志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2019年01月

男もスナール日記といふものを

 「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとするなり……」と言えば、紀貫之の「土佐日記」の冒頭である。これは、男である紀貫之が、女のふりをして書いているという複雑な構造を持っている。文学史の上からは、後の女流日記文学の先導的な役割を果たしたと位置付けられているようだ。ただしそれを強調しすぎると、日記文学の創始者も、じつは男であったという、女性にとって失礼な話になってしまうかも知れない。
 しかし男は漢文でものを書くのが常識であった時代に、仮名文でこまやかな情景を表現したことは、仮名言葉すなわち「本来の日本語」の表現力を発達させ保存する上で、大いに貢献したのではないかと思われる。なにしろ中世の日本では、正式記録はすべて漢文で書くのが本則であり、使用する文字さえも、漢字が「真名(まな)」であるのに対して、仮名は文字通りに「仮名(かな)」つまり仮の文字に過ぎなかったのだから。それを、女に化けてでも文章として書き残したのは、やはり功績と呼ぶべきだろう。
 ただしきょうのテーマは、そんなに固い話ではない。近頃のニュースを聞いていた長女が、ルノーの新会長にスナールさんという人が就任したと聞いて、土佐日記の冒頭部分を連想したというだけのことなのだ。彼女はいま、妻を亡くした私がボケてしまうのではないかと真剣に心配してくれている。認知症の初期症状は、身近な小さな出来事が、記憶に残らないところから始まる。そこで、気に入りのリンゴジュースを外出のついでに買ってきたら、開栓したばかりの壜が冷蔵庫に入っていたりする。前日に買ったことを忘れているわけだ。古いことは覚えていても、新しいことが記憶に残っていない。家でメモを書いて、それを持って行くようにと言われるようになった。
 現代人がすなるブログというものを、我流で書き始めてから13年あまりが経過した。ここには締切日がない代わりに、どこまで書いたら完結するという終点も決まっていない。日々に生きている証拠を残して行くようなものである。どこまで続くか、私が知らないから、他の誰も知らない。
 

85歳にしてゴルフコースに立つ

 快晴の日曜日、長女に誘われて、川口市の荒川河川敷にあるゴルフコースに行ってきました。打ち放しの練習場へは最近になって何度か行ってみましたが、ショートコースとは言え、コースに出ることが再びあろうとは、思いもかけませんでした。人に勧められてその気になり、中古ながら道具をそろえて練習し、たった一度でしたがコースにまで出てみたのは、たしか50代のことだったと思います。名も忘れた千葉のゴルフ場へ行き、たっぷり一日かけて回ったのですから、18ホールまでつきあったのでしょう。スコアも何も覚えていないのですが、「初めてにしては上出来」と、たぶんお世辞つきで、だいぶ褒められたのを覚えています。それから30年以上、時たま出先の観光地で打ち放しをやってみた以外には、すっかり忘れたまま過ごしていました。
 そこへ長女の登場です。友人に勧められたとかで、いつの間にかゴルフ道具一式を買い揃えていました。妻を亡くした私をボケさせないために、これもいいかと思ったのでしょう。このところ数回は練習場にも通うようになっていました。ただし、私が見ても、決して上手ではありません。それが早くも、ショートコースへ行くと言うのです。パターゴルフに毛の生えた程度の場所を想像していたのですが、行ってみると、ホールは100メートル以上も彼方に旗を立ててありました。使い慣れている5番アイアンでは届きそうもありませんが、長いクラブでは当たらないのが目に見えています。2オンでいいつもりで取り組みました。元気いいだけが取り柄の長女は、早々にボールを2個、連続して池に沈没させました。彼女の友人の先達のおかげで、なんとか格好のついたチームでした。
 もちろん最初から、スコアを云々するようなゴルフではないのです。でも青空の下で、風に吹かれながら歩き回る時間ができるからいいのです。遠くには、くっきりと富士山の姿も見えていました。もし妻が無事でいたら、たぶんこんな機会はなかったでしょう。もしどこかで見てくれていたら、「私がいなくなっても、悪いことばっかしじゃなくて良かったわね」と言ってくれるのではないか、そんな気がしました。
 

