志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2019年07月

死んだ人の誕生日

 7月31日は、妻の誕生日だった。私より3歳若く、昭和11年(1936年)の生まれだった。生きていれば83歳になったはずだが、もう年は取らない。
 私たちの間では、互いの誕生日を改めて祝う習慣はなかった。ただ、31歳になったときに、
 君ありて 今となるまで 世に経たる
  三十一年(みそひととせ)の めづらしきかな
という歌を贈ったことがある。「めづらしい」というのは、愛づるで、いとしいという意味もあるんだよ、と解説をつけた。
間もなく「こんなのが出来た」と、返歌を持って来た。
 猫猫と ずいぶん言われて 鳴きもせず
  それもその筈 じつはネズミよ
というのだった。当時は愛称の「ニャンコ」をよく使っていたからだが、生れ年の干支(えと)では子年だった。私は昭和8年(1933)で酉(とり)だから、「ネズミが一生けんめい働いて貯めたのを、トリがぱっぱと使っちゃうんだって」と言われたことがある。ただし実生活ではそんなことはなくて、酒もタバコも無縁だった私は、基本的に無駄遣いをしない人だった。しかし時には衝動買いで、NHKに在職中のことだが、出たばかりの家庭用テープレコーダーを、ボーナス日に買って帰ったことがある。それで生まれたばかりの長女の声を、録音に残しておくことができた。それは今も「家宝」として残っている。
 妻は実際に猫好きでもあった。草加の家でも、中野に越してからも、猫を飼っていた時期がある。最後の猫は、新築したばかりの家の、特注した土壁を使って爪をとぐことを覚えて、いくら叱っても止めさせることができなかった。困った末に保健所に電話して引き取ってもらったのだが、娘たちには「いつの間にかいなくなった」ことにした。これは、わが家の「機密事項」である。ただし、どの猫も、店で買ったものではなく、すべて「何となく居ついてしまった」のら猫たちだった。その中には、惜しまれながら死んだ猫もいた。小学生だった長女は、ポロポロと大粒の涙をこぼした。その墓は、草加の旧居の庭の片隅に、今もあると思う。
 

サンプラザ・ボウリング「火曜教室」の食事会

 今年の2月から参加するようになった、サンプラザ・ポウリング場を会場とする「ボウリング健康教室・火曜午前コース」の、きょうは最終回を次回に控えての「懇親・昼食会」だった。昨年暮れに妻を亡くしたあと、毎週通っていた妻のための「毎週火曜日・午前中のデイサービス」に同行することもなくなり、私の暮らしは、毎日が休日の、とりとめのない自由時間の連続になるところだった。たまたま正月の新聞折り込み広告の中に、「ボウリング健康教室」のチラシがあって、これなら会場も歩いてすぐ行けるし、ちょっといいかなと思っていたら、私のボケを心配していたと思われる長女が、さっそくに賛成してくれて、様子をみながら写真を撮りにきてくれたのだった。
 日本でボウリングが本格的に流行した最初は、昭和30年代だったと思う。その頃は私の家族は埼玉の草加に住んでいて、当時のボウリングは、なにか時代の先端を行くような、いわゆる「カッコイイ」遊びという印象があった。テレビのCMに、「中山律子さん」が実名で登場した時代である。私は地元のボウリング場が物足りなくて、車を走らせて川口まで行った記憶がある。
 ボウリングはその後、人気の一時的な過熱と施設の乱立および淘汰の時代を経て、ようやく誰にもできる手ごろなスポーツとして定着してきたように思われる。運動としては決して過激ではなく、身体的能力と、求められる正確さなどの技術的な要素とが、適度にバランスしていると言えるのではないだろうか。さらに良いのは、今回は「健康教室」を看板に掲げていることだった。ただ遊びに行くのではなく、毎回が準備体操から始まる。その体操の指導ぶりは、いわゆる体育系ではなくて、一応きちんとしてはいるが、参加者のやる気に合わせて、まじめにもやれるし、いいかげんにやっても叱られない「ゆるさ」をもっているのだった。
 私は昔、サッカーの部活もやっていたから、体を動かすのは嫌いではない。体が固くはなっているが、関節の限界まで曲げ伸ばしを繰り返すのは、体のメンテナンスをする快感がある。「遊び」だけではない「教室」だからこそできることだろう。
 そしてまた、競技を通して人との交流が始まるところがいい。ボールを投げる「運動」の部分と、その前後のチーム仲間との「会話」の部分が、これまたバランスよく連結しているのではないだろうか。食事会での話し合いで、全員の中で私は最高齢らしかった。私の親友の山本荘二(故人)は、3浪して京大に入り「長老」と呼ばれたそうだが、私もボウリング仲間の「長老」になれたらいいかな、と思った。 

