、市役所で取ったばかりの戸籍謄本が入っていました。その人が、いま私の妻です。その純情を思うと、今でも言葉を失います。
 きょうは、二人でお礼のお参りをしてきました。

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 女学生だった妻が、毎日歩いた「お堀ばたの通学路」です。自転車通学が認められる限界に近い距離で、毎朝30分も歩いたということです。
(今回の旅には、長女が同行してくれました。)
 

第16回・お国ことばを楽しむ「ふくろうの会」

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 入間市の文化創造アトリエ「アミーゴ」(西武線仏子駅)を会場とする、名物の「ふくろうの会」を聞きに行ってきました。これまでにも何度か紹介したことがありますが、東京近郊の、何でもありの「ださいたま」の雑種文化性を、遺憾なく発揮してくれるユニークな発表会です。今年のテーマは「落語・漫談」とし、佃祭(東京)、桐生の機神さま(群馬)、源氏物語(京都)、島原の子守歌(長崎)、お絹とお道(埼玉)、東北もんと九州もんの掛け合い(岩手・福岡)と、それぞれの方言を生かした出し物を競ってくれました。原形の作品はあるにしても、それぞれに自分の言葉で潤色して、ここでしか聞けない演目にしていました。半端でない勉強もしているに違いありません。
 聞いていると、日本語の多彩さ、豊かさということまで考えてしまいます。それが、学問的にどうこうではなくて、日常の言葉で個性的な会話をぶつけ合いながら、ちゃんと意味がわかってしまうところが面白いのです。ふだんは奥様然として、標準語で暮らしているであろう人たちが、一皮下にある「土着の言葉」に生命を与えると、とたんに生き生きした活力を発散するのです。
 東京で育った私には、土着の言葉というものがありません。静岡から来た父と、千葉から来た母は、家では標準語で話していました。そして、父からは、東京山の手の人たちの使う言葉が、日本語の標準なのだという思想を吹き込まれました。だから自分は、日本人の手本になる日本語を読み書き話しているというのを、誇りにするようなところがありました。それは国論を統一して強い国を作るという、当時の時代思潮を反映していたに違いありません。
 しかし今になってみると、自分には「標準語」しかなかったということが、何か頼りないような気がしてきます。べらんめぇの「江戸弁」などとも、縁もゆかりもなく育ちました。教科書に出てくるような、当り前の言い方しか知らないのです。だから逆に、標準でない「方言」に敏感になる面もあります。妻と結婚して60年になっても、微妙な「静岡ことば」の片りんに、妻との会話で気づくこともあります。
 私がいま、お国ことばの競演を心から楽しいと思いながら聞くのは、自分の中に持ち合わせないものが聞けるからでしょう。「標準語」しか知らない、使えない人もいるということを、きょう出演の皆さんは、気の毒と思って下さるでしようか。

21歳の妻が持って来た戸籍謄本

本日で、めでたく85歳になりました。次の日曜日には、妻の実家のある静岡へ行くことにしています。そんなこんなで、古いことが話題になりました。60年前の3月に、21歳の妻が「東京へ行く」ことを決断してバスに飛び乗ったとき、市役所で取った戸籍謄本を持っていたというのです。それが必要になることは、私が知らせていたのでしょう。これがあったおかげで、その週のうちに結婚式をあげ、豊島区役所で新しい戸籍を作ることができたのでした。
 私の父が、私たちの結婚に反対した理由は、「親族で血が近い」でした。ただし妻は従兄の娘ですから5等親になり、結婚が可能になる4等親よりも1段遠くなります。それでも私がこの問題を気にしなかったわけではありません。当時は「優生保護法」が生きており、各保健所には「優生結婚相談所」なるものが併設される建て前になっていました。法律書の編集でそのことを知っていた私は、地元の保健所を訪ねたのですが、実体はほとんど機能しておらず、適当な医療機関の名を教えてくれただけでした。そのうち二つの医院で、医師に相談することができました。
 最初の医師は頑固者らしい年配者で、「心配なら止めりゃいいんだ」の一点ばりで、何の役にも立ちませんでした。その次に出会った若い医師が、私には救いの神のように思われました。「遺伝で何が出て来るかは、実証されている少数の例を除いては、基本的にわかりません。いちばん大事なのは、当事者のお二人が、多少のリスクはあっても引き受ける覚悟を持つことだと思いますよ。絶対安全を医者が保障する結婚なんて、ありえないんです。」と言ってくれたのです。名前も覚えていないこの医師が、私たち家族の恩人になりました。ちなみに、このときどちらの医院でも「相談料」を取られなかったのは、これが法律に基づく「優生結婚の相談」として扱われたからでしょう。 
 ところで、この20日の日曜日、私と妻は静岡まで行って、「神明さんと浅間さんに、お礼のお参りをしてくる」ことにしています。
 21歳の小娘に、生まれ育った家を捨てさせた負い目を、私はその後の生涯で晴らすことができたのでしょうか。善良だった妻の両親は、最後には喜んでくれたと思うのですが、強引なつらい別れを経験させてしまった事実は消すことができません。私は妻の両親の墓にも、心を込めてお参りしてこようと思っています。

