志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2018年09月

台風さまのお通りと、首相の「背後(せご)」発言

 テレビは接近中の台風24号で持ち切りになった。NHK昼のニュースを注意して見ていたのだが、開始から40分過ぎまで、完全に台風情報の専用になっていた。しかも、その前の時間帯から台風関連のニュースを流していたのだから、何の変化もない。しかし台風関連でさえあれば、どんなボロニュースでも場を与えられて、毎度おなじみの現場からの中継も、「風が吹いて木がゆれています」なんて情景を、ゆったりと見せていた。
 40分待って沖縄の知事選挙のニュースになったと思ったら、「午前中の投票率は低いようです」と、一瞬で終ってしまった。日曜日にしても、日本や世界に新しいニュースが何もないわけがないと思うのだが、今日のことは台風だけでよろしいというように、台風による交通機関への影響などへと話題は移って行った。 
 一方、ネット情報では、安倍首相の「背後(せご)」発言が盛り上がっていた。前後の文脈からは、もっとも素直な表現で現象の説明があり、「……。その背後には」と言っているのだから、中学生以上なら、これを正しく読まないというのは難しいだろう。それをわざわざ「せご」と読んでみせたのだから、「うっかりしていた」では済ますわけには行かない。取り巻きの官僚たちも、まさかここにフリガナが必要と発想することは不可能だったに違いない。およそ総理大臣になる人間としたら、致命的な教養の不足と言われても仕方があるまい。
 昔、歴史の増井経夫先生から、人間として信用を失う決定的な失敗という話を聞かされたことがある。あまりにも初歩的なところで大恥をかくと、その学会では汚点として永久に残るという戒めだった。間違いは誰にでもあるが、していい間違いと、してはならない恥ずかしい間違いとの区別はあるのだ。こういう人を総理大臣として頂いていることを、私は恥ずかしいと思う。
 

行きてし止まん

s-IMG_1679

 これは昨日の夕方、わがビル屋上からの撮影である。左に高く立っているのは、旗の掲揚ポールである。この景色を見ながら、心に浮かんだことがある。前後の脈絡もなしに、突然「行きてし止まん」と思ったのだ。戦時中によく聞いた「撃ちてし止まん」のスローガンに似ている。「止まん」は文語の係り結びで、正しくは「止まむ」で、撃たずにおくものかという意思未来になる。有楽町の日劇ビルの正面に、ビル全体を使って大きく書かれていて有名だった。
 自分は行ける限りは前を向いて生きて行こう、それしかないと思ったのだ。見送ったのが夕日であってもいいのだ。その方向を、心に刻んで見送った。

老人党で「コスタリカの奇跡」を見た

 昨夜は、久しぶりに出席した老人党護憲プラスの例会で、「コスタリカの奇跡〜積極的平和国家のつくり方」のDVDを鑑賞し、討論してきました。2016年に出た、比較的新しい作品です。中米の小国コスタリカが、早い時期から軍備を廃止しているという話は聞いていましたが、その内容が丁寧に伝わるよう作られていました。
 コスタリカが軍備を廃止したのは1948年(日本では昭和23年)のことです。その翌年には憲法にも明示しました。その前史としては、世界的な戦争による混乱の影響下にあって、内戦を経験しています。しかしそこから、すぐれた先覚者の指導によって、平和国家への道を選ぶことが出来たのでした。作品の題名はコスタリカの奇跡でしたが、見ているうちに、その選択こそが、奇跡どころか「理の当然」だったと納得させられる内容でした。
 軍備を廃止することの利点は言うまでもありません。軍備に使われていた予算で、教育と国民福祉を充実させることが出来ます。国内の治安は格段によくなり、警察力だけで社会の安定が保たれるようになりました。軍によるクーデターの可能性が皆無になったからです。その現実を経験すれば、国民がその状態を支持するようになるのは明らかです。
 軍備がないことによる「国の弱さ」を突かれることが、なかったわけではありません。隣国から、係争地を不当に占領される危機もありました。しかし国連の介入によって正当な権利は回復しました。国際世論が、ノーベル平和賞を受けているコスタリカの支持に回ったからでした。
 現在の不安要素は、アメリカとの関係で中立政策に圧力がかかることだそうです。しかし基地を置かせないなど、中立の立場に揺るぎはありません。この先進的な小国の今後を見守って行きたいと思います。
 

