志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2018年10月

「原民喜〜死と愛と孤独の肖像」を読んだ(2)

 この本を読んだことで、私は一編の原爆詩だけではない原民喜という一人の「作家」の生涯について、およその知識を得ることができた。生年は1905年(明治38年)だから、私の父より10年ほど若いだけで、むしろ親世代に近い。しかし東京で大学生活を送ったインテリであり、中学時代から小説や詩を書き始めた早熟の文学青年だった。そして人づきあいが下手で無口で、周囲の人と円滑な会話を成り立たせることが、ほとんど出来なかったと言われている。
 そんな原民喜を支えたのが、28歳のときに見合い結婚した妻の貞恵だった。「あなたは良いものを書けます」と励まし、世情にうとい民喜の代弁者となって、編集者や文学仲間との交流をはかって行った。民喜も順調に作品を増やした時期があったのだが、惜しむらくは妻の貞恵は健康には恵まれず、子供を授かる前に結核を発病してしまった。闘病の時期は戦時中と重なり、1944年(昭和19年)に死去した。
 民喜は東京を引き払って故郷の広島に帰ることにしたのだが、ここで8月6日の原爆投下に遭遇することになる。直接の被害は奇跡的に軽く済んだが、被爆直後の町を歩き回り、親族の住む近郊へ避難するために、悲惨な市街地を横断して放射能を浴びる結果になった。結局、民喜にとっては、妻と過ごした短い幸福な日々と、すべてを壊滅させた原爆の悲惨だけが「意味のある現実」になったのだと思う。
 人が後に残すものの中で、長く多くの人々に受け継がれる記憶というものは、決して多くはない。また必要でもない。その人の生きた証(あかし)が、一つでも記憶に留まればいいのだ。
 「原民喜さんの詩碑は、ごらんになりましたか。」

 

間庭小枝さんの第19回「椰子の実」コンサート

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 昨日の日曜日、所沢の文化センターミューズ・キューブホール(航空公園駅)で行われた間庭小枝さんの第19回「椰子の実」コンサートを聞いてきました。天気もさわやかな秋の一日でした。
 所沢を中心に、カルチャースタジオ「メヌエット」を主宰して、音楽教室など、各種の音楽活動を展開している間庭さんが、ソプラノ歌手として歌声を披露し、最後に会場の全員と「椰子の実」を合唱して終るこのコンサートも、今年で19回目になりました。
 今回は、前半は「風」をテーマとした創作曲を含む構成で、締めは「千の風になって」でした。後半は北島万紀子・詩 大中恩・曲 の「小さなねがい」から始まり、リクエストからの曲へと続くのですが、その中で、加藤周一の作詞、中田喜直作曲という珍しいコンビの「さくら横丁」という歌が聞けたのが、私としては収穫でした。
 「間庭メヌエット」さんと言えば、インターネット上に驚くべき多数の楽曲を提供しておられて、これだけでも立派な文化的な事業だと私は思っています。その中心に立つ間庭さんの声で、いつかオペラ「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」を聞いてみたいと、私は思っています。

「原民喜〜死と愛と孤独の肖像」を読んだ(1)

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 この話は長くなりそうだ。たぶん40年ぐらい前に、私は広島にいた。何で広島へ行ったのか、どこへ泊ったのかなど、前後のことは全く記憶にない。たぶん夏で、私は朝日が昇ってくる反対側から、逆光で原爆ドームを撮影しようとしていた。しかし撮影に集中していたわけでもなく、まだ人気(ひとけ)もなく静かな雰囲気に浸って、何となく荘厳な気分に満たされていた。
 そこへたまたま、地元の人らしい中年の婦人が通りかかった。素朴な服装から、観光客でないことは明らかだった。近くへ来たとき、私は軽く目礼したと思う。その人は、歩みを止めて、少し恥ずかしそうに「あのー」と声を出した。「原民喜さんの詩碑は、ごらんになりましたか。」
 私は何も知らなかったから「いいえ」と答えた。その人は先に立って詩碑のところまで行き、私がその物置台のような素朴な碑の文面に目を落すのを確かめてから、「あなたのような方に、見て頂きたいと思ったものですから」と言葉を残し、一礼して立ち去って行った。盤面には
 遠き日の石に刻み
 砂に影落ち
 崩れ墜つ 天地のまなか
 一輪の花の幻
の詩句があった。私はその場で、この詩句を深く記憶に刻んで今に至っている。帰宅してから、作者の原民喜という人のことを、一通りは調べてみた。中野の自宅にも近い中央線の線路で自死した人だということもわかった。
 それ以来、原民喜の名は、「あなたのような方に見ていただきたい……」という、ほんのり甘い記憶と結びついている。そして昨日、久しぶりに入ってみた書店で、岩波新書の新刊として「原民喜〜死と愛と孤独の肖像」(著・梯(かけはし)久美子)を見かけた。「あなたのような方」としては、これを見過ごすことはできない。すぐに購入し、一日かけて読んでみた。

