志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2019年08月

今にして対面するブライス師の教え

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 妻を見送り、自分も老体となって、あとは静かに人生の終結を考えればいいという境地になっていた(つもりだった)。しかし兄の死で状況が変った。父が残した小さいながら伝統のある出版社と、同じく夢を描いた箱根山の不動産の管理者が不在になった。
 このまま放置しても、「何とかなる」ことはわかっている。数年のうちに権利者がすべて消滅して、「国の財産になる」可能性もある。それも悪くはないのだが、生涯をかけた父の夢はどうなるのか。正当に管理権を取得して将来に向けて保全する機会があるのなら、それは試みるべきではないのか。
 そんなことを考えている中で、偶然のように本棚の隅から、大学3年のときの教科書が出てきた。その中に、ブライス師と対面して質問し、教えてもらったときのメモが挟んであった。授業のあとで、個人的に質問したときのものだと思う。試験のあとで、「一人も正解者がいなかった」という厳しい評点に対し、食い下がってその真意を教えてもらったことがあったのだ。そこで私は、「禅の悟りについての根本的な勘違い」を指摘されたのだった。つまり、空(くう)とは、「すべてを諦めた空白」ではなくて、「100パーセント充実した解脱」だということだった。
 ここで説明されたのは、「悟りとは、地球の回転に乗せられているという認識ではなくて、自分が地球を回しているという自覚だ」ということだった。荒唐無稽のようだが、禅ではそれが当り前なのだ。悟った心は宇宙と同じ大きさになる。だからこそ、あらゆる現実を超えることが出来るのだ。
 その極意が左下に手書きで書いてある。「禅とは、君が石や木(つまり地球)を回転させることなのだよ」と。

サンプラザ・ボウルは私のホームグランド

 中野サンプラザビルの地階にあるボウリング場は、この2月以降、私にとって「毎週火曜日午前中のホームグランド」になっています。「健康ボウリング教室」のチラシを見た娘たちが、「こんなのどう?」と勧めてくれたのがきっかけでした。かなり昔から心得はあったので、参加することに抵抗はありませんでした。息が切れるほどの運動量でもなく、それでも投球の一瞬にはそれなりの力も使うので、中高年に向いたスポーツだとも思っていました。
 そのボウリング場通いが、半年以上継続して今になりました。自分のチーム3名と、隣接レーンの3名を加えて合計6名、この6名が1フレームごとに左右のレーンを交代しながらゲームを続けて行きます。途中でストライクかスペアが出れば、スコアにマークが入ります。フレームが10回で1ゲームですから、1ゲーム30分強ごとに20球ぐらいを投げることになるでしょうか。ちょうど適度の運動量になるような気がします。
 考えてみると、妻がいた昨年までだったら、妻はたぶんいっしょには参加しなかったろうと思います。かといって見にくるだけも不自然だったでしょう。つまりは、妻が不在になったから可能になったボウリングだろうと思うのです。
 過去の一週間ほど、私は兄の死去に伴う実家の状況に、片足を踏み込んだような、不安定な状態にいたような気がします。それは兄が残した遺言という、私にはまだ実体のわからないものによって左右される可能性を秘めています。私には、何が欲しいというものはありません。むしろ何もないのが望みでした。
 しかしそれは、自分の育った実家が、どうなってもいいということとは違うのです。今のホームグランドは中野ですが、私のルーツは、間違いなく北区西ヶ原にあるのですから。

東京大仏〜赤塚乗蓮寺の仏像

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 長女に誘われ孫の運転で、板橋区赤塚にある乗蓮寺の仏像を見てきました。13メートルの高さがあり、坐像の仏像としては、奈良、鎌倉に次ぐ第3位の大きさになるとのことです。前に合わせた手で、鎌倉の大仏と同じ形の印を結んでいます。この形は、私がかつてインドネシアのボルブドゥール仏教遺跡で読んだ英語の解説が正しければ、仏陀が、(匱蠅魏爾欧峠粟犬稜困澆魄き受ける 印を結び禅定して思索を固める 手を開き一方を上に向けて大衆の救済に乗り出す という、3段階の、△謀る仏陀の姿を表現していることになります。ただし日本では、仏像についての、こうした解説を読んだことがありません。
 それでもこの仏さまは、首尾ととのった美形に見えます。建立が昭和52年と、新しいからでしょう。そしてこの周辺は、緑が豊かな小高い丘になっていました。板橋区立公園としての解説の掲示も出ていましたが、かつてここには赤塚を名乗る豪族がいて、その居城の本丸があったらしいのです。小山の一帯は、うるさいほどのジイジイ蝉の合唱に包まれていました。そして周辺の樹木には、多数の蝉の抜け殻が、しっかりと爪を幹に食い込ませて残っているのでした。
 しばらくは別世界にいるような、心休まるひとときでした。インド哲学を専攻した兄は、こういう実利的な仏益を楽しんだことはなかったのでしょうか。私はブライス師のおかげで、イギリス人から英語で仏教を学ぶことができました。仏教哲学を専門とした兄は、その知識によって、自分の心をどこまで高めることが出来たのでしょうか。時が許せば、私は兄と仏教談義をしてみる機会も欲しかったと思います。
 学問としての仏教と、よく生きるための教養としての仏教と、同じ仏教という土俵で、とりとめもなく、時間も忘れて語り合うような兄弟の時間が、一度でもあったら良かったのにと、改めて思います。