北方領土の早期解決を

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 北方領土問題が、久しぶりに新聞記事になった。この問題には、私も早い時期からかかわってきたから、なんとかして、生きている間に決着を見たいものだと思っている。北方領土が、ソ連軍により不法に占領されて以来、すでに74年、二世代以上の時間が経過してしまったのだ。ビザなし交流の墓参で涙を流していた元島民の人たちの老齢化も進んでいることだろう。この問題については、昨年の11月にも「北方領土問題の変遷」の題で書いているから、参照していただけると幸甚である。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55796652.html
 この件については、1956年に、当時の鳩山一郎首相とブルガーニン首相によって署名され、とりあえずの国交回復を実現した「日ソ共同宣言」がある。日ソ間で平和条約が締結された後に、歯舞諸島と色丹島を日本に引き渡すという内容だった。その一方で、日本政府は、おもに国内向けには「択捉、国後の南千島2島は日本固有の領土である」と言いつづけてきた。きつい言い方をすれば、国際的と国内向けとで「二枚舌」を使い分けてきたとも言えるだろう。
 その「玉虫色」の説明が、いよいよ煮詰まって現実の問題になったのが今回のように思われる。ロシアのプーチンとしたら、「潜在的」であろうとなかろうと、南千島に対する日本の領有権を認める気は、さらさらないだろう。今にして思えば、終戦時に日本政府の中に気の利く人がいて、アメリカ軍に依頼して駆逐艦の一隻でもいいから択捉島に派遣してもらっていれば、ソ連軍の南下は止められたに違いない。ただしこれは歴史によくある「たら、れば」の話なのだが。
 それにしても、戦争の成り行きで発生した領土問題を、平和な外交で取り戻すというのは容易なことではない。今回は「1956年の共同宣言を基礎として」という共通認識があるのだから、それ以外の選択肢はないと思うのが常識だろう。現状のままがいくら続いても、日本にとってよいことは一つもない。ならば少しでも利用価値があるうちに、「共同宣言」を生かしておくのが賢い判断ではなかろうか。自民党の安倍政権にやらせる回り合わせになるのも好都合である。
 

ブログ連歌(529)

10559 なに事も ないかのように 年が明け
10560  亡き人のあと 日々に薄れる (建世)
10561 武器買って 国を売り出す シンゾウが
10562  退位即位を 仕切る悲しさ (建世)
10563 エイプリル不ウール 元号発表ほんとかな
10564  まさか”晋”の字入れたり元号に (獣医さん)
10565 元号は 使わないから お勝手に
10566  蔵に仕舞って 眺めるはよし (建世)
10567 沖縄の神社じゃ「凶」しかないという
10568  みんなで吉(基地)をなくし(たい?)からね (獣医さん)
10569 安倍政権 最長記録に なるかと言う
10570  政治の年の 課題は重し (建世)
10571 おむつ替え 気分爽やか 童心に
10572  テレビ桟敷で 初日を見ん (うたのすけ)
10573 霙ふり 平成駆けた 男逝く (みどり)
10574  会者の常離は 必然なれど (建世)
10575 年が明け 逝く人の声が残る 
10576  昔話と 世界の旅 (獣医さん)
10577 市原さん かこむ緑木 笑む遺影 (みどり)
10578  ゆっくり流れる時間を有難う  (獣医さん)
10579 水仙花 寒気みつるも 凛と立つ (みどり)
10580  大寒は過ぎ 季節は春へ (建世) 