「パスポートを持たない日本人」の件

 「パスポートを持たない日本人を、トルコの入国管理施設で保護しているという情報を、カタールから得て」という複雑な経路で、シリアで拘束されていた日本人のフリージャーナリストの解放が確認されたというので、その人が今朝の新聞のトップに写真付きで紹介されていた。フリージャーナリストは、文字通りに各自の信念で世界の紛争地域にも入って行く。しかし他国で拘束されれば、日本政府は「自己責任だから」と放っておくわけにも行かない。外交手続きを踏んで確認と帰国への方策を進めて行くようだ。帰国したら、マスコミが取り囲んで派手な報道合戦を繰り広げることだろう。
 予想されるのは、「勝手な行動で政府・国民に迷惑をかけた」というバッシングである。それを見越したかのように、ネット上では「なるべく騒ぎを大きくしないで、そっとしておいてあげましょう」という提言が出ていた。私もそれに同感する。家族としたら、何よりもまず無事を喜んで、拘束中の苦悩を癒してあげたいことだろう。
 もちろん、身の危険をかえりみずに現場を見てきたのだから、その見聞には大きな価値がある。それはいずれ、本人の口から語られるだろう。フリージャーナリストの使命とは何か、本人が誰よりも強く認識しているに違いない。価値ある報告をまとめるためには、落ち着いた時間も必要になる。取り囲んで質問責めにするよりも、順を追った長期にわたる取材をするのがいい。
 ふだんの私たちは、安全な日本にいて、無意識のうちに法的にも守られている。使命感をもって世界に出て行く勇気ある人たちを、敬意をもって見守ってあげたいと思う。

 

ブログ連歌(524)

10459 箱根路は 雲多けれど 恨みなし
10460  栄枯盛衰 歴史を残す (建世)
10461 50年前の新宿に見つけたり
10462  今も 反戦唱える彼女の姿 (獣医さん)
10463 一つこと 貫き通す 強さこそ
10464  歴史にその名 刻むとぞ知る (建世)
10465 つき進む 時代の底に 草の民 (みどり)
10466  ものは言わねど 世論をつくる (建世)
10467 旭日旗 いまでも掲げる自衛艦 (獣医さん)
10468  専守防衛 旗は変らず (建世)
10469 やっと掴んだ未来の道を潰すのも
10470  不肖の息子を守るため (獣医さん)
10471 柿食うて 為すこともなく 終りけり
10472  一夜明けても 薄日変わらず (建世)
10473 踊り終え 夜長繕う 足袋の裏 (みどり)
10474  次に踏むのは 何処の舞台か (建世)
10475 やっと来た 日差清しい 秋日より 
10476  新車走らせ 思い出めぐる (建世)
10477 冷やかに 領域すすむ ロボットの   
10478   知恵も力も 人を押し退く (みどり)
10479 カショギ殺され 純平助かる
10480  人の命 政治利用の裏表 (獣医さん)

秋晴れ・秋雲・秋日和

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(昼の雲に風情があったが、夕方の雲がまた素晴しかった)


