志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2019年02月

「なぜ必敗の戦争を始めたのか」を読んだ

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 「なぜ必敗の戦争を始めたのか〜陸軍エリート将校反省会議」(半藤一利・編と解説・文春新書)を読んだ。あの戦争の時代を知っている世代が書き残す、最後の方に属する本になりそうな気がした。半藤氏は私より3年先輩で1930年(昭和5年)生まれ、文芸春秋の編集長を経て、昭和史研究の第一人者になった人だ。この本の基礎資料になったのは、陸軍将校の集会所だった「偕行社」の機関誌「偕行」で、戦後の昭和50年代に連載された反省座談会の記録だった。半藤氏はこの資料を著作活動に利用しながらも、この座談記録そのものを世に出すことをしなかった。そのことが気にかかっていて、最後の機会と思い文献の形にしたということだ。なお、座談に参加した人たちは、全員がすでに故人になっている。
 書かれている内容は陸軍関係者の座談なのだが、海軍の動向も公平に語られている。むしろ陸軍から見ていた海軍ということで、従来の「陸軍悪玉・海軍善玉」論では片付かない複雑な力学の働き方を知らされて興味深いものがあった。戦争というのは、まさに国の大事だから、いいかげんに考えている人はいない。それでも微妙な人間関係で政治的な決定が下って行くのだから劇的で面白いのだ。
 この本の最後には、「余話と雑談〜あとがきに代えて」という、およそ「あとがき」らしくない長い一章がついている。そしてこれが、「なぜ必敗の戦争を始めたのか」の、納得できる裏面史の説明になっているのだから面白い。半藤氏も、ライフワークとしてきた昭和史をこれで完結できるという、明るい気分になったのではあるまいか。そしてその最後は次のように結ばれている。
(以下引用)
 読書にはどんな種類の愉しみがあるのでしょうか……もし共通の愉しみがあるとすれば、おそらくおのれの知的好奇心の満足ということになるのではないか。老躯となった自分の体験でいえば、人生は忙しく短し、そして面白そうな本はいっぱいある、と。であるから、本書を手にとった読者の好奇心を100パーセント満足させる、そうであるようにとできるだけ頑張るのは、まさしく歴史探偵の仕事なのです。老齢なんか関係ありません。それで長い長い「あとがき」になりました。
(引用終り。ブログ主より…)
 半藤一利さまが、「歴史探偵」だったとは、今まで知らずにおりました。おつかれさまでした。ありがとうございました。

2.26事件の朝だが

 2月26日、「2.26事件」の朝だが、これに触れた新聞記事は見当たらないようだった。2.26事件は、日本の政治潮流を変えた大事件だった。腐敗した政権が国を危うくしていると考えた一部の「青年将校」たちが、昭和11年(1936年)のこの日、指揮下の軍隊を動かして政府の要人を暗殺し、天皇を擁して「昭和維新」を断行するという、今の言葉で言えばクーデターを企てたのだ。
 これに参加した兵員は1588名という大部隊であり、重機関銃以下の兵器も備えていた。この「蹶起部隊」は、岡田啓介(海軍大将)首相以下の政府要人を襲撃し、4名の要人と護衛の警官5名を殺したのだが、殺したつもりだった首相は、実際は、たまたま居合わせた秘書官が身代わりになったのだった。
 蹶起部隊は当初の計画には成功して、あとは天皇に直訴して「昭和維新」への移行をはかるつもりだったのだが、ここで強硬な態度を見せたのが(昭和)天皇だった。朕の信頼する重臣を殺しておいて「維新」とは何ごとかと、直ちに治安回復を命じたのだった。それによって、蹶起部隊に同情的だった一部の軍幹部も立場がなくなり、蹶起部隊を「反乱軍」として鎮圧する方針が固まることになった。
 このとき、元から陸軍の青年将校たちに批判的だった海軍は、艦隊を東京湾に出動させて、戦艦の主砲の照準を、国会議事堂に合わせたと伝えられる。また、陸軍も、信頼できる地方の連隊を武装で上京させた。
 結局、このクーデター騒ぎで犠牲になった死者は、初日の9名に限られ、国軍が起こしたクーデターとしては小規模で収まったと言える。
 しかしこの事件の影響は後に尾を引いた。何かきっかけがあれば、陸軍の過激派は何をしでかすかわからないという恐怖心を生んだのだ。さらにこの事件を教訓として採用された陸海軍大臣の現役制は、陸海軍が同意しないと内閣が倒されるという、逆の効果を生じてしまった。
 やがて軍部が政治を引き回す政治が横行して、日本の国は戦争へと近づいて行くことになる。その大きな一歩を踏み出したのが、この2・26事件だった。
(追記・この事件の裁判による判決で、17名に死刑(銃殺)が執行された。ただし当時の雰囲気から、「熱血の志士たち」として、世間の同情を集めたと記録されている。)