車がプリウスからシエンタになった

 家の車が、プリウスからシエンタに変わった。もっとも、名義はかなり以前から私ではなくて婿殿になっている。私の免許は、昭和24年の16歳から始まって来年の6月、86歳になるまで有効だから、運転歴は、ちょうど70年で終ることになる。ただし最近は、自分で運転することは、めっきり少なくなった。
 高校1年生で最初に乗ったのは、戦前の1937年製のダットサンのバンだった。唯一の運転手として、父の会社「野ばら社」の図書の配本などで神田の町を走り回った。その次は戦後すぐのダットサンになったが、エンジンが弱く故障が多かった。そのあとはホープスターという小型の三輪車を使ったことがある。けっこうよく走って、私はこれを使って家出をするときの荷物を運び、野ばら社から去った。
 免許を取った教習所では、まだ木炭車が走っていた時代で、ガソリンは統制された貴重品だった。ヤミで買ったガソリンのドラム缶には、「塗料用シンナー」と偽名が書いてあった。給油はドラム缶からゴムホースでタンクに入れるのだが、ホースを口にくわえて強く吸い、勢いをつけてガソリンが流れるようにする。失敗すると口にガソリンを吸い込んで、ひどいことになった。
 私の家出期間が終って実家と往来するようになった東京オリンピックの頃になると、車は日産のブルーバードになって、今の自動車事情と近くなっていた。子供たちを乗せて上高地へ泊りに行ったのは楽しかった。その一方で私は軽自動車のマツダ・キャロルを自家用に愛用していた。その後はホンダの軽360がよく走って、私の仕事のためにも役立った。その後は中古のコロナを経て、日産ブルーバードのオージーが愛車になった。その後、どういう事情だったか、ベンツのCクラスを勧められて、長い間つきあうことになった。その後に導入したのがプリウスで、ハイブリッドカーというものに興味があったのだ。複雑な機構なのに、快適に走ってくれて面白かった。そして今回のシエンタである。
 試乗してみて、あらゆる面で運転しやすいのに感心した。それで安心した娘夫婦が話を進めて今回になった。免許があっても、私はもうあまり乗らないだろうと思っている。免許を取ったばかりの孫が、今のところ意欲的に運転を引き受けている。それでちょうどいい。孫はその人がらに似て、穏やかでまじめな運転である。
 

ブログ連歌(522)

10419 敬老と 一日だけを うやまわれ (みどり)
10420  こんなものかと けぇろう(帰ろう)かいな (建世)
10421 老人を祝う セミ老人
10422  敬老の日が いつの間にやら軽老 (獣医さん)
10423 曼珠沙華 咲いた浮世の 絵空ごと (みどり)
10424  かの女(ひと)の歌 今も聞こえる  (建世)
10425 墓詣で 寂しき心地 限りなし (みどり)
10426  故人帰らず 秋は深まる (建世)
10427 秋雨は 音もたてずに 降りつづき 
10428  さびしからずや 人もうつむく (建世)
10429 長袖に 下着を替えて 気持ち良し
10430  早く来い来い 涼しげな秋 (うたのすけ)
10431 あこがれは かぎりなき空 秋晴れの
10432  すがすがしさと 深き青色 (建世)
10433 萩すすき 供え待ちたる 満月の
10434  確かなりしか 天体の軸 (みどり)
10435 年を経て 訪ねて行きぬ 草加の地
10436  わが人生の 宿場なりしか (建世)
10437 我が肺は 宿場歩きに おぼつかず
10438  クレーターに似て ボコボコとは (うたのすけ)
10439 わが肺も 修理中にて 薬漬け
10440  階段上がり 息切れるまで (建世)
 

夢に見るふるさとは、今も西ヶ原

 きょうの朝に見ていた夢でも、「私の家」は東京市滝野川区の西ヶ原だった。昔のことを夢に見ていたわけではない。若い人たちを指揮して大事な仕事をしていたから、現役の働き盛りの一コマのような内容だったのだが、なぜか私の家は「山城屋の煙突を見ながら右に入った突き当りの二軒目」の場所にあるのだ。夢の中の私は、それを少しも変とは思わずに、目前の仕事に没頭していた。
 考えてみると、自分の夢で、池袋の四畳半の「さわら荘」の部屋が出てきたことも、草加団地が出てきたことも、今につながる中野の家も、これまでに一度もなかったような気がするのだ。夢の中の「自分の居場所」は、物心ついたころにいた「生まれて育った家」から動かないのではなかろうか。そこにいた期間が24歳までで、私の人生の3分の1にもならない短かさだったのに、である。
 あるいは、草加へ行ってみたことが、古いことを思い出させる作用をしたのだろうか。そして古い記憶は生地としての「自分の家」に回帰する。今思いついたことを、夕食前の、あわただしい時間に書いておく。
 