ママ去って娘を残す

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 妻が亡くなって1か月と10日が過ぎようとしている。亡妻は、生前は家の中で「おばあちゃん」と呼ばれていた。家の中での各人の呼び方は、その家族の最年少者を基準にして決まるというのが、通則であるらしい。だから、最近の10年間以上は、妻は「おばあちゃん」、そして私は「おじいちゃん」と呼ばれるようになっていた。しかしそれ以前の、娘たちが小さい頃は、当然ながら「ママ」が絶対的な名前だった。ただし、私は「ひさ江さん」と呼ぶのを常にして、面と向かって話しかけるときは、別な愛称で呼びかけることにしていた。だから今も毎朝、その呼び名で祭壇に「おはよう」のあいさつをしている。
 家の中から妻は消えたが、幸いにして二人の娘が残った。二人とも結婚したから、本来は別な家族になるところだが、長女は今も同じビルの3階に、次女もすぐ近くのマンションに住んで、生活時間の半分ぐらいは、ここの2階で暮らすような形になっている。生前の妻が、「こういう家を作っておけば、あの子たち、きっと遠くへは行かないわよ」と予言した、まさにその通りになった。
 長女は大学の卒業とともに東芝に入ったのだが、数年経過したところで、「パパの仕事、面白そう」と言って、あっさり退職してしまった。私の仕事は、個人の責任で行う制作の業務と、市販用教材の制作販売の 二本立てだったのだが、彼女は自分の才覚で新しい教材を作り出す仕事に魅力を感じたらしい。それも、自分の得意分野を生かすというよりも、「わからない子に、わかるように教えるのが楽しい」と言うのだから、これは本物だと思った。「つぶさないで継続してくれたら充分」と思って任せたのは、どうも過小評価だったらしい。ひまになったのでチラシ折りの手伝いをしながら読んでみたら、「ひらがな」「漢字」「九九」などの「おぼえちゃおう!」シリーズが17点、「英語」のシリーズが5点、「ことわざ」「百人一首」など「知ってる?」シリーズが12点、「天体」「日本の産業」など「わかるよ!」シリーズが11点と、合計45点が揃っているのだった。 
 いろいろなことを思いつくが、あまりねばらない私では、これだけ継続的な仕事を積み上げることはできなかったのではないかと思う。だが、教材の世界も、時代の流れとともに流動している。参考資料も、市販品のDVDを購入する時代から、インターネットでダウンロードする時代に移っていくのではないかということだ。でも、人が新しいことを覚えるのは楽しいという原点は変らない。学ぶのが苦痛だとしたら、それは教え方が下手というだけのことなのだ。
(NiKK(にっく)映像のホームページは、以下からアクセスできます。)
https://www.nikk-eizo.com/

「拉致」未解決のままの北朝鮮が東京五輪に旗たてて入って来るのか?

 最初にお断わりしますが、本日の表題は私が書いたものではなく、労働組合「UAゼンセン」のOBで、私とは長いおつきあいになる金田義朗さんから頂いたアピール文にあったものです。金田氏はその文中で、「例の派手な美女応援団?もついて来て、軽薄なテレビが無責任にこれを宣伝するなどが起これば、計り知れない日本の恥辱であり、国際社会での権威の失墜になります」と憂慮しているのです。
 この、北朝鮮にかかる日本人の拉致問題については、私には多少の知人もいて、話も聞いてはいるのですが、基本的に世間一般以上の特別な情報は持ち合わせません。ただしある時期に、複数の日本人が、北朝鮮の工作員によって非合法に連れ去られたのは事実だと思っています。その非合法活動を、すべて明るみに出して問題を解決するには、どうしたらいいのかが今後の問題でしょう。その方法として、北朝鮮に圧力をかけ、必要なら武力を使ってでも現体制を崩壊させることによって被害者を救出するというのは、もはや現実的ではないと思います。体制が崩壊するときに、不利な証言をするであろう人質が、無事でいられる可能性は少ないのではないでしょうか。
 それよりも、北朝鮮という特殊な成り立ちの国家を、国として国際舞台に招き入れて開かれた国にして行く方が、問題解決のためには、よほど近道になるだろうと思うのです。その意味で、来たるオリンピックに北朝鮮の選手団を受け入れることが、「計り知れない日本の恥辱であり、国際社会での権威の失墜」を招くという考え方に、にわかに賛同の意を表すことができない次第です。むしろ平和憲法を戴いて、不戦平和を国是としている日本こそが、歴史的に縁が深く地理的にも近い北朝鮮という隣国を、紹介者として国際舞台に導くのに適任だと考えていいように思います。
 ただし私には裏付けになる情報は何もありません。それでも、武力を背景とした圧力を用いるのは、策の下なるものとの考えは変りません。
    