政治分野における男女共同参画推進法

(ご隠居)これはちょいと笑えるな。「政治分野における男女共同参画推進法」ときたもんだ。これが今日の国会で可決成立するんだと。
(熊さん)何ですかそれ。えらく長い名前の法律じゃないですか。
(隠)早く言えば、国会でも地方でも、議会に女性の議員を増やそうってことだよ。日本は世界の先進国の中でも、どん尻に近いほど遅れてるからね。
(熊)そうなんですか? 女の議員もいて、けっこう話題になってるような気がしてたけど。まだ少ないんですかね。立候補の権利は平等でしょ。
(隠)権利が平等だって、いろんな事情で結果が偏ってしまうことがある。これを結果としての不平等というんだよ。人口の半分は女性なんだから、議会に女性が非常に少ないというのは、決して好ましいことじゃない。そこで候補者を出す段階から、各政党に男女平等を意識するように促すのが、この法律の目的なんだね。もっと強力に、議会の定員の一定数を女性に割り当ててしまう方式もあって、北欧なんか平等の先進国は、これで成功してる例もあるけど、日本はそこまでする気はないようだ。
(熊)ふーん。様子を見ながら少しずつですか。
(隠)まあそんなところだ。で、さっき思い出したのは、同じようなことが雇用の分野でも以前にあったからだよ。そのときに「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」という長い名前の法律が出来たんだ。しかもその初期には「確保等」のあとに「女子労働者の福祉の向上に」という文言が入っていたんだよ。あんまり長いから、漫才仕立ての台本にして、「名前が長けりゃ効き目もあるんでしょ」「おまじないじゃあるまいし」なんて調子で教育用のスライドを作ったから、よく覚えてるんだ。雇用の分野では、あの頃から女性の進出が当り前になってきたんだね。今度は政治の分野まで、その流れが及んできたということだ。
(熊)なーるほど、時代は男女平等に向かってるんですよね。
(隠)この法律がとっかかりになって、議員にも閣僚にも、女性がどんどん増えてくれるようになると、日本もいくらかは良くなるような気がするよ。今の日本の政党で、選挙候補者の男女平等を厳密に守っているのは、「緑の党」だけなんだ。まだ夜明け前かもしれないが、政治の男女平等化は歴史の必然だと、私は思ってるよ。
 

「肺がきれいになりましたね」という診断

 2ヶ月(8週間)ごとの警察病院呼吸器科の定期診察に行ってきました。いつも通り検査は胸部レントゲンと採血ですが、前回の写真と左右に並べて、「ほら、こんなにきれいになってますよ」という説明でした。言われてみると、たしかに前回はもやもやと白っぽかった下の部分までが、すっきりとベースの黒い色になっています。患者の経過がいいと、担当医の気持も明るいのでしょう、釣り込まれて「歌の『南こうせつ』に似た感じの先生だって、ブログに書いたことがあるんですよ」と言ったら、「それは光栄ですね」と応じてくれました。
 自覚的な状態としても、ずっと安定していて大きな変化は感じませんでした。データから見ても、気になるのは腎臓の機能がちょっと悪いことぐらいだということでした。腎機能は若い頃からずっと注意点がついて、尿に血液が混じると言われてきました。自分の体のクセのようなものだと思っています。
 ただし、総合的な体力は、確実に低下してきているのを自覚するようになりました。駅のエスカレーターは、今も習慣として右側の「歩く側」(関西では、面白いことに反対側になるらしい)に乗るのですが、その歩く速度が遅くなって、急ぎの人がいるらしいときは、空いている左側に移ることもあるようになりました。
 そして今回の「肺がきれいになった」話も、だから薬を減らしてもいいのではなくて、「この調子で行きましょう」にしかならないのが残念なところです。今だったら、まだ出来ると思っていることがあります。たとえば、サッカーボールをPKマークのところに置いて、インステップで蹴ったライナーでゴールに入れたいと思います。でも今では家にボールがないのです。公園で中学生と仲良くなったら、蹴らせて貰えるかもしれないな、などと考えています。