沖縄県民の真意は

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 沖縄の県民投票で、辺野古埋め立てへの「反対」が圧倒的多数を占めた。この県民の意思表示は、昨年9月の知事選挙で玉城デニー氏が当選した後で、県議会による条例の制定で実現したものだ。万全の手続きを踏んだ、これ以上はない県民の意思表示と言ってよい。
 そこで、この投票で何が明らかになったのかというと、「普天間基地の移転先として辺野古沖の海を埋め立てる」という計画が、住民の意思として「反対多数」になったのだ。そして、それ以上のことは何も決めていない。つまり、普天間基地を最終的にどうしたらいいかという問題の答えには、なっていないのだ。
 普天間基地の移転先については、民主党政権が成立したときの選挙で、鳩山由紀夫氏が「最低でも県外」と叫んだ声が、今も耳に残っている。ところが実際に民主党政権が成立してみたら、「私の勉強が足りなかった」みたいな妙な話になって、新政権への期待の高まりに、早々に水を差す結果になってしまった。だめでももともとだから、せめて米軍に本気の申し入れをして、力及ばずで負けるにしても、公約を守る姿勢は示して欲しかったと私は思ったものだ。
 そこで話を最初にもどすと、県民は結局は「移設がどうのこうのではなく、基地そのものの沖縄からの撤去」を望んでいるのではないだろうか。沖縄県の現状は、あまりにも多くの米軍基地を抱え込んだ不公平な状態にある。沖縄は明らかに、本土に対して「不公平への異議申し立て」をする権利があると私は思う。今の国際情勢の中では、不測の事態で紛争が勃発したとき、これは沖縄が直ちに「熱い戦争」の現場になってしまうことを意味するだろう。
 沖縄には本土から切り離されて、アメリカの占領と施政権下に置かれた苦い経験がある。そこから「祖国復帰」を悲願として苦難の歴史を歩んだ。今また沖縄への負担の押し付けを繰り返すのは忍びないと思う。米軍に対して対等にものを言い、沖縄県民の負担を軽くして行くのが日本政府の役割ではないか。

 

北海道の「そりゃないよ獣医さん」に再会

(ご隠居)北海道の「そりゃないよ獣医さん」こと岡井健さんが、学会があるとかで東京に来られて、朝のうち中野の家まで来ていただいて、しばらくお話ししたよ。
(熊さん)そりゃ良かったですね、酪農地帯の獣医師をしてる人でしょ。アニマル・ウェルフェアだっけ、動物の福祉を考える獣医さんなんですよね。ご隠居が「ポンと来てください」と言われたので、本当に「ポン」と行って会ってきたんでしたね。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55595391.html
(隠)そうだよ、あれは2013年の夏のことだから、今から5年半も前のことになるんだね。4泊5日の旅をして、その経験をマイペース酪農と地球の大きさという6回のブログ記事にしたんだっけ。そのおかげで、今でも道東の酪農の話は、「マイペース通信」というメール配信で、続けて読んでいるんだよ。マイペース酪農というのは、持続可能な、環境への負荷の少ない酪農のことなんだ。鶏や牛を密集させて工場のように生産するという考え方はとらない。動物も生命体として尊重しながら、人間にもストレスの少ない酪農を広げて行こうという運動なんだね。人間の未来にとって、どちらが好ましいかは、議論の余地もないほどはっきりしてると私は思ってるよ。
(熊)良いことだとは思うけど、今の世の中で通用するんですかね。
(隠)うん、それが心配なところだ。でも、「マイペース通信」を読んでいて心強いのは、その思想と実践が、決して先細りではなくて、むしろ若い人たちにも魅力的な働き方として受け入れられているらしい記事が出ていることなんだよ。大手の乳業会社だけが万能ってことはないんだ。地元へ行けば、いろんな工夫をして、本物志向の人たちを引き付けるような、すぐれた製品を作り出す生産者がいるんだよ。
(熊)獣医さんは、ご隠居よりは、ずっと若いんでしょ。
(隠)うん、ちょうど10歳違うんだそうだ。だから戦争体験なんかも、ずいぶん違ってる。それで、思い出話なんかに時間を使ってしまったが、本当はもっと、マイペース酪農の話を、よく聞いておけば良かったかな。マイペース酪農は、人間は本来どう生きるべきかという未来志向の思想なんだよね。マイペースを守ることは、人間本来の自然を取り戻すことだ。人間が幸せに生きるための基本的な法則なんだよ。