夜が明けても曇天で

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(熊さん)選挙が済んで夜が明けて、朝になっても曇天ですね。 
(ご隠居)そうさな、昼か夜か、はっきりしろってんだ。お天道さんが顔を見せないんじゃ、夜が明けた気がしねえんだよ。7月も末だってのに、ちっとも夏が来やしねぇ。半袖シャツは、腕が冷えて気分悪いや。だいぶ以前のことだが、こんな「冷夏」っていう年があって、夏らしくなる前に秋が来ちまった。農作物は記録的な不作だったそうだ。昔から「日照りに不作なし」といって、干ばつの害よりも、冷害の方が、ずっと怖いんだそうだよ。
(熊)そうですか。おいらもやっぱり、夏は暑いのがいいね。ところでさ、今度の選挙はどうでした。新聞の大見出しを見るだけでも、ご隠居が機嫌いいわけないね。
(隠)当り前よ。何より気に入らないのは、投票率が5割も行かないで、戦後2番目の低さだったってことだよ。棄権しちまった連中は、なに考えてるんだか。世の中こんなもんでしょ、政治は、やりたい人がやってればいいですよ、ってことかいな。
(熊)でもさ、よく読んだら、「立憲民主党」という新しい芽が出て来てるのを評価してる部分があるんですよ。
(隠)ああそうか、いつもと反対だな。お前さんの方が全体をよく見てるわけだ。私は面白くないから、ゆうべはテレビもあまり見ないで早く寝ちまったんだ。東京の地方区は、立憲の、大丈夫と思ってた方の候補が落ちてしまった。事前の情勢から、私は女性候補の方に入れたんだが、結果は逆だった。選挙ではよくある行き違いだな。ともかく、これで当分、安倍政権が続くことになる。歴史に残る長期政権というのが、現実味を帯びてくるだろう。それをどう評価するかは、後の人たちの仕事だな。

比例区には「れいわ」と書いた

 選挙の投票を済ませてきた。地方区には、地元の立憲民主党候補の名を書いた。比例区の投票記載台へ行ったら、書いていい候補者名と政党名と、それらの略称までが、わかりやすく一覧になっていた。「れいわ新選組」の略称のところには、「れいわ」という書きやすい三文字があったので、それを用紙に書いて投票してきた。
 私の家には、なぜか今回は「選挙公報」の配布がなかったのだが、ネット情報によると、山本太郎氏の「れいわ新選組」の比例候補者の順位は、山本太郎氏がトップではなくて、身体障碍者の候補者数名が、上位になっているとのことだ。たとえば車椅子を必須とする人が当選して議員になったら、国会の議場を、車椅子でも利用できるように改造する必要が出てくる。すべての国民を代表する議会であれば、いわゆる健常者でない議員がいても当然ではないかという、すぐれた問題提起がなされるわけだ。やはり山本太郎氏は「ただものではない」と思う。
 低調と言われている今回の参議院選挙だが、少しずつでも新しい流れが加わって来るのは良いことだ。選挙の結果が、いつもよりは少し楽しみが大きいような気がする。
 