屋上へ上がってみたら、こんな空になっていた。
なんにも言わなくていいと思ってしまった。

何かしようと思っていたのだが、忘れた。
間もなく、忘れたことも忘れそうである。

「この中(うち)に真意あり
弁ぜんとしてすでに言を忘る」
と、陶淵明は歌った

それが私の卒業論文のテーマだった。
英文科だから英語で書いたのだが、
今ではもう書けそうもない。

本当は言葉はどうでもいいのだが、
言葉を使わないと人には伝わらない。
言葉では言えないということを、
言葉にした詩人がいたわけだ。

私は何をしていたのだろう

安全装置を外すことの恐怖

 台湾で起きた今回の特急列車転覆事故では、運転士が自動制御の安全装置を外していたことがわかってきた。不具合で意のままにならない走行や停止を繰り返しているうちに、遅れを取り戻すために、いらだって強引な運転をしてしまったらしい。ある意味で責任感の強い人だったかもしれないが、「安全第一」を忘れて取り返しのつかない重大事故を招いてしまった。
 技術系のベテランは、自分の技量を過信して、不都合な状況を自力で突破しようとすることがある。マニュアルに書いてある手順よりも、もっと効率的な「奥の手」があることは、いろいろな場面に潜んでいるものだ。だが、客を乗せる交通機関では、乗客の安全が何よりも優先される。乗客を、あらゆる危険から遠ざけるのが至上の命題なのだ。そのために定められているのが各種の規定である。
 今回の事故で、私は東海道線電車の運転席を思い出した。昭和37年(1962年)の11月だったと思うが、当時担当した「みんなのうた」の「線路は続くよどこまでも」の映像撮影のために、許可を取って運転席の横にカメラマンとともに陣取っていた。当時は、運転席には、運転士とともに助手が乗務していた。助手は、おもに時間管理を担当しているらしく、通過駅があると「○○駅通過」「定時」とか「30秒延」とか、運転士と呼称を交換していた。湘南電車は、「電車」ではなくて「列車」だということに、そのとき気がついた。機関士と機関助士の関係だったのだ。
 もちろん今は一人乗務になっていることだろう。だが、そんなに古くない昔に、大勢の人を運ぶ列車の運転席には二人の乗務員のいるのが常識だったのだ。そのための人件費がどれほどだったのかは知らないが、運賃としたら、どれくらいの値上げになるのだろう。その人件費は、全くの無駄なのだろうか。
 今回の台湾の事故も、運転士が二人いたら、ほぼ確実に防げたのではないか。飛行機では、今も副操縦士が乗っている。だが、時代は二人乗務の復活よりも、飛行機の一人乗務へと進んで行きそうである。
 

東海第二原発運転延長STOP大集会

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 昨夜は、一ツ橋ホールで開催された「東海第二原発運転延長STOP!首都圏大集会」に行っていた。この原発は、現在停止しており、運転再開の見通しは全く立っていない。常識で考えても、首都圏にもっとも近い原発の再稼働に、関係する自治体が同意する可能性は、絶無に近いだろう。それよりも、早く廃炉に向けた体制づくりを進めて安全第一の管理をするのが肝要と思われる。それなのに電力会社は、いまだに原発が予定通りに40年間稼働することを前提にし、その稼働期間をさらに20年間延長する手続きを進めようとしていて、その基礎には国の方針がある。
 この思い切りの悪さというか、一度決めたことは情勢が変化しても変えない硬直したものの考え方は、どう理解したらいいのだろう。さらにそれらの判断の根拠として、原子力規制委員会の判断というものが語られている。国民の安全のために原子力利用を規制してくれる機関だと思っていたが、いろいろ理屈をこねて、原子力利用を延命させることを目的にしているように見えてくるのだ。
 今回の講師は、ルポライターの鎌田慧さん、城南信用金庫の吉原毅さん、元東海村村長の村上達也さん、そして特別出演が「おしどりマコ&ケン」さんで、この二人のかけあいが、内容も迫力もあって有益だった。
 最後に集会の決議を採択したのだが、その中に次の文言があった。

 原発は人間の命と健康を犠牲にして成り立つ不必要なものであり、不安定で危険なものであることが解りました。性質上事故を防ぐことができない、破綻した技術であることも知らされることになりました。
 日本の場合、原発を稼働してはならない大きな理由として、地震や津波、火山噴火等の自然災害が特別に多いこと、使用済み核燃料の行き場がないことがあります。


 常識のある人間の頭で考えたら、日本で発電を原発に頼らなければならない理由がわからない。効率が良くなり、コストが下がってくる太陽光発電と蓄電設備の充実が、電力の問題を根本的に解消して行くだろう。

    