日本映画「この道」を見てきた

 封切りの日本映画「この道」を見てきました。作詞者の北原白秋を主人公として、日本に「童謡」の時代をもたらした先駆者の姿を描いています。こどものための歌を、大人が本気になって作るということが、まだ世の中には理解されなかった時代のお話です。考えてみれば、古来の民謡は別として、日本で近代的な童謡が作られるようになってから、まだ100年もたってはいないのです。
 そしてまた、童謡の誕生は、ラジオ放送の誕生とも連動していました。ラジオに乗って童謡が流れ、やがてそれはレコードとして売り出されて店で買えるようになりました。私はちょうどその頃に子供時代を迎えていたわけです。
 そんな草創期に、童謡というジャンルを確立して行った先人たちを描いているわけですが、奇をてらうことなく、素直に進められる展開は、好感の持てるものでした。ただし後半になると、戦争に近づいていく時代背景が顔を出してきます。勇ましい軍歌の響きが近づいてくるようになりました。それに対して童謡はどうなって行くのか、私は興味をもって見ていたのですが、映画はそこへは深入りすることなく、フェードアウトするように終結しました。
 これは私の好みの問題かも知れませんが、最後の最後に、現代の子供たちが、もはや古典となっている童謡の定番を、元気に歌っている姿を見せて欲しかったと思いました。戦争の時代をも超えて、童謡は今も生きているというメッセージを残すことは出来なかったのでしょうか。それがあれば、先駆者たちの供養にもなったのに、などと考えていました。                                                 

媼(おうな)の姿しばし止めん

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 2018年10月8日の、箱根駒ケ岳の山頂です。二人で揃って行くことのできた、最後の旅でした。今は故人の祭壇の一隅に、小ぶりの大理石の額縁に納まって置かれています。どこから見ても、年齢相応の「おばあさん」に見えます。このとき、年齢は今と同じ82歳になっていました。

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 一方こちらは、私の財布にいつも入っている、同じ人の1958年(昭和33年)の写真です。こちらはいつまでも年をとりません。私が配偶者と決めたのは、この人でした。当時21歳でした。それから60年を経て、満60年を少し超えたところで永別の時が来ました。
 枕元にいつも置いていた古いノートの中には、こんなことが書いてありました。

  私の進路を変えたのは

  たったひとつの あなたのことば
  あんなにいっぱいの手紙の中の
  たったひとつのことばでした
  愛するという そのことば

  二十歳(はたち)の私が頼りにしたものは
  家、ふるさと、母、妹、を忘れて

 私が特定の人に向けて「愛する」という言葉を書いたのは、この一度だけでした。彼女はそれが嬉しくて抱いて寝たと、結婚したあとで教えてくれました。


脱原発が見えてきた

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 きのう(日経)と、きょう(朝日)の新聞記事を読み合わせると、原子力発電への幻想が、ようやく終末を迎える流れになったようだ。これで人類の未来について、大きな不安材料の一つが消えることになる。この流れを、さらに確かなものにしなければならない。無尽蔵の太陽光でも風力でも、安全な水力でも火力でも可能な発電を、あえて核エネルギーの解放で手に入れようとした目論見に無理があったのだ。この上はなるべく速やかに、すべての原発の解体と、核物質の安全な処分を進めるのがよい。
 核エネルギーによる発電は、一時は人類の未来への発展を、無限大にまで広げる夢を実現するかのように見えた。だがそれは、地球そのもののエネルギーバランスを崩すとともに、放射性物質の処分という難問を、人類に強要することが明らかになってきた。私たちは、現世代の一時的な安楽のために、子孫の生存を危うくするような技術を開発してはならないのだ。
 政府はなるべく早く、原発を「ベースロード電源」の一つと位置づけたエネルギー政策を、改めなければならない。原発は、その存在自体が国の安全にとって最大の脅威なのだ。海岸に原発を並べている日本の現状は、国際紛争があれば、無防備な巨大火薬庫をさらしているに等しくなる。通常の爆弾や砲弾1発でも、近隣は致命的に破壊され汚染されるだろう。
 原発をこのまま放置しておいて国防を論じるなどは、砂上に楼閣を築くに等しいと知るべきなのだ。
 