「アベ政治を許さない」のなら

 そんなに遠くない昔、「アべ政治を許さない」というプラカードが、国会周辺を取り巻いたことがあった。今よりも少しは若かった私も、自分なりに、毎月9日には、金子兜太氏の筆になると言われる書を掲げて歩いたこともあった。その日に合わせて、いっしょに歩いてくれる「同志」に出会うこともあった。
 あれから何が変ったのか、「アベ政治」は少しでも良くなったのか。そんなことはあるまい。ただ惰性で動いている政治だったが、野党が弱かった。アベ政治が「一強」と呼ばれていて、それに代われそうな勢いのある野党が存在していなかった。だが今は違う。立憲民主党という本命野党が、ようやく立ち上がってくれたのだ。
 しかし、この夏の参議院選挙、今までに見たこともないほど話題にならず、存在感が薄いのは、どうしたことだろう。衆参同日の選挙になるかと言われていたのが、参議院単独が確定したとたんに、人々の意識から消えてしまったように思われる。もしかすると、記録的な低投票率になりそうな予感があるのだ。
 だが、これを裏返すと、政治に何事かを期待する人にとっては、チャンスかもしれないのだ。意識して投じた一票が、さらに重くなる可能性がある。いずれにしても、せっかくの選挙権を、まじめに投じようとしない人に政治を論じる資格はない。
 日本の未来がどうなっても構わないのでなければ、成人には投票に行く義務がある。理由なく選挙で棄権することを、法をもって処罰する国もあるくらいなのだ。支持する人も政党もないのなら、「棄権」という投票をしなければならない。
 「アベ政治を許さない」ためには、必ず投票に行かなければならない。それが有権者の義務というものだ。
 

「三国志」特別展に行ってきた

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 昨日は、東京国立博物館で開催中の「三国志・特別展」に行ってきた。敷地内の「平成館」の全体を使った大規模な展示だった。
 「三国志」については、高校時代に「吉川英治の三国志」の全巻を夢中になって読んだ経験があるので、非常に身近に感じている。劉備玄徳が、諸葛孔明を軍師として、漢王朝の復活をめざす「天下三分の計」を立て、成都を都とする「蜀漢」の王となるのだが、天下統一の志を遂げることなく病没するまでの悲劇を描いたものだった。劉備と関羽と張飛の3人が「義兄弟」の誓いを交わし、孔明の知略を借りながら理想の国づくりを進めて行くという筋立てだが、これは「三国志演義」という小説が原形となっている。当時の私は年代的な知識もなく、素直に感情移入して、自分を劉備玄徳になぞらえていたのだった。
 今回の展示では、チラシにも「いざリアル三国志へ」と書いてあった通りに、三国の実在した時代の実像を、発掘物などを活用しながら再現しようとしていた。たとえば戦いは弓矢の時代だから、空を覆うような矢の大群が襲ってくるのを再現した部屋があったりした。孔明が夜間の計略で空船を並べ、一夜にして大量の矢を調達したという話を思い出した。
 また、魏の曹操の墓が新たに発掘されたとのことで、その実物大の展示もあった。地下に広がるとてつもない大きさで、それでも「簡素な墓」だという説明だから、国が大きいだけに、墓の作り方も「前方後円」などとは規模が違うことを実感した。 
 ただし今回の展示では孔明も関羽も張飛も登場しない。歴史の資料としては何が残っているかを展示しているのだった。リアルの三国時代は、西暦紀元で220年から280年に当るのだそうだ。そのころの日本は、奈良時代にも飛鳥時代にもならない「古墳時代」だったとされている。改めて、中国の文化の奥深さを思い知らされた感慨がある。