救済されるべきは沖縄県民か国か

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(ご隠居)沖縄の辺野古が、変なことになってきたぞ。
(熊さん)知事選挙でも埋め立て反対の知事が当選して、民意がはっきりしたんじゃなかったんですか。
(隠)それがその反対なんだ。知事選の結果を見て、政府は力づくでやらなきゃならんと思ったんだろう。行政不服審査法というのを使って、前知事の翁長さんが決めた「埋め立て承認の撤回」の効力停止を申し立てたんだよ。
(熊)何だかごちゃごちゃしてるけど、要するに早く埋め立てをやっちまおうってわけでしょ。今さら基地を増やさなくたって、普天間の移転先は、広い嘉手納基地に統合でいいのにね。それはアメリカが考えればいいことですよ。
(隠)その通りだが、今回おかしいのは、政府のやり方だよ。行政不服審査法というのは、本来は行政権力の行き過ぎから、国民一般を守るために出来ている法律なんだよ。それを、防衛省が国土交通省に対して申し入れている。つまり国政という巨人が、右手と左手で談合をしてるようなもんだ。だから新聞も、これを「奇手」と表現しているよ。つまり、防衛省が、無理解な沖縄県知事にいじめられてるから助けてと、建設を担当する国交省に泣きついたような構図だな。悪童が、自分の形勢不利と見て、一時的に弱者のようなふりをしてるわけだ。
(熊)するってぇと、沖縄県知事が悪代官だと訴えてる。
(隠)まあ、それに近いかな。とにかく悪知恵を働かしてでも我を通したいんじゃないのかな。沖縄県知事は、悪代官どころか、県民の期待を集めて当選したばかりの人なんだよ。前知事の翁長さんの遺志を継いでいる。知事の後ろには、支持した県民の総意がある。それを無視するとは、どだい無理を承知で、沖縄を力づくて抑え込もうとしていると言われても仕方ないだろうさ。
(熊)沖縄に寄り添うなんて政府の言い草は、まるっきり嘘っぱちですね。
(隠)その通りだよ。沖縄のたたかいは、これからも長く続くだろうね。

昼飯を食べ忘れた話

 一昨日のことなのだが、以前から気にかけていた金融上の小さな手続きで、信託銀行の駅前支店へ初めて行ってみた。関係する本人は妻なのだが、私が介添え人として同行した。用件は思ったよりも簡単に済んで、窓口の女性に笑顔で送り出されたのだが、問題はその後だった。家に帰りついたのが12時40分だったのは、時計を見て確かめたからよく覚えている。しかしその後で食事をした記憶がないのだ。
 娘が異変に気づいたのは夕食が終った後だった。彼女が念入りに点検して出した結論は、私たち二人のために用意しておいた昼用の食材が少しも減っておらず、食器も使った形跡がないので、外で何か食べてきたに違いないということだった。しかし私たちにはそんな覚えはない。もちろんポケットに食堂のレジ紙なども入っていない。強いて言えば、夕食がとてもおいしくて、完食できたということだけだった。
 つまりは、12時40分に帰宅したとき、私は「もう昼は済んだ」と思ってしまったに違いないのだ。それが妻にも伝染して、私に同調して空腹も感じないでいたらしいのが、深刻と言えば深刻なのかもしれない。
 改めて考えると、ちょうど昼飯時に銀行へ行ったというタイミングが悪かった。行員さんも、交代制で窓口業務についていたのだろう。私は抗結核薬を飲んでいる関係で食欲が落ちているから、栄養剤を処方されている身の上である。一回ごとの食事は大事にしないといけない。
 年齢の割にはしっかりしているつもりの私も、こんな失敗をするようになった。年をとると、いろいろと面白いことがある。
(追記)
 関連して思い出したことがある。NHKで番組を持っていたとき、一日中予定が立て込んで、都内のあちこちを走り回っていた。夕方になって一息ついたとき、猛然と腹が減っているのに気がついて考えたら、昼飯を取るのをすっかり忘れていたのだった。我ながらおかしかったのと同時に、充実も感じて爽快だった。
 