ブログ連歌(512)

10219 拉致問題 話し合いにて 埒(らち)明くか (建世)
10219B アベさんに 囲いを破る 度量ありや (うたのすけ)   
10220  逆風つのり 視界開けず (建世)
10221 民進党が国民党へ 蒋介石もびっくり (獣医さん)
10222  八路軍は どこだどこだと (建世)
10223 出戻りて 長屋連歌の ほほえまし (花てぼ)
10224  花一輪で 長屋色めく (うたのすけ)
10225 くもり空 風寒けれど 初夏近し (建世)
10226  寒暖の差で 四苦八苦です (うたのすけ)
10226B  繁る緑葉 友垣に笑み (みどり)
10226C  ようやく桜の蕾も膨らみ 春到来 (獣医さん)
10227 列島の 季は移りゆく 花と梅雨 (みどり)
10228  今朝は晴れたり 夏日も近く (建世)   
10229 罰当り 夏陽を背なに 医者通い  (うたのすけ)
10230  これも老後の 社会貢献 (建世)
10231 募集すも 職員来ない 介護施設 (みどり)
10232  人手不足は 給与の不足 (建世)
10233 いつまで続くか 首相夫人の御乱行 (獣医さん)
10234  首相が首相で なくなるまでは (建世)
10235 国民は 首相やめろの 推進を
10236  原発カジノ 推進すとは (花てぼ)
10237 みどり風 平和行進 吹きぬける (みどり)
10238  平和の二字を 国民挙って (うたのすけ)
10238B  みどりの風に 後れ毛舞って (うたのすけ)
10239 夏日きて 吹く風肌に 心地よし (建世)
10240  空青くして 小鳥飛び交う (みどり)

ガラ カンツォーネフェスティバルと哀しみのソレアード

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 目黒・柿の木坂のパーシモンホール(小)で開催された「ガラ カンツォーネフェスティバル」を聞いてきました。日本カンツォーネ協会の主催で、構成は戸山英二さんです。87歳の現役歌手、寺本麗華さんからお知らせを頂いて行ってきました。

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 17名の歌手による華麗な舞台でしたが、その中で能利呼(Norico)さんが歌った「哀しみのソレアード」が、非常に印象的でした。以前に「ユーレイズミーアップ」の曲名でよく歌われ、私も訳詞をつけてみたものの、著作権の問題で公表が不可能になり、ブログ上からも消去した因縁の曲と、前半部分がほとんど同じように聞こえたからです。これはどういうことかと、ネット検索しながら故事来歴を調べてみました。
 この「哀しみのソレアード」は、一応の作曲者は表示されていますが、原曲の由来は14世紀までさかのぼると言われています。そして現代の権利者については、100%の創作でなくても、○○年に○○が発表した曲集に初出という形で認定している場合が多いようなのです。そう言われて見れば、日本の民謡にも、採譜した人の名が、曲の権利者として登録されている場合があります。
 しかしこれらは、一定の料金で使用が認められる場合が大半なのですが、最近の国際的なヒット曲などでは、「権利出版社」の役割が大きくなってきました。こうなると、限られた契約期間内に最大の利益を上げるのが目的なので、使用に対する条件は厳しくなります。曲が有名になるのは結構だが、無許可の曲や歌詞が流出するのは厳禁するということになります。
 その際に、ネット空間というのは、微妙な位置にあると私は思います。楽譜や歌詞が、印刷物として流通するのとは、やはり違うような気がするのです。町を歩いていたら目についた、聞こえてきた、というのに近いのではないでしょうか。私の場合も、当初の担当者は「ブログへの掲載は差し支えありません」だったのが、話が上へ行くにつれて「ブログからも削除」になったのを思い出しました。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55688225.html
 ただしこれは、「哀しみのソレアード」を聞いて、久しぶりに懐かしかったというのとは無関係な、無粋な話の一幕でした。


1 身も心も疲れ果てて

  悩みが心閉ざす

  私は息さえひそめて

  あなたの助けを待つ

    あなたを感じるときに

    私は強くなれる

    山も海も越えて行ける

    あなたの導くままに

 

2 からだは壊れやすくて

  はかない命だけど
  私だってあなたとともに

   永遠を見てみたい

    あなたを感じるときに

    私は強くなれる

    山も海も越えて行ける

    あなたの導くままに

 