佐藤愛子の「冥界からの電話」を読んだ

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 書店でこの本を見かけたら、「冥界からの電話」という題名に引かれて手にとった。著者の佐藤愛子は、サトウハチローさんの異母妹だから、なんとなく親しみがある。以前にこの人の「九十歳。何がめでたい」を読んで、記事にしたことがある。
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55760539.html
 その人が95歳になって、しかも冥界からの電話を「これは本当にあった話です」と書いているのだから気になった。買ってきて半日ほどで読んでしまった。
 つい先日、「地下鉄(メトロ)に乗って」(浅田次郎)を読んだばかりで、電話線の両端にいる二人が、時間がずれたままで話をするという設定に興味を持ったところだ。ところが読んでみたら、死んでしまった人と電話で会話したという話を聞いた人がいて、それを「先生」が聞き、さらに「筆者」はその先生から聞いたという、複雑な構成になっていた。だからこそ「これは本当の話です」と断言できるのだった。
 「死人に口なし」とは古くから言われていることだが、死人に口を与えて自由に語らせたら、ずいぶんいろいろな真実が明らかになるだろう。それが電話という現代の利器を利用して実現したら、ずいぶん便利に違いない。この本では、死んだ妹が、兄の体に依憑して語るという形をとっていた。
 死者がそれぞれに語り尽くせぬほどの「思い残し」を抱いているだろうことは想像するまでもない。でもそれらは、信頼できて霊能にもすぐれた人を探し当てなければ表現する方法は得られないのだ。それはまさに真剣勝負と言ってもよい。
 死者から信頼されて選ばれた人は幸せなのだろうか。私は必ずしもそうとは思えないのだ。なぜかと言えば、私は愛妻の来訪を夢にさえ感じたことがないからだ。彼女の関心が、死ぬ瞬間まで私に向いていたことは疑いない。それでも今は安んじて安住の地にいると信じている。便りがないのは無事の知らせなのだ。
 「人は死なない、宇宙の中で循環する」と悟ったのが私の哲学である。私もいずれは姿を変えてその流れに合流する。生とか死とかは、ある一瞬の生命現象の一部でしかなかったのだ。ただし、便利な電話が通じるのなら、それもいいかと思っている。冥界からの電話で話ができた人がいるのなら、それは祝福してあげよう。

映画「新聞記者」を見た

 昨日は新宿で映画「新聞記者」を見てきました。期待していた以上に迫力ある、よく出来た映画でした。政権に人脈を持つ人物の起こしたレイプ事件とか、医科大学の新設に関する疑惑とか、つい先日に聞いたような話も出てきて、同時代小説というか、一種のドキュメンタリ−を見せられているような感覚がありました。
 新聞記者の使命とはなにか。それは政権から流される情報を、そのまま国民に知らせる広報役だけではない筈です。公式発表では隠されている部分に、むしろ重要な問題が存在しているのかもしれない。それに気づいたら、自分で納得できるまで、事件を深掘りするしかありません。その結果として「特ダネ」を掴んだら、新聞は他社に先駆けて特報記事を出し、販売部数を伸ばすことができます。
 敏腕記者に期待されているのはそういう仕事でしょうが、その底には、自分の成績というよりも、真実そのものを知りたいという強い欲求があり、それが「記者魂」と呼ばれるものなのです。
 しかし現実の記者活動は、さまざまな制約を受けざるをえません。記者の前には、次から次へと障壁が立ちふさがります。抗議の叫びは、世の人に届くでしょうか。
 この映画は、主役を引き受ける日本人の俳優がいなくて、人選に苦労したそうです。こういう映画が作られることを、政権が喜ぶわけがありません。だから私は、今の選挙の投票日までの間にこの映画を見ておくことを、皆さんに強くお薦めします。この映画では聞くことのできなかった「最後の叫び」を、どうか自分の「心の耳」で聞いて下さい。
 映画には、いろいろなことを伝える力があります。このままではいけない。まだ間に合うかもしれない。心ある新聞記者は、今も祈るような気持ちで記事を書いていることでしょう。
 
 