プリウスのラストランで草加へ

s-IMG_1657

 車の買い替えの予定があって、孫の運転で、埼玉県の草加まで、プリウスのラストランに行ってきました。私たちが草加に住んだのは、結婚して2年後の1960年(昭和35年)から1976年(昭和51年)までの16年間でした。草加に住んだのは、単に、落選を重ねた住宅公団から、救済策として紹介されたからでした。この期間は、私のNHK在職中に始まり、NHKを退職して家業の「野ばら社」に復帰したものの失敗して、波乱のうちに自営業を立ち上げるまでの激動期に当ります。
 それと同時に二人の娘が生まれ、環境のよい公団・草加団地のテラスハウスで育って行った、家庭的には恵まれた楽しい年月でもありました。一時は生涯を通して草加に住んでもいいと思い、団地の北隣の水田が埋め立てられて宅地になったとき、広めの土地を購入して二階建ての家を建て、団地の住居と両方を活用して、自営業の拠点として使っていました。
 娘たちは、地元の小学校で、のびのびと育っていました。しかし高学年になり、長女の中学をどうするかという問題に直面したとき、やはり中学以降は東京都内にしたいという気持が強くなりました。それと同時に制作業務の事業のためにも、拠点は東京都内の方が信用されるのが明らかでした。佐賀銀行の従業員組合の組合歌を制作したとき、九州から来た担当者が、「埼玉県の草加へ行く」というので、泊りがけの用意をしてきたのが、一つの動機になりました。
 そこで、逆立ちするような借金を積んで、現在の中野の地へ引っ越しを断行しました。草加の土地建物が、折からのバブル景気で値上がりしていたのが役に立ちました。購入する土地を二分割し、それぞれ別な金融機関に持ち込んで、自分の信用力を二倍に使うという裏技も使ってみました。終り良ければすべてよしになる、大らかな時代でもありました。
 お世話になった草加市立の高砂小学校、ここで妻も私も、PTAの広報委員で新聞を作るなど、先生方とも親しくなって楽しく過ごしました。しかし、長女は、結局はこの学校を卒業することなく、東京で中学生になったのです。
 私の人生の大切な部分で、お世話になった草加市です。久しぶりに訪ね、草加から越谷に続く松並木の「日光街道」が、みごとに整備されているのを見て安心しました。町には今も草加煎餅を焼く香りが流れています。娘たちにとっては、かなりの部分で「ふるさと」に近くなっているはずです。覚えているのが団地内の暮らしが大部分を占めるとしても、草加が育ちの地であったことは間違いありません。

安倍三選と最長不倒政権

 自民党の総裁選挙で安倍首相が三選され、日本の近代史上最長の政権になる可能性が出てきたということだ。類いまれな指導力で一つの時代を築いたというよりも、権力の空白に、ふんわりと乗っかって長期政権になったという印象がある。何よりも、政権交代が起こりそうもない、野党の弱さが作り出した状況と言うべきだろう。だから内閣支持率は、過半数には達しない40%あたりを上下している。
 日本の政治史の中では、安倍政権はどんな評価を受けるのだろうか。戦後最長だった佐藤栄作政権の場合は、日米安保の騒動の中で、良くも悪くもアメリカと一体化する道を選択して政策を推進した。その結果として現状があると言ってよい。しかし安倍政権の功績というものがあるとすれば、それはいったい何なのだろう。
 一言で言えば、それは「事なく過ごした」ということだと思う。もちろんそれは保守政治の枠内でのことだが、今回の三選では、ついに憲法の改定を口にするようになった。それは今のところ「自衛隊の存在を憲法に明記する」という段階になっている。これは本気と受け取っていいだろう。衆参の両院で3分の2の賛成を得られれば、国会として発議することができる。ただしその後に国民投票で過半数の賛成を得る必要がある。ここで不成立なら政権への打撃になるが、最後の勝負のつもりなら、一度は挑戦してみたいのではないか。
 するとこれは、日本の戦後政治史上初めての試みになる。国民投票の結果がどう出るかは未知数だが、どちらにしても、安倍晋三の名は、この件によって歴史に残るだろう。最長不倒と憲法改定の是非、このドラマが目の前に見られるとしたら、面白いのではないかと思えてきた。私としては、もちろん護憲の立場なのだが。
 