今年の柿は、かなりの豊作

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 今年の柿は、かなりの豊作になりそうだ。30年以上前に、今の家を建てた年に妻が植木屋から苗を買ってきた。そのときは短い一本棒のようで、私は「棒を買ってきたのかい」と、からかいながら、塀に近い庭の西南隅に植えておいた。それが順調に育って、今は二階の高さにまで枝を広げている。そのまま食べられる甘柿の富有柿で、味はよい。
 過去記事を探ってみたら、例年11月になってから取り入れている。今までの最高記録は、360個となっている。毎年の収穫を安定させるためには、実が小さいうちに間引くとよいというアドバイスを、深山あかねさんから頂いていることもわかった。ただしその場では「来年からやってみます」と殊勝に返事しているのに、実行した記憶は一度もない。なにしろ色づいて気がつくまでは全くの無関心でいたのだから、放任主義が徹底しているのだ。
 私たちにしてみたら、これは望外のプレゼントである。庭木として、実のなる柿を植えたのが「大当り」だったことになる。つい先日のことだが、かかりつけの歯科で「いつもお世話になって」とあいさつしたら、親しい女医さんが「志村さんは、いろんな人を助けてきたから、助けられてもいいんですよ」と言ってくれたのが嬉しかった。老妻を助けながら、秋の一日が過ぎて行く。

今さら「原発が主力」の違和感

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 やや「旧聞」に近くなったが、「主力」の原発を優先して太陽光発電を抑制したという九州電力の事例への違和感が消えない。管内ではすべての原発が稼働中であり、秋の「冷房も暖房も要らない快適な晴天の日」に、電力が余ってしまったのだそうだ。電力は、常に供給と需要がバランスしていないと破綻するやっかいな性質を持っている。手っ取り早い対策として、太陽光発電の一部を遮断したらしい。余剰電力を蓄える「揚水式発電ダム」の利用などは、間に合わなかったのだろうか。新聞記事には、電力を広域で融通するシステムの活用などが説かれていた。
 原発は、一定の電力を常時発生させる「ベースロード電源」と位置づけられている。これが、深刻な破綻事故を起こしたにもかかわらず、電力会社でも政府でも、基本姿勢としては変っていないのだ。作ってしまった原発は、動かさないともったいないというのが本音だろうが、廃炉費用も含めた後々の世代への負担先送りや、当面に存在している事実から発生する災害へのリスクの大きさを考えたら、やはり、なるべく早く稼働をやめて、危険性を低下させて置くべきだろう。原発を優先させるために太陽光発電を抑制するなどは、正面から時代に逆行している。
 太陽光発電は、その効率は日を追って向上し、コストは低下しつつあるということだ。近い将来、発電の主役になる可能性を秘めている。今さら再生可能エネルギーの未来に「岐路」などを設けてはならない。

転機が近づいている予感

 毎日日記を書くように、滑らかにブログを書き始めることができなくなってきた。基礎体力の低下で、階段を上がるのに疲労を感じるようになったのと似ている。かつては階段は、歩くべき道の一部分でしかなかったものが、近ごろは挑戦すべき障害の一種のように感じられる。
 でも今のこの感覚が、一時的な思い違いのような気もする。かつて私にとって日記を書くことは、生きることと同じだった。書くことで自分と対面しながら、明日への道をさがして来た。その構図は今も同じだと思うのだ。
 暑くも寒くもない、ちょうどよい季節になった。初心に返り、本来の自分を取り戻す好機かもしれない。

 

箱根・駒ケ岳は雲の中

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 連休最初の金曜・土曜日に、箱根へ行ってきました。天候には恵まれませんでしたが、内容的には、心満たされた豊かな旅でした。湖尻に近い施設に宿をとり、私の若いころの記憶の詰まった父の山荘跡も訪ねてきました。建物のあとも大半は草の中に埋もれて、人の一生よりも早いテンポで、人の跡というものは自然の中に消えて行くものだと実感しました。
 それでも湖水のほとりには、例年通りの観光地としてのにぎわいがありました。形通りの休日らしい時間を過ごした、老夫婦と長女の一泊二日の旅となりました。考えてみると、娘たちが大人になったあとは、親子での泊りがけの旅というのは、一度もなかったと思います。天から授かった宝物のような旅となりました。夕食後に卓球で遊んだり、トランプカードをしたり、この10年来、そんなことが一度でもあったでしょうか。
 駒ケ岳の山頂には、昔はケーブルカーが通じていて、山頂の火口あとの盆地には大きなスケートリンクがありました。娘たちが小学生のころ、正月に来て滑ったことがあります。富士山を見ながらの、豪快な滑りができて、その写真は今も残っています。まだバブル前で、日本には新しいことを始める活力がみなぎっていた時代でした。今は南側の箱根園からロープウェイで上がるのですが、山頂の案内口に昔のことを知っている年配者がいて、説明しながら写真パネルを案内してくれました。「本当にあったんだね」と、娘の記憶もよみがえりました。
 途中で通りかかった仙石原では、もう、すすきの穂が開いていました。広大な草原は、国有地ですから昔のままに保存されています。間もなく観光客でにぎわうことでしょう。父がこの地を気に入って山小屋を入手したころ、ここは神奈川県足柄下郡仙石原村だったことを思い出しました。観光地というよりも、昔ながらの農村の面影が残っており、村人は「箱根の雲助の子孫だ」と言われていました。