永の別れかと思った

(熊さん)無断で一週間行方不明ってのは、初めてじゃないかな。「それじゃ行くよと別れたが、永の別れになったのか」なんて思い出してましたよ。
(ご隠居)お前さんも古いね。そりゃ軍歌「戦友」の歌詞じゃないか。「ここはお国を何百里 離れて遠き満洲の 赤い夕日に照らされて 友は野末の石の下」で始まるんだよ。軍歌と言うには珍しい、戦友が死んだのを悲しむ歌なんだな。この歌が出来たのは明治38年で、まだ日露戦争が終ってない時期だったそうだ。勇ましい軍歌が流行る一方で、国民の間では広く好まれて普及していた歌なんだよ。
(熊)メロディーも、思いっきり悲しそうな歌ですよね。
(隠)日本人の短調好みは有名だからね。勇ましそうな軍歌だって、ゆっくり歌うとお葬式の歌みたいになってしまうのが、結構多いんだよ。それで、この「戦友」の歌なんだが、太平洋戦争中には、好ましくない歌として圧力がかかっていた時代があるんだよ。一般には知られてないけど、私の実家の「野ばら社」では、「標準軍歌集」なんてベストセラーを出してたから覚えてるんだ。当時は内閣情報局というのがあって、言論や出版を規制してたから、この歌も削除を要求されたんだね。私の父親は頑固者だったから、「バカな役人が威張って」なんて怒ってたけど、情報局が許可しないと用紙の割り当てが貰えないから、どうしようもなかったらしい。
(熊)ふーん、情報の統制って、そんな形でやられるのか。時の政府ってのは、勝手なことをやるもんだね。
(隠)当時はまだ、言論の自由なんていう考え方はなかったけど、父としたら、元新聞記者の反骨精神は持ってたと思うんだよ。歌ひとつを取ってみても、お上があれこれ口出しするようになったら用心しなくちゃいけないな。ただし今なら目をつけられるのはテレビだろうね。それも、直接の介入じゃなくて、目立たないように、圧力団体なんかを使って、じわじわとやってくるんじゃないのかな。

こんにゃく座の新作「遠野物語」を見た

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 こんにゃく座の新作オペラ「遠野物語」(六本木俳優座劇場・17日まで)を見てきました。3人の作曲家による共作という、異例の作品になっています。しかも舞台そのものが、微妙な傾斜をつけた「異界」でのドラマとして演じられ、わずかに残された前面の水平な舞台に原作者の柳田国男が登場するという、重層の構成でした。
 主人公に設定された遠野の青年は、作家になることを夢見て上京し、柳田国男を訪ねます。しかし柳田国男が興味を示したのは、青年の作品ではなくて、その青年が伝えた「遠野の物語」でした。青年は「遠野の語り部」になることによって、日本の文化史に重要な役割を果たしたのでした。
 その過程で、重要な役割を持っているのが、奥深い「闇」の存在です。闇こそは、すべてを呑み尽くして「なかったこと」にしてしまう強力な存在です。語り部も、それを発掘する文学者も、油断をすれば闇に呑みこまれてしまうでしょう。だからこそ語り部は、心を込めて語り続けなければならないのです。
 このドラマの最後は、あらゆる照明が消されて、真の闇になって終るという異例の展開になっていました。私はなぜか東日本大震災を連想していました。あとになって解説書を読んでみて、私の感想が全くの的外れでもなかったことを知りました。遠野に限らず、日本のあらゆる地域には悲惨な災害の記憶があります。それは日本に限ったことでもないでしょう。現代の文明は、過去の滅びの上にある。
 その滅んだ者たちの記憶を、今に伝えるのが語り部の仕事なのでしょう。人間が過去の話を伝え聞くことによって、どれほど賢くなるのかを私は知りません。でも、語り部がいなければ忘れてしまうことを、語り部が伝えてくれていることは確かです。こんにゃく座という劇団も、この日本になくてはならない「語り部」の一つではないか、そんなことを考えながら、しばらく呻吟していました。
 