自民党が総裁選挙をやっているらしい

(熊さん)自民党が総裁選挙というのをやってるそうですよ。
(ご隠居)ああ、知ってるよ。だけどさ、総裁が交代するって話じゃないんだろ。それが何でニュースになるんだい。
(熊)あれ、ご機嫌うるわしくないね。何が気に入らないんですか?
(隠)くだらないことをニュースにして何だかんだやってるからだよ。たかが一政党の内部の選挙じゃないか。選挙権もない一般の人たちを相手に街頭演説までして、それをまたテレビが中継で流すなんて、無料で自民党の宣伝をしてるようなもんだ。結果が出て、総裁が代わって首相も交代なら、その部分はニュースになるだろうが、現職優勢がわかっていてやってるんだから、政権与党へのサービスと言われても仕方がないな。ほかに大事なニュースもあるだろうに。
(熊)でもさ、時の総理が交代する可能性は少しはあったわけだから、まるっきり無意味とは言えないんじゃないですか。
(隠)ああそうか。地方の知事とか市長とかで、任期がきても対立候補が出なくて、無投票で再選なんてのがあるが、あれよりはマシというわけか。自民党には、こういう意見もありますよと、挑戦することで党が活性化するということだな。今回は、たしかにそういう面はあったかも知れない。でもな、所詮は自民党内の論戦という「私」の部分を、広く一般国民の関心事であるかのような「公」らしい仕掛けで出してきたところが、やっぱり気に入らないんだよ。
(熊)マスコミとしたら、丸っきり報道しないで済ますわけには行かないでしょうよ。興味がないんなら、無視してればいいじゃないですか。
(隠)わかってるよ。だけどな、テレビを見るときに、何でこんなもの放送しやがるんだと、バッテンをつけてやる「マイナス視聴率」なんてのを出せないものかね。出た放送に不同意を示す「拒否率」が集計できるといいんだが。
(熊)気持はわかるけど、実用的じゃないね。つべこべ言ってないで、放送が気に入らなかったらチャンネルを変えればいいじゃないですか。どこかの人工頭脳が、視聴率をきちんと計測してくれてるかも知れませんよ。

こんにゃく座の「イヌの仇討」を見た

s-IMG_1642

 オペラシアター・こんにゃく座の「イヌの仇討〜あるいは吉良の決断」(23日まで、吉祥寺シアター)を、この16日に見てきました。林光作曲による唯一の井上ひさしオペラだということです。井上ひさしがこういう戯曲を書いていたことは知りませんでしたが、よくある忠臣蔵を反転して、命を狙われる吉良上野介(こうずけのすけ)を主役とした一種の密室劇でした。
 討ち入りしてくる大石内蔵助以下の「義士」たちは、わずかに旗で表現されるだけで、舞台は隠れている炭置き場に限定されています。こんにゃく座オペラとしては、珍しいぐらい地味で、セリフで語られるロジックが前面に出てくる構成でした。
 題名は「犬の仇討」ですが、犬は絵として登場するだけです。ただし見ているうちに、犬が「ご公儀」の象徴になっているのがわかりました。その「ご公儀」は何を強いているのかが問題です。吉良上野介としたら自分に落ち度はありません。浅野内匠頭が一時的に精神錯乱を起こして殿中で刀を抜いたというだけの話です。それなのに自分は転居を求められて、赤穂浪士に狙われやすい屋敷に住まわされているのが不満です。
 ただしこの劇では、吉良上野介は命を失うことなく終幕を迎えることができます。解説やその他の資料を読んで事後にわかってきたのは、「義士の討ち入り」とは、時の権力つまり「ご公儀」に対する反乱の一種だったのではないかという問題提起でした。そしてこれから先は私の勝手な連想ですが、「犬の忠義」に毒された武士たちが、大真面目で命のやりとりに向かってしまうことの愚かさを、この劇は冷ややかに見つめているように思ったのでした。

 

ネットのデマにどう対処するか

s-IMG_1622 
 
 きょうの新聞に、ネットのデマへの警戒を呼びかける記事が、トップに出ていた。ネット上の情報は、私もよく便利に利用している。自分で動いて探し集める情報だから、信用できるような気もしている。だが、ここに意図的に流されるデマが混入すると、厄介なことになりそうだ。まさにその問題が、近ごろの選挙で無視できない状況になってきているようだ。
 その対策としての「ファクトチェック」呼びかけを伝えているのが上記の記事なのだが、「ファクトチェック」という言葉で、うまく伝わるだろうか。事実はどうなのかを、他の方法でも調べて正確を期しなさいということだろうが、新しい流行語のように拡散したい意図があるのかもしれない。その場合、信用できる「ファクト(事実)」は、どこで手に入るのだろう。たとえば朝日新聞やNHKが報じていることなら、いいということなのだろうか。そうすると、朝日新聞やNHKが間違えた情報を流したらお手上げということになってしまう。
 だが、近ごろのネット情報を見ていると、朝日新聞やNHKが、必ずしも信用できないと思わされる場面も少なくはないのだ。その他にも、オモテ記事の背景だの、別な角度からの見方などもあって、参考になる場合もある。だが考えてみると、ネット情報が正しいかどうかの信頼度は、テレビや新聞よりも高いということはない。事実確認の機能が、それ自体には組み込まれていないからだ。すると信じるかどうかは、受け取る側の裁量に任されることになる。その結果は、自分にとって都合のよい情報を過大に評価するといった、偏向が生まれるのではなかろうか。
 総合して言えることは、ネット情報は「世間のうわさ話」に似ている。不特定多数の個人がバラバラに発信するところにその価値がある。もしここに覆面で強力な発信源が参入してきたら、不当な「世論操作」が可能になってしまうのではないか。それが意図的なデマ情報であったりしたら、その害は計り知れない。その対策として、沖縄の知事選挙では、ネットを監視する専門家のチームを立ち上げたということだ。ネットを悪用しての各種の犯罪も後を絶たないが、ネット犯罪は、その公然性が弱点となる「捕まりやすさ」もある。ネット情報は、現代の世論が交錯する熱いたたかいの場になって行くのだろう。