 

ブログ連歌(523)

10439 わが肺も 修理中にて 薬漬け
10440  階段上がり 息切れるまで (建世)
10441 同肺の 意気を感じて 息繋ぎ (うたのすけ)
10442  行くところまで 行きてし止まん (建世)
10443 秋彼岸 遙かの人を 懐かしむ (みどり)
10444  思う人ありき 九州の地に (建世)
10145 ウソ書くから 改ざん不要となり
10446  公文書 大本営だけの言い分に (獣医さん)
10447 安倍の世は 史上最長 視野に入れ 
10448  何が本当と 人の問うまで (建世)
10449 沖縄の民意は はっきりしてるのに (獣医さん)
10450  それでもやるの 辺野古埋め立て (建世)
10451 奪われし 海に指笛 勝利の音 (みどり)
10452  行きてし止まん 道遠くとも (建世)
10453 野球ケンでもするのか 野球内閣 (獣医さん)
10454  すぐにボロ出し すっポンポン (建世)
10455 沖縄の 島々襲う 暴風雨 (みどり)
10456  台風禍でも 最前線に (建世)
10457 情けなし 日日に虚ろな 己居て (うたのすけ)
10458  歳月は過ぎ 行方知れずも (建世) 
10459 箱根路は 雲多けれど 恨みなし
10460  栄枯盛衰 歴史を残す (建世)

「1968激動の時代」を見た

 昨夜は(厳密には今日の早朝だが)、NHKBSスペシャルの「1968激動の時代」(前編・後編)を見ていた。後編には新宿西口スタンディングの大木晴子さんも登場して、インタビューに答えていた。当時、平和運動は世界的に盛り上がり、日本でも学生による学園閉鎖などが行われたのだった。当時の私はまだ草加団地に住んでいて、自営独立への模索の最中だったから、目の前のことで精一杯で、なんだか騒がしい世の中になったような、漠然たる不安感しか覚えていない。
 昨夜の番組で、ベトナム反戦を契機とした世界的な変動の構図はわかった。私もアメリカ軍機のベトナム空爆に憤慨して、全く個人的な動機でアメリカ大使館に宛てた抗議の手紙を書いたことがある。ところが、偶然その直後にアメリカ大使館で不審火事件があって、二人組の刑事が私の勤め先に事情聴取にやってきた。そして事件当日の私の行動などを調べて行ったのだが、私には完全なアリバイがあったから問題はなかった。しかし、警察とは、そんな調査もやるのかと、不気味さを感じたのも事実だった。当時の私は、反失業状態で、財団法人青少年文化センターというところで、事務局長代理の肩書を貰っていた。刑事たちは「きょうお訪ねした理由は、誰にも言いませんから」と、恩着せがましい言葉を残して帰って行った。
 肝心の昨夜の番組でも、1968年の激動の全体像は、明快に説明されているとは思えなかった。ある時代の趨勢に巻き込まれたとき、人はいろいろな立場から、自分なりに反応する。その反応の濃淡にも、個人としての信条や、その時点での経済状態までが関係してくるような気がする。そして具体的な行動を決めるときには、人との出会いといった偶然の要素も関係していると思う。
 この番組を見たことで、自分にとっての新宿西口も、経験して通過しただけに終わっていいかどうかを考え直したくなった。今週の土曜日までに、あと6日ある。
 