 

ボウリング教室へ行ってきた

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(ご隠居)新聞の折り込みに入っていたチラシを見て、久しぶりにボウリングに行ってきたよ。
(熊さん)そりゃ良かった。で、どうでした具合は。
(隠)ここ10年以上はずっとやってなかったから、どうかと思ったけど、案外忘れてないもんだね。やってみたら、第一球がストライクだったから爽快だったよ。スペアも一回出して、2レーン6人の中では最高得点になった。とは言っても79点だから、威張るほどじゃないけどね。
(熊)でもいいや、85歳が、自分が転ばないで球を転がすんだから、それだけでも上等ですよ。
(隠)3000円の会費で、毎週火曜日、あと5回できるんだよ。一回無料のサービス券も3枚貰ってきた。娘か孫といっしょに行くのもいいかなと思った。ボールは「体重の一割がいい」なんて書いてあったから、11ポンドでやってみたよ。昔はそんなことも知らないで、13ポンドあたりでやっていたっけ。「健康教室」だから、最初に準備運動なんかも、たっぷりやってくれるんで安心だね。立ち位置を決めて、右足から出る4歩助走の形も、やってみたらすぐに思い出したよ。床にドスンと落とさないで、水平にきれいにリリースするのは、得意だったんだ。昔は、草加に住んでいて、車で川口までボウリングをやりに行ったこともあったんだよ。そのあとブームになって、あちこち大きな施設が出来たけど、やがて飽きられて廃墟になったりもしたんだ。娘に聞いたけど、今はまた見直されて、根づよい人気があるんだってね。
(熊)ふーん、そうですか。高齢者向きにも、いいんでしょうね。
(隠)あまり過激な運動ではないし、走ったり歩く力の維持にも向いてるんじゃないかな。
(熊)ご隠居の、高齢者ライフに役立つんなら、まさに健康教室だね。いい時代になったもんだ。
(隠)ただね、運動が何かの役に立つと、もっといいんだが。健康教室を見学したとき、自転車マシーンが並んでたけど、あれで発電をしたらどうだろう。たいしたキロ数でないにしても、役に立つ電力を作り出すというのは、気分がいいんじゃないだろうか。

雪が降りそで降らない曇天

(熊さん)ご隠居、大丈夫ですか。朝からなんかボーッとしてませんか。
(ご隠居)あいあい、大丈夫だよ。だがな、降るんだか降らないんだか、わけのわからない空を眺めてると、眠くなるもんだな。部屋を温かくしてるから、居心地は悪くないんだよ。だが出かける気もないからボーッとなるんだろうな。一人になって、話し相手がいないからヒマ過ぎるってのも、ありそうだよ。
(熊)そりゃわかりますけどね。ブログのファンからは、「ブログは止めないで下さい」なんてコメントも来てますよ。
(隠)それも見たから知ってるよ。ブログをやめる気はないさ。今だって、いろんなニュースもちゃんと見てるよ。安倍政権に、このままやってて欲しいなんて、間違っても思うわけないだろ。野党の再編は、どこが中心になって行くのか、そこにも興味があるし、どうなってほしいという要望だってある。見たい映画も、読みたい本も、新聞見てるだけで次々に出てくるさ。でもね、昔みたいな勤勉さは、さすがになくなってきたのは、しょうがないかな。
(熊)でもさ、そこで踏みとどまってがんばらなくちゃ、ご隠居らしくないでしょうが。ひさ江さんがいなくなって一人の時間が増えたんなら、「毎日ブログ」を復活したっていいわけじゃないですか。ちょいと元気を出して、やってみたらどうです? ひさ江さんだって、その方が喜びますよ。
(隠)うーん、そうだな。ひさ江さんを、お目付け役にしてみるか。「ボク、どうしたの、しっかりしなさいよ」なんて言ってくれるかな。最後のころの、おとなしくなってしまったひさ江じゃなくて、本来の元気なひさ江だったら、黙ってるわけがないよな。チコちゃんに叱られるよりも、ずっとコタえるのは確かだ。 
(熊)そうでしょ。ご隠居には、いつまでもひさ江さんが必要なんですよ。お化けにならなくたって、夢に出て来なくたって、ひさ江さんは、ちゃんといるんでしょ。
(隠)そうさ。人は死なないよ。宇宙の一部として循環するだけだ。私が生きてる限りは、私の記憶の中にもいる。人は死なない、変わるだけだと、ブライスさんも教えてくれたっけ。
(熊)そうでなくちゃ、ご隠居じゃないや。勉強してきたのは、こういう時のためでしょうが。
(隠)そうだったな。般若心経は、唱えてればいいってものじゃなかった。実践しなくちゃ意味がないね。同行二人で、これからもやって行くよ。