「地下鉄(メトロ)に乗って」を読んだ

 何の拍子だったか、長女が昔に読んだという、浅田次郎の「地下鉄(メトロ)に乗って」(文庫版)を貸してもらって読んだが面白かった。かなり部厚かったが、昨日のほぼ一日をかけて読んでいた。昔からよくなじんでいる地下鉄で、丸ノ内線の方南町の車両基地なども出てくるから親しみを感じられた。私が大学生の時代に、それまでは浅草から上野経由で渋谷まで行く銀座線だけだったのが、池袋からお茶の水へ通じる新しい地下鉄が出来て話題になっていた。ただし地下鉄なのに地上を走る部分が多くて、予算がないから本格的な地下鉄の新設は、まだ無理なのだろうと思っていた。「丸ノ内線」という名称はなくて、私たちは単に「新しい地下鉄」と呼んでいた。
 銀座線の開通は、浅草・上野間が最初で、それは昭和2年という早い時期だった。そして昭和14年には路線は上野から銀座・新橋そして渋谷へと延伸して、直通運転を始めている。そしてそのあと新しい地下鉄路線が出来たのが上述の昭和30年代なのだから、私が育った時代の地下鉄と言えば、今の銀座線に決まっていた。
 私は地下鉄が好きで、それを知っている母は、私を連れた「お出かけ」のときは、地下鉄の先頭車両に乗って、前面のガラス越しに、トンネルの先を見せてくれるのだった。信号灯の色が鮮やかで、次の駅が遠くに明るく見えて、それがだんだん近づいて来る。それは、わくわくする風景だった。当時の運転士は、左端の狭い区画の中に入っているのだった。
 ただし、きょう書きたいのは、この本の書評ではない。この作品に出てくる、電話で話している二人の間に、何年もの時間差が生まれているという設定が、意表を突いて新鮮だったのだ。そうか、電話線で時間を越えられたらいいなと思った。
 死んでしまった妻に、ぜひ聞いておきたいことがある。「あなたの心臓が止まる前に、一瞬でもいいから、温かい湯に入って『ああ、いい気持ち』と思ったんだよね」と確かめて置きたいのだ。彼女が「ええ、そうよ」と、やさしく答えてくれたらそれでいい。「あんたは、そっちにいていいよ。いずれ、そっちへ行くから。」
 浅田次郎は、この本を書いて新人賞を取ったということだ。小説家でなくても、故人と電話で話すことは、できるのかも知れない。妻のすぐ近くには、母もいそうな気がする。時間を越える電話を、また掛けてみよう。

若者の保守化は本当か

 少し前から気になっていたのだが、若者が保守化しているというのは本当だろうか。統計を精査した上で、そういう傾向があるという報告を、ネット上で複数見たような気がする。あまり信じたくはないのだが、わが家の子世代、孫世代を見ているだけでも、そんな現象があっても不思議ではないと思えてきた。
 それを簡単に要約すると、「環境への過度の適応」ということになる。人当たりも、物わかりもいいのだが、現状への不満は少ない。「世の中はこうあるべきだ」といった理想追求の姿勢がなくて、とにかく現状を前提にして、自分をそれに適応させることだけに頭を使っているように見えるのだ。その根底には、「自分が生きているこの世の中の現状は、そんなに悪いものではない」という認識がありそうだ。
 だから選挙に対しても、関心はあまり強くない。ただし私の政治的立場は、家族はよく知っているから、「今度は〇〇さんでいいんでしょ」程度のことは言ってくれる。そして選挙権を無駄に捨てるようなことは、ずっと以前から、私の家の中では考えられないことになっている。しかしこれが、政治家とは縁のない一般家庭だったらどうなるのだろう。家族や家庭の会話の中に、政治や選挙の話が出ることは、非常に少ないのではないだろうか。そして投票日になったらどうするか。
 自分に特段の意見もなく、世の中がそんなに悪くないと思っていれば、野党の候補者に投票する意味はなくなる。投票に行くとしたら、政権与党の候補に入れておけばいいや、ということになるのではないか。梅雨空の下で、あまり盛り上がっている様子もない選挙が進んでいる。
 

ブログ連歌(536)

10699 熟しゆく 梅の香に酔う 軒端かな (みどり)
10700  君なき初夏に 時は過ぎゆく (建世)
10701 ダイエット するほどでもないが ダイエット (高橋剛)
10702  くびれある腰 今ふたたびと (みどり)
10703 梅雨入りて 木々も(重く)しげく 佇みて (高橋剛)
10704  傘さしめぐりぬ 初恋の道 (建世) 
10705 夏祭り 山車に連なる 子の笑顔 (みどり)
10706  ふとよみがえる 故郷のむかし (建世)
10707 介護料 国民保険 増え続く (みどり)
10708  百年安心 自助と公助で (建世)
10709 前へ向かう 国士ちゃんが死んだ (高橋剛)
10710  14日 6月10月 墓参り (高橋剛)
10711 ケガもせず ケガもさせずに 免許終え 
10712  70年の 戦後自動車史 (建世)
10713 梅雨寒に 炬燵もまだまだ現役だ (高橋剛)
10714  免許返納は体鍛えてから (高橋剛) 
10715 梅雨烈し 恵みとならぬ 郷土あり (みどり)
10716  せめて安かれ この週末は (建世)
10717 暦めくり 半年経過 腑に落ちず
10718  されども時は 過ぎて行くらし (建世)
10719 梅雨さなか 選挙看板 立ち並ぶ (みどり)
10720  濡れにぞ濡れて 色変らずや (建世)