100歳まで生きてみようか

s-IMG_1616

(ご隠居)きのうの夕刊に、日本で100歳以上は7万人いると出ていたよ。あと15年かと思ったら、なんだもうすぐだなと思った。年とって年月の過ぎるのがどんどん早くなってるから、あと少しの辛抱だな。
(熊さん)へーっ、そうか。そこまで来ましたか。そんならいいじゃないですか。100と言わず、青天井でどこまでも行ってくださいよ。
(隠)この画面には出てないが、男の最高齢は113歳だそうだ。しかし100歳以上の9割までは女性なんだってね。そこへ通りかかった長女が、「がんばって男性の率を上げなさいよ」だってさ。
(熊)ご隠居なら、出来るんじゃないですか。
(隠)そうさな。ただ生きてるってだけじゃ面白くないから、100歳で何かが出来るといいかな。100歳までのことを本に書くなんてのはどうだろう。
(熊)そりゃいいんじゃないですか。100歳が新しい本を書いて出したら、それだけで話題になりますよ。中身は下らなくてもさ。
(隠)バカ言うな。中身がなくちゃ意味ないだろ。そのときになったら、ちゃんと考えて書くよ。最初の本が「おじいちゃんの書き置き」だから、「ひいおじいちゃんの書き置き」になるかも知れないな。
(熊)二番煎じよりも、もうちょっと気の利いたものが書けませんかね。
(隠)おまえもキツいこと言うよ。100年の年輪というのは、それだけの重みがあるだろさ。2033年の日本と世界がどうなってるか、見届けるのは、とても興味があるな。核戦争で日本の国が消えてるなんてことは、ないと思うよ。
(熊)そうでしょうね。そうでなくちゃ。
(隠)さて15年後に、孫は家庭を持っているだろうな。その回りに広がる日本と世界は、いったいどんな姿になっているだろう。たぶん、今とあまり変らない姿でいると私は思うよ。そして文明は、厳然として人間とともに歩いている。これは、吉川幸次郎さんの「中国の智慧」からの借用だけどね。 
 

ブログ連歌(521)

10399 空襲は 花火にも似て 勇ましく
10400  わが頭上へと 迫らぬうちは (建世)
10401 日米の 戦争遠く 属国化 (みどり)
10402  思えば早も 二世代を超え (建世)
10403 青ススキ 名月待ちつ 穂立ちゆく (みどり)
10404  月見の宵の 涼やかにあれ (建世)
10405 近頃は 第三者委員会 流行りです (うたのすけ)
10406  三者三者と 祭りのように (建世)
10407 権威者は 虚言あやつり 省みず (みどり)
10408  白が黒でも 保身をはかる (建世)
10408B  身内に誓約させる 小心者 (獣医さん)
10409 大地震 原発列島 忘れまじ (みどり) 
10410  電力不足に 役立ちもせず (建世)
10411 発電所一つ潰れて 北海道中がブラックアウト
10412  会社本位の 電気供給システム (獣医さん)
10413 凶暴化 自然災害 傷ましや (みどり)
10414  驕るなかれと 諫めるごとく (建世)
10415 酪農に 急げ電力 水補給 (みどり)
10416  搾乳止まり 牛が病むとは (建世)
10417 プーチンに 無条件降伏を突き付けられ (獣医さん)
10418  二島返還で 上出来と知る (建世)
10419 敬老と 一日だけを うやまわれ (みどり)
10420  こんなものかと けぇろう(帰ろう)かいな (建世)
 
     

 

マイペース酪農にも打撃だった停電

 私が北海道の「そりゃないよ獣医さん」を訪ね、「マイペース酪農と地球の大きさ」というブログ・レポートを書いたのは、今から5年前のことでした。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55595391.html
2013年7月23日から28日↓まで、6日間にわたっています。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55595396.html
 それ以来、現地・北海道野付郡別海町中西別で「マイペース酪農交流会事務局」の勤めをしておられる森高哲夫さんから、「マイペース酪農交流会通信」のメール配信を、毎号頂いています。
 この「通信」は、パンフレット形式のpdfで、ほぼ毎月発行のようなのですが、通信には通し番号も次号の発行予定日も表示していない大らかさです。というよりも、定期刊行物が先行するのではなくて、あくまでも「交流会の話し合いをまとめた記録集」なのです。このおかげで、私は北海道を記憶として風化させることなく、ふつうの人よりは身近に感じつづけていられるように思っています。
 この最近号で、最近の大停電が、酪農にとっても大きな衝撃であったことを知りました。今の搾乳は、人手でやれる規模ではなく、停電したらお手上げなのです。
 「……乳を腫らした牛たちは泣き叫び続けました。泣いている牛を見るのは忍びなく、そして人も泣きました。搾ることのできなかった牛たちの多くは乳房炎を発症し、体調をくずしています。」というのです。発電機で搾乳ができても、集荷が来ずに廃棄した例も出たということです。停電したら酪農も不可能になるという、厳しい現実を知らされました。
 その一方で、今回の号では、「マイペース林業」という、ほっこりする話題を読むことも出来ました。大規模林業で一斉に切り倒して、あとに植林し30年待つという現行の方式でなく、売れる木だけを選んで切って行っても、採算が取れることが実証されたというのです。木の根を痛めるような広い作業道が不要になり、山全体が、豪雨の山崩れに対しても耐性が強くなるというメリットがあります。マイペースというのは、人にとってだけでなく、自然の全体にとっても無理のない生産なのですね。