練習戦艦比叡

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 日本海軍の戦艦「比叡」が、ソロモン群島の海底で発見されたというニュースが出ていた。この艦についての私の少年期の記憶は、「練習戦艦」であり「お召し艦」として固まっている。バイブルのように暗記するほど読み込んだ当時(昭和15年・1940年前後)の「児童年鑑」には、「長門」「陸奥」以下9隻の戦艦一覧の最後に、別格の練習戦艦として掲載されていた。
 諸元の一覧表を見ると、主砲の口径は巡洋戦艦の「金剛・霧島」級と同じ14インチなのに、排水量(トン数)が小さく、速力も遅いのが気になっていた。練習用だから早く走れなくてもいいし、天皇が乗るのだから居住性を良くしているのだろうと思っていた。ところが今回のニュースで調べてみて、当時の軍縮時代の国際関係から、わざと性能を落として「員数外」として温存をはかっていたらしいのがわかった。
 比叡の竣工は大正2年(1913年)で、日本の戦艦の中では2番目の古さだった。太平洋戦争では開戦翌年の昭和17年、第3次ソロモン海戦で、日本の戦艦としては最初に撃沈される運命となった。建造から29年間の生涯だったことにになる。実戦に備えて、装甲を補強し機関も更新した上で、備砲も追加して一人前の戦艦として戦ったようだ。力尽きて舵が利かなくなり、全員退去の上で、沈める処置をしたという。私としては「気になる戦艦」だったのだが、立派な戦いぶりを知って、何やら心の休まるものを感じた。
 日本の戦艦の名は、昔の国名から採られるのが慣例で、これは「大和」「武蔵」に至るまでそうだった。ところが比叡だけは霊山の名になっている。事情は知らないが、なんとなく高貴な感じがして好ましく思われる。