センチメンタルジャーニー箱根へ

 きょうと明日、1泊2日で箱根へ行ってきます。台風で天候は思わしくないかもしれませんが、あまり気にしていません。若い頃に長期滞在した小屋の跡も見てきます。私に「ふるさとの山河」的なものがあるとすれば、それは箱根の湖尻に近い駒ケ岳山麓のあたりだと思っています。私の自然観は、たぶん、このあたりで見た風景を基礎にしているに違いありません。雨の日の霧と雲の流れであっても、それでいいのです。最初の夏に、10日以上も長雨に降り込められた記憶が鮮烈でした。地元の人の説明では、「箱根は、西の雨にも東の雨にもつきあう」ということでした。地域としては、決して「健康地」ではないのです。熱海からバスで登って行くと、下は晴れていても、山の上は雲の中なのでした。
 「箱根にみどりの雨が降る」という歌があったと思います。ほとんど忘れていますが、最後の一節だけは今も覚えています。
 

内向きで全員野球だって

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(熊さん)第4次の安倍改造内閣ってのが出来たそうですよ。
(ご隠居)ああ、そうだね。自民党の政治家のことに興味はないが、大臣になるってのは経歴に箔がつくから、順番待ちの人が多いらしいね。内閣改造ってのは、遊園地の観覧車で、列の先頭の人から順に乗せてもらうようなもんだろうな。一回りしたら、お次と交代だよ。乗ってる間は、高いところへ行って回りからよく見えるし、自分でも少しは変った風景が見られるってわけだ。安倍首相も任期の先が見えてきたから、人選には気を使ってるつもりだろうよ。
(熊)それで、相変わらず、この内閣で「全員野球だ」って言ってるらしいですよ。政治はあんまりやらないで、みんなで野球をするんですかね。
(隠)そりゃ1つの例えだろうさ。野球をして勝つには、9人のみんなが、それぞれのポジションで役目を果たさないと守りが果たせないからね。全員野球というのは、甲子園で活躍する高校の監督さんが、好んで口にする言葉だよ。勝利インタビューなんかで、「選手がみんながんばってくれたおかげです」なんて、謙虚ぶって自慢してるのと似ているな。
(熊)なーるほどね。次の目標は別にあるわけだ。
(隠)安倍政権は、今の勢いだと史上最長の政権になる可能性があるんだ。そして本命として狙っているのは憲法に手をつけることだよ。それが自分の使命と思い込んでいるらしいから、要注意だな。国会で多数を占めている間に、最後の賭けに出て来る可能性がある。憲法改定は、最後に国民投票で多数にならないと通過しないんだが、本当にそこまで勝負してくるかもしれないよ。来年の夏には、参議院の半数改選の選挙があるけど、この選挙がとても大事になりそうだよ。改憲勢力が3分の2を超えたら、「国会での発議」が可能になってしまうからね。

「四季の森公園」も修羅場だったらしい

 昨夜は台風で暮れて明けた。テレビで念入りな対策などを聞かされていた割には、たいした事もなく時間が過ぎて行った。一通りは懐中電灯のテストなどはしておいたのだが、夜が明けてみれば、ただの月曜日である。ただし、ガツが変わって10月の1日になっている。電車の遅れで多少の混乱はあったものの、会社もいつものように始まったようだ。しかし通勤で駅から通ってくる社員さんは、途中の「四季の森公園」で、樹木が倒れているなどの異変を見たということだ。

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 そこで午後から様子を見に行ってきた。空は快晴で、日ざしは強い。台風の置き土産かどうか、理屈はよくわからないが、申し分のない夏日になった。倒木は、専門業者でないと手がつけられないらしい1本だけが残っていた。芝生には、枯れ葉も小枝なども散らかっておらず、いつもの通りにきれいだった。駅前の風景は、中野区のシンボルみたいなものだから、手をかけて清掃したのかもしれない。
 この「四季の森」は、完成してまだ5年くらいかと思うから、移植した樹木の根は、まだ本格的には土地の中に根を伸ばしていないのではないかと思う。この時期に台風に見舞われたのは、運が悪いと言うべきだろう。だから区としても気にしているのかもしれない。それがこの程度で済んだのだから、まずは小難で済んだというところではあるまいか。
 印象的だったのは、子供たちの水浴びだった。かなりの人数が噴水の水を浴びてはしゃいでいた。見ている親たちも笑って見ている。この上なく平和な風景だった。季節は間もなく秋になって、秋冷から冬へと向かって行くだろう。おそらく水遊びは、これが今年の最後になる。親たちはそれを知っているが、子供たちはどうだろうか。
中野の町に住んで、私たちはもう46年にもなる。ここは住みよい町だと思う。中野の町が、ようやく「わが町」になった、と思う。
 
 
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
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