「なんとなく不まじめ」の印象

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 きょうの朝日新聞だが、きょうから参議院の選挙戦が始まるということで、「7党首討論会」という企画記事を掲載していた。その集合写真がこれなのだが、なにか「小学校の学級委員の選挙じゃあるまいし」という気がした。もちろん出席した各党首の責任ではなく、演出をした朝日新聞の担当者が思いついて、それを各党首が受け入れたのだろう。こういう場では、もし多少の違和感があったとしても、撮られる側としては、依頼された通りに協力するのがエチケットというものだ。私もカメラマンとしていろいろな人の肖像も撮ったから、そのことはよくわかる。
 それでも、この写真を見たときのザラっとした違和感は、何なのだろう。日本の進路が、いよいよ決まって行く実感がある、その大事な選挙が、こんな仲良し会的な雰囲気で行われていいのだろうかという違和感が、根底にありそうだ。
 今度の選挙では、安倍首相は、「とりあえず改選の過半数が取れればいい」という、非常に低くハードルを下げた目標を述べたと伝えられる。本当は欲しい「参議院でも3分の2以上」は、とても取れそうもない現状を踏まえた発言と思われる。悲願だと言っていた「憲法の改正」は当面隠しても、自分の「失点」にカウントされるような結果だけは、絶対に見たくないというのが本音だろう。
 自民党の目標がそれならそれでいい。自民党の改選議席数を、半数ぎりぎりか、それ以下にまで減らしてみたらよかろう。野党側は、一人区ですべて候補者一本化の調整を済ませたということだ。参議院の選挙結果は、影響が長く残るところに特徴がある。自民党の「改憲発議」の可能性を、絶望的に小さくしてやれる好機が、間もなくやってくる。

身を守る「両足運転」

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 つい先月に、自動車の運転免許を返納して、16歳から70年にわたる自動車運転に終止符を打った。自動車についての記事はこれで最後にしようかと思うのだが、晩年になって身につけた「両足運転」の長所について、もう一度だけ書いておこうと思う。というのは、いつまでも「踏み違え事故」のニュースが絶えないからだ。
 原因は、はっきりしている。右足でペダルを踏むという同じ動作で、ある時は加速し、ある時は停止するという正反対の効果を得ているから、反射神経が優位になる危急の際には、見境なく足を強く踏んでしまうからだ。「自分はそんなヘマは絶対にしない」と思い込んでいる人は、余計に危ない。本当に危険な状況というものは、人工的に作り出すのが難しいからだ。16歳で免許を取り、自信満々だった私も、70歳代になって初めて経験するまで、その危険性を知らずにいた。
 「その日」の状況は、今もありありと覚えている。車庫から車を出して、最初の野方警察前の信号で待っていたときに、それは起きた。私は手元で、ちょっと込み入った書類の点検をしていた。その間に、ブレーキを踏んでいた足がゆるんだらしく、前車との間が異常に接近しているのに気づいたのだ。「あっ」と思ったのと、エンジンが高音を出し、車体が激しく揺れたのが、ほとんど同時だった。そのエンジン音は、家の二階に居合わせた娘たちにも聞こえるほど大きくて、何事かと思ったそうだ。事の結果は、前にいたタクシーに当って、その前の車と衝突させた、3台が関係する「玉つき事故」だった。けが人が出なかったのが、せめてもの幸運だった。
 この思いもかけぬ事故で、私も真剣に考えた。そして出した結論が、ブレーキは左足で踏む「両足運転」だった。本当は左足でアクセルが踏めると楽なのだが、今の自動車の構造では、それ以外に適応の方法がない。
 この運転法への転換には、慣れるまでに半年ぐらいかかったような気がする。走る前に「右足で走る、左足で止まる」と、呪文のように自分に言い聞かせたものだ。そしてもちろん、一度決めたからには、絶対に後戻りはしないこと。
 踏み違え事故の恐怖は、「止まろう」とする意志が、逆に加速に働いてしまう悲劇にある。反射神経に支配されたら、理性で制御は不可能になる。危険の防止は、落ち着いて考えた合理的な対策に寄らなければならない。
 