時の流れに任せていいか

(熊さん)ご隠居、いいんですか。ブログが3日つづけてお休みになってますよ。
(ご隠居)ああ熊さん、気にかけてくれて、ありがとよ。こんところ寒いもんだから外に出るのが億劫でね、家に籠ってると、知らぬうちに居眠りしてたりするんだよ。ふだんいた人間が一人いなくなったら、家の中が異様に広くなったな。なにしろ世帯が二人から一人になったからね、人口が半減したわけだ。長女が気を使って顔出してくれるけど、仕事があるから長居はできない。
(熊)それだって、ご隠居は娘さんの一家と同じビルに住んでるんだから、恵まれてる方ですよ。夫婦だけで田舎に住んで、一方が亡くなったら一人ぼっちなんて家が、いくらでもあるんだからね。
(隠)そりゃそうだがな。加賀の千代女の句に「起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな」というのがある。この人は、早いうちに夫を、そして子供さえも亡くしてしまった薄幸の人だったんだね。三人で川の字に寝ていたのに、一人ぼっちになってしまった。その嘆きを句にしたわけだよ。
(熊)でもご隠居のところは娘さんが二人もいて、その二人ともが今でも身近にいてくれるんだから、運がいいと思わなくちゃいけませんぜ。かわいい孫も3人いるじゃないですか。子孫が増えたら老人が先に死ぬ、こりゃ理の当然ですよ。
(隠)そうさな。中国の哲人で書の名人が、めでたい書を書いてくれと頼まれて、「祖父死、父死、子死、孫死」と書いて与えたそうだ。家に逆さ事がないのが一番のめでたさというわけだな。
(熊)なーるほど、それも本当ですね。昔の人は、いいこと言うよ。
(隠)でもな、それで「時の流れに身を任せ」なんて、歌の文句みたいなことを言ってるのも、どうかと思うんだよ。早く死んだ者がいれば、残った者にはやらなけりゃならない仕事が残る。それを見つけて仕上げることが、残った者のつとめだな。

一陽来復の光

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 正月も一週間が過ぎようとしている。冬至の日から起算すると、二週間に近くなっている。東京で太陽が南中する11時40分ごろの光は、わが家の食堂でも、かなり広い帯になってきた。
 年賀状にも使われる「一陽来復」の語は、本来は冬至を指していたものが、季節的に近い正月にも使われるようになったらしい。陰が極まれば陽の気が始まる道理で、「もうこれ以上は悪くならない」という安心感もある。
 私たちは一日の明け暮れでも、人の命の生死でも、繰り返す循環の中で生きている。冬がどんなに寒くても、やがて温かい春が来ることを知っているから、耐えられるというところがある。人の命が消えて行くことも、新しい子供の誕生を喜ぶことの裏側にある現象と思えば、納得するほかはない。
 そうは思いながらも、今まで身近にいた人がいなくなるというのは勝手の悪いものである。今でもしょっちゅう、「おはよう」から「おやすみ」に至るまで、事あるごとに亡妻に声をかけてしまう自分がいる。娘たちは、その後母親の夢を見たと言うのだが、私の夢にはいまだに亡妻は一度も姿を見せたことがない。もっとも、生前にも、夢に妻が出てきたという経験は、たぶん一度も記憶にないのだが。
 妻について思い出すことの第一は、やはり、二人の協力で新しい経験を手に入れた初体験の夜のことになる。いろいろな障害があって結婚が難しいと思われていた時期の、合意の上の実験だった。苦心惨憺の上でこれに成功したことが、私にも彼女にも、まっしぐらに突進する馬鹿力を生み出したのだった。この直後に、食の細かった私に、猛烈な食欲が出てきたことを、今でもありありと思い出す。
 いろいろなことがあった末の、妻との別れだった。生き返らせる方法は、もうない。あの世での再会は、たぶん虚構である。彼女が頼りにしたのは、手紙の中に私が一度だけ書いた「愛する」という言葉だったそうだ。それでいい。その一言を裏切らなかったことは、誇りをもって言える。