兄・志村文世の葬儀

 本日、上野谷中霊園に隣接する天台宗(護国山)天王寺において、兄・志村文世(野ばら社社長)の葬儀に列席してきました。棺の中の本人とも対面してきましたが、昔とあまり変わらない、彫の深い端正な顔立ちをしておりました。先日も紹介しましたが、かつての学歴エリートコースを登り詰め、旧制最後の東京大学文学部インド哲学科を卒業した人でした。
 性格的には、やや剛直なところがあって、父親からは信頼されながらも、時として激しく議論し合うようなところがありました。野ばら社の出版業を引き継ぐについても、一筋縄では行かず、兄弟間で派手な訴訟騒ぎを繰り広げるような仕儀となりました。これには、父親の判断のあいまいさが、大きく関係していたと私は思っています。創業者が、自分の仕事を上手に子孫に伝えるには、相手のことを考える、ある種の謙虚さが必要だということを、私はこの経験から学びました。
 私には、兄に野ばら社の二代目をやらせてしまったのは、気の毒だったという思いがあります。少なくとも学生時代までの兄には、仏教哲学の世界で新しい分野を開くという、使命感のようなものがあったと思うのです。決して小さな出版社の社長になって満足するような人ではなかった。あるいは、学者から教育者となって高い位置まで行くのが似合っていたかもしれません。私の家庭教師になったときの、あの教える力の確かさは、まさに本物でした。人は、自分の適性ということを、あまりよく知らないのかもしれません。
 きょうの会場で、私はずっと喪主の文枝夫人の近くにいました。社長夫人の苦労を、私は兄との出会いの最初から、近くで見てきました。気難しかった父から、「息子の嫁」として認めてもらうまでの間は、長くつらい時間の連続だったと思うのです。にもかかわらず、終生の夫婦として添い遂げたことは、それだけでも賞賛に価いします。
 本当に、一人の人には一回の人生しかないのです。生きているうちに何ができて何ができなかったかは、死んでみてはじめてわかるのでしょう。この人を、私は面と向かって「兄さん」と呼んだことが一度もありません。考えてみると、兄も私を呼ぶときは「おい」だけでした。

兄が死にました

 私の実家の「野ばら社」で、社長を勤めていた兄の志村文世(ふみよ)が、昨16日の朝に没しました。93歳でした。老衰および肺がんの進行もあったとのことです。会社の関係者の方から、ご好意の第一報が入り、その後、母方の親戚を経由して、会社からの「訃報」を転送していただきました。
 通夜は21日(水)午後6時〜7時
 告別式22日(木)午前10時〜11時
 式場は上野・谷中の天王寺(日暮里駅東口すぐ)
とのことです。
 志村家のきょうだいは五人おり、長兄は早くに亡くなり、文世が次兄で、その下に姉が二人で、私は末子でした。下の姉は今は消息が知れず、残っているのは、森脇姓の上の姉だけになりました。
 兄は昔の典型的なエリートコースをストレートに上った人で、府立四中から一高に入り、東大では旧制大学の最後の学年としてインド哲学科を卒業しました。ただしその専門を生かす就職をすることはなく、実生活では頭の良さを生かして税理士として信頼され暮らしていたようです。
 そして父親が亡くなったときの相続をめぐる壮烈な裁判劇を経て、結局は兄が野ばら社の経営権を引き継ぐことになったのでした。このとき私は、亡父の意思が、死後に至るまで私たちを拘束して、きょうだいを争わせているような、不気味にも不思議な感覚を味わったことを覚えています。そしてその争いの中から、私はいち早く逃げ出して「自分の城」を築くことに専念したのでした。ですから私の中には、「野ばら社を兄に押し付けて自分は自由になった」という、後ろめたさに似た感覚が、今も残っているのです。
 そのほかに、私には絶対に忘れられない貴重な思い出があります。それは国民学校を卒業し武蔵高校尋常科に入学するまでの春休み(敗戦翌年の混乱期で、非常に長かった)のことで、中学になれば絶対必要だからといって、英語と漢文の個人授業をしてくれたのでした。毎日、前日に習ったことを覚えているかどうかを確かめる試験を最初にする、じつに厳しい教え方でした。しかし、英語の発音をカタカナで書くことを厳禁され、発音記号を覚えたことは、私の生涯の財産になりました。教材は四中時代の教科書だったと思います。私は入学してから半年の間、英語と漢文のテストで100点以外の点数を取ることは決してなく、空襲続きで勉強できなかった心配も、完全に吹き飛ばすことができたのでした。
 そんな兄が、もう帰らない人になってしまいました。兄は子供を残すことができませんでした。昔、ペスという犬を、子供のように可愛いがっていたことを覚えています。
 冥福を祈るとは、いったいどういうことなのでしょうか。あなたの人生は幸福でしたか。兄は、きっとこう言うと思うのです。「ああ、俺かい、俺はこれでいいんだよ。余計な心配するな。」
(兄と私の力関係がどんなものだったか、一つの印象的な場面を以下のブログに書いたことがあります。)
http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55593394.html
 