原発推進をやめない「エネルギー基本計画」

 本日(5月13日)の朝日新聞によると、政府が目指す「第5次エネルギー基本計画」では、電力量に占める原子力発電の割合を20〜22%にするなど、2030年にめざす電源構成を初めて明記するということだ。つまり核燃料サイクル政策は維持し、原発輸出も進めるなど、原発推進の姿勢を崩すつもりがない。この計画だと、原発は全国で30基程度を動かす必要があるそうだ。
 その一方で、太陽光や風力など「再生可能エネルギー」による発電も22〜24%にする目標を掲げて、「着実に進める」ことにしている。そして再生エネルギー発電の送電線への接続問題も、「着実に課題克服」としている。どちらの顔も立てて、よろしくやって行くというのが現政権の方針なのだろう。
 しかし私たちの実感からすると、ずれていると思うことが多い。福島原発事故以後に、日本では原発がすべて止まった時期があったが、致命的な混乱には陥らずに夏場を乗り切れた実績がある。今後も原発を20%以上の「ベースロード電源」に位置付けるのは、甘すぎるのではないか。核燃料の再処理技術などで、「原子力村」の既得権を温存する意図が透けて見えるような気がする。
 再生エネルギー発電の送電線接続問題も、電力会社が送電線を保有している現状では、公平な参入が妨げられる可能性が大きいと思う。送電線は発電とは切り離して、公共施設として開放する方向へ転換すべきではないだろうか。それと、地産地消型の、「電力自立特区」が、各地で自由に設立できるようになるといいと思う。
 それにしても、10年以上先にも原発が20%以上というのは受け入れ難い。子孫の代にまで最終処理不能の放射性廃棄物を残す原発を、これ以上増やしてどうするつもりなのか。それだけでも現政権は不信任に値する。
 

「陸軍中野学校と沖縄戦」を読んだ

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 三上智恵監督の新作映画「沖縄スパイ戦史」(本年7月28日より一般公開予定)が話題になっているが、このテーマを日本軍の謀略戦略の面から解明した本が新刊として出たので読んでみた(「陸軍中野学校と沖縄戦〜知られざる少年兵『護郷隊』」・川満彰・吉川弘文館・単行本1700円)。偶然のようで偶然でない出会いなのかもしれない。
 陸軍中野学校の跡地は、戦後は警察学校の用地となり、今は私が散歩コースとして日常に親しんでいる「四季の森」公園となっている。ここに日本軍の唯一の謀略専門学校があったのだ。この学校に「兵隊」はいなかった。特殊任務につく士官を養成していたのである。卒業者は参謀本部の直属として各部隊に配置され、その任務は占領地の保安と現地人支配だった。そして日本軍としては異例の、「捕虜になっても死ぬな」との命令を受けていた。
 そして沖縄戦では、離島などに偽名を使い教師や行政職員を装って配置されていた「残留諜者」が、地元民を指導して「敵軍の後方攪乱」に当らせる実例が出たのだった。この後方攪乱を忠実に実行したのが、後に有名になるルバング島の小野田少尉だった。場所は沖縄ではないが、日本軍の敗戦を知りながらも、友軍の反攻を信じて、現地人を「占領地の敵対勢力」と見なし、30人も射殺したのだった。この思想が、沖縄では複数の離島で島民虐殺事件を引き起こし、それは日本の降伏で戦争が終ってからも継続して犠牲者を出していた。
 もしこれが日本の「内地」であったなら、同じ日本人を殺すことをためらったかも知れない。しかし沖縄に本土から派遣された日本軍には、沖縄出身者は一人もいなかった。沖縄県は、日本で唯一、地元民で編成される「連隊」を、昭和20年まで持っていなかったのだ。
 戦争の継続に特化した教育は、謀略という異端児をも生み出していた。平和な海と空の恵みの下で暮らしていた島人にとっては、それは迷惑以外の何物でもなかったろう。
 今の「四季の森公園」には、なごやかな家族の風景があって、子供たちが元気に走り回っている。この平和の大切さを、ひっそりと一隅に設けられている銘板は、どこまで今の人たちに伝えてくれるだろうか。