小説「光の人」を読む

 紹介してくれた人があって、「光の人」(今井彰著・文藝春秋)を読んでみた。青少年福祉センターの創立者である長谷場夏雄先生(私たちは「先生」と呼ばないと落ち着かない)をモデルとして書き下ろした小説ということだった。中身を見ると、この本では主人公は「門馬幸太郎」となっている。そして通称は「パパ」と呼ばれることになっており、冒頭に出て来る洋服店のテーラーセブンは「テーラーザファイブ」となっていた。小説だから実名を使わないのはわかるが、それに見合う自由な発展があって、より魅力的な人物像が描かれるのなら納得できるところだ。ところが今回は、読み進めても、実話のようでも実話ではない違和感が、いつまでも消えなかった。
 長谷場氏は、日本における青少年福祉の先駆者であり、巨人と言っていいと思う。その言行は、これまでも数次にわたって記録文献としてまとめられて来た。私もその一端を担って、記録ビデオを制作したり、記録集の編集にもかかわってきた。だからその実際を知り過ぎているので、小説としての創作に違和感を抱くということは、あり得るかもしれない。それにしても、創作された人物像が充分に魅力的であってくれたら、つまり現実の長谷場氏を超えて昇華されていたら、新しい感動を得られたのではないかと思うのだ。あえて小説として書き下ろすのであれば、そこまで徹底して欲しかったと思う。実録なのか創作なのか、その制作意図の両にらみが、私を混乱させると言ってもいいかもしれない。
 でもこれを、長谷場夏雄氏を全く知らない人が読んだら、それはそれとして意味のあることと言えるだろう。戦後の日本に、たった一人の情熱で1000人の孤児たちを救う奇跡を起こした男がいたのだ。その名を長谷場夏雄という。その人はたぶん、今年90歳を迎える。カナダでも活躍した経歴から、日本の厚生年金による保護を充分に受けられないとも聞いている。その人の老後が、生涯のご苦労に報いる安らかなものであることを、私は心から願っている。
 

新元号、使うつもりはないけれど

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(熊さん)新元号が、4月1日に発表になるって、新聞に出てますよ。
(ご隠居)ああ知ってるよ。どうせ使わないから私にゃ関係ないけどね。
(熊)そう言うと思ったけど、世間じゃ話題にするでしょうよ。
(隠)今度の発表で、一つだけいいことがあるとすれば、年号と西暦との併記を、公文書でも認めるようになりそうなことだね。発表が4月1日でも、まさかエイプリルフールじゃあるまい。年号変換のわずらわしさが、少しは救われるだろうよ。西暦併記が認められれば、誰でも西暦本位で年数を覚えるに決まってるよ。日本式年号は、宮中関係と官庁だけの、特殊な記号になって行くだろうね。
(熊)でもさ、自分の誕生日なんかは、日本式年号で覚えてる人が、今でもずっと多いんじゃないですか。
(隠)そうだな、私なら昭和8年生れがすぐに出てくる。それが1933年ってことは、後から覚えた。それより、結婚したのが昭和33年3月23日で、これを西暦にするのは、今でも計算しないとわからないよ。つまり、昭和の年号は、私の年代の者には、それほど強く沁み込んでいるんだな。だが、平成になってからは、意識的に西暦だけを使うことに決めたんだよ。これからの日本に、天皇制に由来する年号を使うのは、ふさわしくないと思ったんだ。
(熊)ああそうか、日本式年号は、天皇制があったからなんだ。
(隠)そうだよ。古代には、天子が時間をも支配するという思想があった。これは本来は中国の思想だったんだよ。それを明治維新のときに、太陽暦と同時に、正式に採用したというわけさ。国粋主義と無関係とは言えないな。
(熊)なるほど。ご隠居が日本式年号制に同情的でないのは、そこから来てるんだ。
(隠)私は日本の天皇制は、世界的にも珍しい長寿の体制として、保存する価値はあると思ってるよ。でも、日常を支配する暦にまで反映させるのは、余計なことだと思うわけさ。日本式年号は、少なくとも国民に強制するものではないな。 



トランプは武器シンゾウは国を売り

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 この正月に大木晴子さんから送っていただいた「反戦川柳句集〜『戦争したくない』を贈ります」の、冒頭にあった「乱鬼龍」さんの句を、本日の表題に使わせていただいた。この句集は、編集・発行が「レイバーネット日本川柳班」となっている。発行元は「レイバーネット日本」で、2018年12月の発行(頒価700円)と表示されている。「まえがき」によると、この集団による句集の発行は、1回目が2010年の「がつんと一句〜ワーキングプア川柳」、2回目が2013年の「原発川柳句集〜五七五に込めた時代の記録」で、今回が3冊目になるとのことだ。
 川柳は五・七・五の俳句と同じ形だが、俳句が「発句」から発展したのに対して、逆に「前句付け」から独立したということだ。季語の縛りもなく、自由な機知で森羅万象あらゆるものを笑いのめすことが出来る。表題の句などは、寸言をもって現代世界の病根を刺し貫く迫力をもっていると思う。
 句集の中には、思わず唸るような名作が多いのだが、あまり紹介してしまうと営業妨害になりかねないので、とりあえず3句だけにとどめておく。