夏はストンと終ったか

(熊さん)東京は、急に涼しくなりましたね。
(ご隠居)そうだね、先日までの炎天がウソのようだ。暑くて厳しい夏だったが、台風なんかが通り過ぎて、いっぺんに秋の気配だな。天気予報はずっと曇りと雨の連続で、お日さまマークは10日以上先でないと出てこない。次に晴れるときは、雲の様子も変った秋晴れになってるんじゃないのかな。春の梅雨の裏側の、秋雨の季節になったようだ。これが過ぎると、あとは早いよ。あわただしく秋が来て、紅葉が話題になったと思ったら、もうすぐに年末と冬の支度だよ。何となく夏が一年の真ん中のような気がするから、そうなるんだね。例年のことだけどさ。
(熊)夏に強いと言ってたご隠居も、今年の夏は、おとなしかったですね。あまり外出もせず、クーラー入れた部屋でゴロゴロしてた日が多かったような気がしますよ。体調もあまり良くなかったのかな。
(隠)ああ、なにしろ病院的には「経過観察中」の身の上だからね。「非結核マック症」の服薬治療が続いてるわけだよ。それに正直に言うと、この夏は、自分の基礎体力の低下を、いやというほど思い知らされたね。85歳の年齢じゃしょうがないんだろうが、階段の上りで無意識に手すりを掴むようになったり、駅の階段を上がるだけで息が切れそうになるのを感じたりするようになった。食が細くなったのも自覚したね。なにしろ飯の分量が食えなくなった。体重は、服を着たままで50キロがギリギリというところだな。寝る前の体操もサボることが多くなって、筋肉量が低下してるんだろう。週に一度のデイサービスのときに、いろんな器具で運動はしてるんだが、それだけじゃ足りないんだろうね。
(熊)年相応ってこともあるから、無理はしないで楽にしてればいいでしょうよ。現役並みにやろうたって、出来っこないんだから。
(隠)そりゃわかってるけどさ。年齢が何歳になろうが、世間のお荷物にはなりたくないじゃないか。支えられる人じゃなくて、支える側の人でいたいわけだよ。どんな意味であろうともさ。 

「民家で夜語り」は今年も盛会

s-IMG_1610

 埼玉県入間郡三芳町の民俗資料館で例年行われる「民家で夜語り」の集いに、今年は孫の運転で行ってきました。私たち夫婦と、長女と、孫の3代4人での参加でした。会場の周辺は、都心ではほとんど聞かれなくなった虫の声で満たされ、藁屋根の大座敷には、冷房はなくても涼しい風が吹き抜けていました。
 開演前の30分ほどの空き時間に、孫を連れて近くを散策し、裏手の道をたどって竹間沢の水流のところまで行ってみました。周囲はだんだん暗くなる時間で、街灯など一つもありません。もう少し遅くなったら、足元が見えなくて歩くのも難しくなるだろうと思いました。
 開演前に、火打石で行灯に火を入れるというパフォーマンスがありました。わずかな火花を口火に移して炎にする過程を、場内を暗くするなどして、もっと印象的なオープニングにする演出もできるかな、などと思いました。
 演目の最初は、中谷久子さんでした。「ひさこばーば」の名で「八十代万歳!」ブログを書いている長老で、昭和6年生まれ、私よりも2歳年上なのです。体が弱くなりましたと、しきりに書いていますが、ご本人が言うように「本番には絶対強い」人です。今回も、やや短編ながら、隣町に伝わる民話「生きていた茂兵衛さん〜本当に有ったもう一つの位牌」を、しっかりと語って下さいました。このお話は、本日の久子さんのブログで全文が読めますから、以下にご紹介します。私も読み直すことで、久子さんの声を、ありありと思いだすことができました。
https://hisakobaab.exblog.jp/238748254/
 一つの町の名物行事となって、今年で19回目とのことです。今年は曇天でしたが、晴れた晩には美しい星空も見られます。このような催しが、世代を超えて、永く伝えられて行ってほしいと思います。東京に隣接しながら、「市」の仲間に入らず、「町」のままでいるところにも、この町の心意気があるのかも知れません。 