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立憲民主党、枝野党首の講演を聞いた

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 昨日のことになるが、中野サンプラザで長妻昭氏が主催した集会で、立憲民主党、枝野代表の講演を聞いた。野党第一党の党首で、政権交代すれば総理大臣になる人だから、左右に警視庁のSPがついている。13階のホールは、補助席も出る盛会になった。
 話の内容は、安倍政治への批判に時間を費やすのではなく、自分たちはどんな国を作りたいのかという、まっとうなものだった。格差の少ない、全体が底上げされる世の中をめざしているのがわかった。
 質疑応答なども通して印象に残ったのは、朝鮮の南北融和も踏まえて、日本の立ち位置をどこに置くかということだった。朝鮮半島の統一が実現すれば、日本は中国と対峙するアメリカの最前線になる。そのときに日本は対米依存を深めるのではなく、独自に重武装で国民負担を重くするのでもなく、平和外交を貫いて東アジアの安定に寄与するというビジョンを描いていると私は理解した。
 立憲民主党が政権党になるまでにはまだ時間がかかるだろうが、あまり遠くない未来に、この人たちが舵取りする日本を見てみたいと思った。

国民民主党に期待できない

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 昨日、「国民民主党」という新党が結成されたと伝えられたが、期待できる政党に育つのは難しいように感じられる。母体となったのは「希望の党」と「民進党」で、衆参合わせて109名の国会議員を擁していた。単純に合計すれば現有62名の立憲民主党を上回って野党第一党になれる思惑だったろうが、実際の参加者は62名にとどまったということだ。そして参加しなかった者の中から10名が立憲民主党に参加したので、立憲民主党は72名に増える結果になった。これが今回の「新党さわぎ」の、最大の収穫と言っていいのかも知れない。
 なぜそうなるかというと、「希望の党」にも「民進党」にも、将来を託せるような「伸びる力」を感じられないからだ。今回の「国民民主党」の中心的なメンバーの中にも、「これは」と思えるような魅力的な人物が見当らない気がする。
 今の政権与党に対峙できる力と意欲を備えているのは、やはり立憲民主党しかないと思うのだ。だとすれば、次の総選挙が近い未来には見通せない現在、野党の再編は、立憲民主党を中心に据えて進めるのがよい。「国民民主党」は、その党名からしても漠然としていて個性が感じられない。下手をすると、第二保守党になりそうな不安さえ感じてしまう。それに対して立憲民主党には、安倍改憲を阻止して、憲法と共にある国民を守り抜く意志がある。 野党の結集は、立憲民主党を中心に据えることで実を結ぶだろう。 

「中野区平和の語り部」が視聴可能になりました

 昨年に私も参加した中野区の「平和の語り部DVD・第2巻」が、ネット上で視聴可能になりました。以下のユーチューブの一人目として、15分ほど語っています。
https://www.youtube.com/watch?v=BCFD6N8GzPQ&feature=youtu.be
 これは昨年の5月に取材を受けて記事にしましたが、
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55734843.html
字幕つきのインタビューに答える形で話が進んで行くので、話としては聞きやすくなっていると思います。
 戦時中に疎開もせず、都内で空襲を目撃した小学5年生の体験記です。敗戦とアメリカ軍の進駐についても、ありのままを語っています。「あの時代」の参考資料として、どうぞよろしく。
 

ブログ連歌(511)

10199 あの「国難」選挙 何処に行ったか消えたやら (獣医さん)
10200  安倍安泰が 国難となる (建世)
10201 トランプさん 功を焦るな 相手したたか (うたのすけ)
10202  見立て定めて ウンも味方に (建世) 
10203 会談前に ノーベル賞といわれニタリ顔 (獣医さん)
10204  緊張緩和なら それも良しとす (建世)
10205 トランプさん 半ば本気で 調子上げ 
10206  事の直前 足元注意 (うたのすけ)
10207 先読めず バス乗り遅れ 蚊帳の外
10208  安倍外交の 頼りなきかな (建世)
10209 法案を 通したけりゃ アベ退陣 
10210  拉致と米朝も 丸くいきそう (うたのすけ)
10211 米朝が 落語家ならば いいのだが
10212  落としどころで 丸くおさまる (建世)
10213 米朝を 噺家にしての 考え落ち
10214  丸くおさまり 座布団一枚 (うたのすけ)
10215 座布団で 世界平和が 来るといい
10216  まず楽にして 対話をどうぞ (建世)
10217 北朝鮮 突然変異か 豹変ぶり
10218  拉致被害者に 暗雲漂う (うたのすけ)
10219 拉致問題 話し合いにて 埒(らち)明くか (建世)
10219B アベさんに 囲いを破る 度量ありや (うたのすけ)   
10220  逆風つのり 視界開けず (建世)               

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
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昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
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