  この道しかなかった道の先は崖  斗周
  反戦と護憲を危険思想とす  笑い茸
  ミサイルが原発止めず電車止め  おおとり

 この句集の後半には、すぐれた論説や報告の文章が並んでいて、これだけでも優秀な機関誌になっていると思った。正月早々に、良いものを読ませて頂いたことに、心から感謝したい。

 
 

深大寺の神代植物公園へ

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 正月の2日の午後、長女の家族4人に誘われて、三鷹の深大寺にある神代植物公園へ行ってきました。その前にお参りした深大寺の本殿。国宝の仏像を安置しているのを知って、列に並んで、お賽銭も二人前を投じて一礼してきました。

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 植物公園には、冬景色ながら、思ったより多くの花の色どりがありました。さらに、大きな温室があって、その中は別世界の温かさと、熱帯・温帯植物の花盛りでした。かつてインドネシアへ旧友の山本荘二氏(故人)を訪ねたとき、現地の植物園で見かけた植物のいくつかとも、再会することができました。植物園には温室があって、冬に訪ねるのにも適しているというのは、新しい発見でした。
 駐車場も完備していて、私たちはたまたま運がよかったのかも知れませんが、往復にほとんど渋滞にも会わず、驚くほど早く帰ってきました。
 植物園内の広場での影法師です。中央が私、右が長女で、左はその長男です。亡妻が幼児のときから背負って、中野駅に近い線路まで電車を見せに行ったりして、楽しい時間を過ごしていました。そのせいかどうか、長じてからも無類の鉄道好きになって、その知識の豊富なことは、私も遠く及びません。この3月の休みに、三陸鉄道に乗りに行く約束をしています。私が東日本大震災の記録取材で歩いた跡を、確かめてみたいのです。途中で旧友の実家のある釜石で一泊してみようと思っています。釜石の名家のゴッドマザーと言われた人の一代記を、ドキュメントビデオに作ったことがあるのです。


2019年の初詣り

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 いつものように年が明けて、長女の家族と5人で正月の膳を囲みました。朝からずっと、雲一つない晴天です。近所にある新井薬師は、参詣人の長い列ができて、警察の交通整理が行われていました。私たちはそこには並ばず、本殿の脇から境内を一巡しただけで帰ってきました。
 生前の妻は、ここの薬師さんには、近くへ来るとよく立ち寄ってはお賽銭をあげて、私よりは長い時間をかけて、何事かをお祈りしているのでした。よく気のつく人だから、お願いごとは、たくさんあったのでしょう。薬師如来は、衆生の疾病を治めて寿命を延べ、衣食も足らしめて菩提に導いてくれるという、まことにご利益の大きい仏さまだということです。
 薬師さまが、彼女の願いを聞き入れて、人に迷惑をかけず自らも苦しまず、きれいで温かいままの往生を恵んで下さったことは、疑いありません。写真を支える手の形は、「禅定」で結んでみました。インドネシアのボルブドゥール仏教遺跡の仏像群の解説書に、そんな記述があったのを覚えています。
 きょうの私は、これが最後かと思いながら、久しぶりの和服で整えてみました。和服を着るのは簡単なのです。袖を通せば一瞬で終ってしまいます。帯は昔から、もっとも単純な「ぐるぐる巻き」です。その他の結び方は知りません。それでも高校生時代は、自宅では和服と座机で勉強をしていました。
 孫娘が撮ってくれた写真を見たら、何やら私が坊さんみたいな姿に見えます。だからというわけではありませんが、本日は混雑につき、お賽銭もあげないで帰ってきてしまいました。家には年賀状が配達されていました。「おめでとう」だか「寒中見舞」だか「ご愁傷」だか、わけのわからない郵便物整理で、ほどよく時間が過ぎて行きます。次女は元日から出勤で、がんばっています。
 大学3年になっている孫とは、春になったら三陸鉄道に乗りに行く約束をしました。もう就活が始まっていて、内定まで出ているというので驚きました。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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