s-IMG_1609

鯨エマ(海千山千)の「ワーカーズ・ラプソディー」を見た

s-IMG_1601

 シニア劇団「かんじゅく座」の主宰者で、自ら高齢出産に挑戦し、公私ともに奮闘している鯨エマさんの「ワーカーズ・ラプソディー」(9月9日まで・北沢タウンホール小劇場)を見てきました。今回は「かんじゅく座公演」ではなく、鯨さんの人脈で集めたベテラン役者を配し、自らも出演に参加した意欲作でした。
 内容は、題名そのままの「働く弱者の叫び」です。某化粧品会社に場を借りて、働く人たちの悲哀と、そこから意志をもって立ち上がり、労働組合を結成して裁判闘争に勝利するまでを描いていました。そのストーリーの中に、介護現場を持ち出して、和解と未来への課題を提示するエンディングにしているのですから、終演後のあいさつのときに、「鯨さんの丸ごとをぶち込んでしまいましたね」という褒めことばを用意して行きました。
 作品としては、二昔ほど前の、労働組合の結成を呼びかける「教(育)宣(伝)活動」を思い出させる懐かしさがありました。今の会社を立ち上げる過程で、全繊同盟(現在のUAゼンセン)さんとの縁ができ、労働組合の大切さを訴える教材の制作に取り組んだ時期がありました。それが今は、非正規・パートを含む社会格差を是正する活動として、再構築されるべきだと思っているのです。
 身分の格差は、社会に分断を生みます。国が豊かになることと、国民が豊かになることは、必ずしも一致しないのです。自由経済による発展と、所得の再配分による格差の是正は、車の両輪として転がさなければ住みよい国にはなりません。労働運動も、決して「貴族化」してはならないのです。
 労働組合は、いま変革を求められていると思います。格差を嘆くラプソディーを、誰でも平等の「連帯」の歌声に変えなければなりません。
 私が作詞した「連帯で強くなれる」です。後半は原語のまま歌います。古いアメリカ民謡で、「丸い緑の山手線……カメラはヨドバシカメラ」の曲です。

ひとりとひとりが肩組めば 大きな力が湧いてくる
ひとりの力は弱いけど 連帯で強くなれる
Solidarity forever solidarity forever
Solidarity forever for the Union makes us strong!

(追記・この歌は、↓ここで聞けます)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55592897.html

災害は「いつでも、どこでも」

 今朝の朝日新聞コラムに、含蓄のある言葉があった。「……いつもどこかで被害が起きている。日本の新しい現実である。」と。
 「新しい現実」というところに一瞬ひっかかったのだが、少し考えて納得した。昔はなかった種類の災害が増えているのだ。たとえば関空の機能停止だが、そもそも海上に人工島を作って空港を作るという、昔はなかった不自然な方法で工事をしている。高潮で海面が少し上がっただけで水没するのは当然なのだ。そこへ流錨という、錨ごと流されたタンカーが漂流してきて連絡橋に衝突した。新聞により人数は違うが、3千人だか6千人だかの旅客が、空港施設に孤立する結果になったのだ。
 考えてみると、「新しい災害」は、いたるところに顔を出す。高いビルを建てなければ、広告塔が高所から落ちて来ることはなかった。広域の停電で深刻な不都合が生じるのは、電気に頼って現代の生活が営まれているからである。その意味では、現代人の生活基盤は、ますます災害に対して脆弱になっている。
 戦時中のことを思い出せば、空襲で陸の孤島と化した私の家の周辺は、2週間にわたって停電が続いていた。でもそれで困ったのは、夜が暗くてラジオが聞けなくなったことが最大で、生活そのものには、ほとんど影響がなかった。炊事は竈で薪を焚いていたし、氷が入手できくなった冷蔵庫は、ただの物入れになっていた。
 だから停電という「災害」の深刻さは、現代の方がずっと深刻にならざるを得ないのだ。災害と無縁になりたかったら、未開の原野に入ってキャンプ生活でもするしかない。つまりは現代人の暮らしは文明とともにあるので、未開人にもどりたくなければ、文明を守るための知恵を働かせるしかない。
 台風の対策は、現代の知恵で対処ができる。ただし台風よりも格段に怖いのは戦争である。現代の文明は、戦争を予想していない。そのことを、いま急に思い出した。何としても戦争に近づいてはならない。今の文明を、日々の暮らしを守るためである。
 