直木賞の「宝島」を読む

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 直木賞の受賞作で話題になっている「宝島」(講談社・真藤順丈著・1850円)を読んでみた。書店では品切れということで、アマゾンに発注しておいたら、案外に早く届いた。包みを開いてみて、その分厚さに、まず辟易した。新しい本は一日で読んで、その日のうちか翌日のブログに書いて「一丁あがり」でやってきた私のスタイルには納まりそうもない。直木賞というのは、どういう賞なのかと改めて検索してみたら、芥川賞が純文学作品を対象とするのに対して、直木賞は大衆娯楽作品という大まかな住みわけがあるようだ。本を買ってしまってからでは遅いのだが。ただ、沖縄を舞台にした作品というので、読んでみる気になったのだ。
 決して読みにくい本ではない。ウチナーグチというのだろうか、独特の沖縄方言を基調にして書かれてはいるのだが、読んでいると意味は自然にわかってくる。沖縄の人が、本土の人を相手にして話してくれている雰囲気になっている。ただし私にも一日で読むのは無理だった。くたびれて途中でやめたら、そこからペースが乱れて、私はこの数日間、ブログを書く気にもなれずにいた。
 「宝島」のタイトルには、サブタイトルとしてHERO‘s ISLANDという英語を添えてある。沖縄を宝の島だと言って自慢しているわけではない。反米(そして反日本政府も含む)の闘士の物語なのだ。それも、正面切った高潔な英雄などではない、米軍基地から物資を盗み出す、最高に評価しても「義賊」と呼べるかな、という程度の人たちなのだ。そして語り部になる主役は、沖縄警察の捜査官という設定になっている。これも、アメリカ軍に対しては抵抗する方法がなく、日本政府からも期待されない迷子のような存在になっている。
 この本の帯紙に書いてある宣伝文では「基地から持ち出された”予定外の戦果と英雄の行方”、奪われた沖縄(ふるさと)を取り戻すため、少年少女は立ち上がる。」としているのだが、それほど単純な構造ではない。最後に「コザ暴動」の場面が出て終るのだが、「それでどうなったのさ」という思いが残る。
 私が思うには、この「宝島」というタイトルは反語なのだ。戦後日本の、あらゆる矛盾を押し付けられた「ゴミ処理場」のように、今の沖縄はなっている。でもそれは本来の沖縄の姿ではない。美しい海に囲まれた楽園であることは、奪うことのできない事実なのだ。それでも便利なゴミ処理場の役割を、日本政府は押し付けずにはいられない。本土から切り離して独立させるなどは、夢にも考えてはならないのだ。
 それでは沖縄は、どんな未来を描いて進んで行けばいいのだろうか。沖縄の人たちが、「正当な日本人」として待遇される日は、来るのだろうか。そんな根の深い問題を背景にしながらも、あくまでも「大衆娯楽小説」として読めるというのが、今回の受賞理由になったのだろう。沖縄ではいま県民投票の準備が進んでいる。政治的な問題には、政治的な意思表示が必要になる。そんな「時ネタ」の材料としても、この本が広く読まれることを期待したいと思った。

長女が生まれた日

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 妻の遺品の中から、古い日記帳が出てきた。昭和37年(1962年)の、長女の誕生日から始まっている。その最初のページを、そのまま書き写してみる。

 11月28日(水)
うすら寒い病室に、一人待たされるボクのために、戸塚文子のユカイなママ物語を荷物に入れる。
 女の子だった。とても大きな子だった。ひと仕事を終って病室にもどされると、間もなく鐘の音がきこえてきた。ああ、もう28日なんだなと思った。
 37年11月28日 午前0時20分頃

 11月29日(木)
まるで、ずっと昔の事のような気がする。
冷たい北風の吹く中を、手回り品の包みを抱えて、ボクに寄って、少しずつ少しずつ歩いた。カスリの着物に毛皮を羽織ったボクは、もうすぐ父親になる人だなんて、とても思えなかった。

 木枯らしに 肩よせ合って 産院へ
 
 母となる 幸せの中に 鐘を聞く
 
 抱きあげて ほおずりしては 涙ぐむ
  夢にまで見た 今日の幸せ

(追記)草加には東福寺という寺があって、なぜか毎月28日の深夜零時から鐘楼の鐘を鳴らすのだった。なぜそういう習慣になったのか、今も鳴らしているのか、住職さんに聞いてみようと、いま思いついた。

アベノミックス朝日の深追い

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 きょうの朝日新聞は、珍しく第1面から第4面まで、連続して統計の不正操作を深追いしていた。アベノミクスで景気回復は最長の新記録を更新中という宣伝が、じつは実質賃金は低下しているのを統計の不正操作でごまかした結果だという、お粗末なからくりを明らかにしていた。
 官庁の統計資料は、国勢の現状を知る上で大切な根拠になるものだが、これが政権の都合で操作されたのではたまらない。生活は苦しくなっているのに、「皆さん苦しいと思うのは気のせいですよ。政府の統計では、ちゃんと改善してますから」と言われても、腹の足しにはならないということだ。
 国政の中身というものは、要するに国の金の使い方で決まってくるものだ。民生を厚くするには、より多くの財源を民生に回さなければならない。ところが日本の財政は、空前の大赤字を抱えて見通しの立たないところまで来ている。その中でも防衛関係費などは優先順位が高くて削れないのだと言う。
 そうした中での統計の不正操作には、政権が組織的に国民を騙(だま)しはじめた不気味さがある。長期政権の絶対的腐敗が、いよいよ核心に達してきたのだろう。今年は参院選に向けた「政治の年」になるが、自公政権にこれ以上の権力を与えたら、危険なことになりそうである。
 
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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