 

梅雨前線豪雨という新災害

 九州・鹿児島地方の豪雨についてのテレビ・ニュースを見ていると、「梅雨前線豪雨」という、新しいタイプの災害が出てきたような気がする。梅雨の季節は昔からあって、その終り近くに時として大雨が降ることは経験してきたが、今回の豪雨の解説を聞いていると、梅雨前線の特定の位置に大雨が集中し、しかも同じ位置に滞留するというのは、構造的にあり得る現象のようだ。
 世界的に見ても、大洪水とか、その反対に深刻な干ばつとか、気象が極端に振れやすくなっていて、それはたぶん地球規模の気象温暖化に原因があるという説を読んだことがある。それによると、日本列島は、やがて温帯ではなくて熱帯の気候に近づいて行き、北極海は氷が減って、国際航路として使いやすくなるということだった。
 人間の文明が地球規模の気候の変動を引き起こしても、人間はその新しい気候に適応しようとするだろう。それは深刻化すれば、世界にとっての大問題となり、もしかすると戦争を忘れさせるほどの緊急課題になるかもしれない。あるいは反対に、生存競争をかけた国際紛争を多発させるのだろうか。人類は、それほど愚かではないと思いたいのだが。
 欝々と雨に降り込められていると、どうも考えることが陰気になってくる。天気予報の週間予報には、太陽マークが一つも出ていなかった。梅雨明けについての予報はまだ聞こえてこない。ちょうど夕飯時が近づいて、次女が「晩ごはん、チャーハンでもいい?」と聞きに来た。「ああ、いいね」と答えたが、本当にありがたいことである。こういう家と娘たちを、妻が残して行ってくれたのだ。
 

ベ平連〜市民が主役であろうとした時代

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(右端で話しているのは吉岡忍氏)

 昨日は、多摩市永山の公民館ホールで開催された集会、「市民が主役であろうとした時代〜ベ平連のメッセージ」へ行ってきた。ベ平連とは、「ベトナムに平和を!市民連合」の略称なのだが、今は、そのことさえ知らない人が多いのではないだろうか。南北ベトナムの間で始まった民族間紛争に、アメリカが武力で介入して大規模な地上軍の派遣と猛烈な「北爆」を行ったことから、広範な反戦運動が始まったのだった。
 この運動は、特定の政党とも結社とも無関係に、自由な個人の参加によって支えられ、発展したところに最大の特長があった。当時は、知人と話し合っていて何かで意見が一致すると、「それじゃ、〇〇をしよう、市民連合だ」といった話が、冗談のように出てきたものだ。ふつうの市民が、その気にさえなれば、社会的に意味のある行動をしてもいいんだという、突き抜けたような明るさがあったと思う。私も、アメリカ軍の北爆には怒りを感じていたから、一個人としての手紙を、アメリカ大使館に宛てて投かんした記憶がある。
 今回の集会の前半では、ベ平連の運動を記録したビデオ「殺すな!」の上映があり、新宿西口が「地下広場」と呼ばれていた頃の情景が見られた。私は当時はまだ問題意識もなく、何か世の中が騒がしいという程度の関心で新聞やテレビを眺めていたことを思い出した。あれから50年を経て、自分がその西口に立つことになったところに、時代の巡り合わせを感じる。
 この会場で吉岡忍氏の話を聞きながら、自分の責任ということを考えた。あるいはそれは、「使命」と言ってもいいのかも知れない。自分がここまで生きて来た中で、後の世に伝えるべきことが、まだ残っているのではないか、と思ったのだ。だとすれば怠けていられる場合ではない。重い宿題を、腹の底に感じたのだ。どうしよう。
 
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
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