気象放送局になったNHK

(熊さん)ご隠居、大丈夫ですか。家でおとなしくしてますか。
(ご隠居)うんにゃ、ちょいと買いたいものがあってな、久しぶりに自分で車を運転してホームセンターへ行ってきたよ。東京は台風から遠いし、雨がパラつく程度で、なんも問題なかった。気持ちよく走れたね。娘たちは私の運転をあまりよく言わんのだが、16歳で免許を取って、86歳の来年6月まで、70年の運転歴になるんだよ。今は18歳からしか免許は取れないから、ちょっとした記録になるかもしれない。
(熊)そりゃいいや。大きな事故も起こさずにきたんでしょ。
(隠)一度だけ「踏み違え追突」というのをやったけど、幸い人身事故にはならなかったね。その教訓から、安全な「両足運転」を身につけて今に至ってる。
(熊)ところで、きょうのNHKテレビは、朝から台風情報ばっかりやってますね。
(隠)そうなんだよ。昼のニュースを見てたんだが、最初から台風情報で、そのまんまずっと35分過ぎまで行ってしまったから、さすがにうんざりしたね。中には現場中継が入って、風で木の枝が揺れてますなんてのを、のんびりやってたりするんだ。12時になったから、他に大事なニュースがあるかもしれないと思ってチャンネルを合わせたのに、裏切られた感じだった。台風関係は10分間もあればまとめられるだろうに、バランス感覚がおかしいんじゃないかと思ったよ。台風さまを祭り上げて、台風関係でさえあれば、どんなボロニュースもフリーパスにしてるように見えたね。
(熊)でも、台風はみんなが気にしてるから、しょうがないんじゃないですか。
(隠)しかしね、NHKニュースは、うわさ話だけしてりゃいいってもんじゃないだろ。全体のバランスを見て必要な情報を流すのが「編集」の役目だよ。それが、大衆迎合っていうか、うわさ話のレベルで走り回ってるのは、どうかなと思うわけだよ。
(熊)でもさ、今のテレビって、そんなものじゃないですか。もっと深堀りしたいニュースは、ネットなんかでも流れてるわけだし。
(隠)そう言やそうかもしれない。台風がきたときのNHKは、気象情報だけやってればいいとするか。

台風を待つ心

 強力な台風が南方から近づいているということで、気にしている。何となく戦時中のラジオの空襲情報を思い出している。夜になって長音サイレンの警戒警報が出たのでラジオをつけると、短いブザー音につづいて「東部軍管区情報」が流れてくるのだった。それは
 「南方洋上より、敵らしき数目標、接近中」
から始まる。日本のレーダーも、かなり遠方からB29の編隊を探知できるようになっていたのだ。それが到着の1時間前ぐらいになると、関東地方へ来るのか、関西あるいは別地方へ向かうのかがわかってくる。そして「関東地区は警戒を要す」となり、次に「関東地区、関東地区、空襲警報発令」となって、短音が連続する空襲警報のサイレンが鳴り始めるのだった。
 だが、空襲警報が出ても、実際にB29が頭上にやってくる確率は、台風が来る確率よりもずっと低いのだ。敵がいくら大編隊でも、東京の空の全部を覆うわけがない。しかも常に偏西風に乗って、西から東へと一回通過するだけである。よほど運がよく(当時の実感なのだが)ないと、実際に見ることはできなかった。夜間のB29は、探照灯に照らされて白くくっきりと見える。周囲には、高射砲弾が間断なく炸裂して鋭い閃光を放っている。日本の戦闘機は、高射砲とは無関係に、機会さえあれば接近しているようだった。ただし闇に隠れて見えず、時たま走る曳光弾の光と、B29からの応射で、その存在がわかるのだった。
 時には晴天で美しい星空の夜のこともあった。高射砲弾の炸裂は、空に白い煙の列を残す。私は戦後の花火大会で、音も煙も、高射砲弾とそっくりな種類があるのに気がついた。昼でも夜でも、本当にそっくりなのだ。不謹慎な話だが、6年生の私にとっては、夜の空襲は、貴重な「見もの」に満ちていた。
 これを書きながら、静岡市にいて家を焼かれた妻の話を思い合わせている。彼女はB29を余裕をもって眺めた経験がなく、いきなり火の中を逃げ回った記憶になるということだ。中小都市へのじゅうたん爆撃は、それほど苛酷であったのだろう。自分の経験は、ただの幸運な例外だったのかもしれない。
 同じ戦争であっても、わずかな運の差で人の命が左右される。家が焼かれ人が殺される戦争が、再びあっていいわけがない。死んでしまった人間は語らないから、幸いにして死ななかった私は、死んだ人たちの恨みを、心してこれからも語りつづけることにしよう。
(追記・私が防空壕にも入らずに空襲を見ていたのを、不審に思われる方もいるかもしれないので説明しておきます。私は防空頭巾の上に鉄兜をつけ、壕内と家との連絡係をしていました。ラジオの情報は、家にいないと聞けないのです。電池式の携帯ラジオなどは、まだ存在しない時代です。)

 
記事検索
プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
最新コメント
「最新トラックバック」は提供を終了しました。
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