帯広へ行ってきました

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 13日(火)から15日(木)まで、長女夫妻とその長男と私の4人で、2泊3日で帯広にある婿殿の実家へ行ってきました。天候は台風がらみでやや不安定でしたが、雨にも会わず、無事に帰ってきました。中日には、孫の運転する、ゆったりしたレンタカーに乗り、180キロ走って道南の名所を訪ねて回りました。冬の北海道の気候は、本当に快適です。窓を少し開ければ涼風が入り、冷房を使うこともない汗知らずの旅でした。
 写真は上から、着陸する寸前の帯広空港の周辺です。広い農地と牧草地の連続は、2013年に「そりゃないよ獣医さん」を訪ねた道東中標津とよく似ていると思いました。降り立ってからの、大平原を貫く直線道路の風景も似ています。
 ただし訪ねたお宅は、帯広の中心街から少し離れた住宅街の中です。長女は静岡に似ていると言っていましたが、総じて宅地が東京よりは広く、そして個別に塀で囲う習慣がないのです。
 そんなことよりも、今回は婿殿のルーツにつながる「家族の物語」を聞けたことが収穫でした。婿殿の母上は、私の妻と同年(同学年)なのです。そして帯広から遠くない芽室という町の出身で、9人きょうだいという大家族で育ったとのことです。結婚の縁は、教育者の家系から結ばれたようですが、夫は長命ではありませんでした。早くから母一人、子一人となり、息子が高校を出たあとは、東京へ送り出して自立を促し、自分も自立しようと覚悟を決めたとのことです。
 家はしっかりした作りの二階屋で、書棚には世界文学全集などの教養書が詰まり、ピアノも高度なステレオセットも備えてあり、クラシックのレコードも揃っていました。この家から学齢期の一人息子が去ったあとの、母親一人だけの暮らしは、どんなものだったのでしょうか。朝に目覚めて起きるまでの床の中で、こんな歌ができました。
(ふと思う)
この家を ひとり守りて過ごしたる
その年月(としつき)の長かりしこと 
 朝の食卓の席で、この歌の贈呈式をしようと思ったのですが、読もうとした瞬間に、不覚にも涙腺がゆるんで涙声になってしまいました。それでも母上は、一応の書式は整えた私のメモ用紙を、大事そうに箪笥の最上段の小引き出しに仕舞って下さいました。
 一組の男女が結ばれると、そこから一つの家族が生まれます。その血縁は、子の世代に引き継がれて、また新しい縁を結びます。その連鎖は、おそらく考えられる限りの永遠に続いて行くのでしょう。生きていて良かったと、本当にそう思います。

ブログ連歌(537)

10719 梅雨さなか 選挙看板 立ち並ぶ (みどり)
10720  濡れにぞ濡れて 色変らずや (建世)
10721 民主主義 形だけでいいと 諭される (獣医さん)
10722  かくてならじと 叫ぶは太郎 (建世)
(注・太郎=山本太郎)
10723 われこそは れいわ新選 旗を上げ
10724  混迷の世に 血路開かん (建世)
10725 改憲の 必要なしと 揺るぎなく (みどり)
10726  護憲の票が 平和を守る (建世)
10727 選挙戦 やぶれ明日(あした)を 信じかね (みどり)
10728  夏日の下に 台風を待つ (建世)
10729 真夏日は 行き所なき 暑さなり (建世)
10730  夏休みとて 子らはプールへ (みどり)
10731 ホワイト国外され 行くはブラック国か (獣医さん)
10732  さりとて引っ越し できぬ隣国 (建世)
10733 外交に 望むは和平 道は有り (みどり)
10734  暑さ煽るな 反韓・反日 (建世)
10735 表現の不自由を 表現させない不自由さ (獣医さん)
10736  秋立つ朝の 酷暑に吐息 (みどり)
10737 じりじりと 西日はげしく 真正面
10738  夕立もなく きょうも暮れるか (建世)
10739 訪ね行きし 十勝帯広 野は広く
10740  目ざす彼方は 果て無きごとし (建世)

お盆休みで15日まで北海道・帯広へ

 暑い夏が続いていますが、明日から15日まで、長女の一家と帯広へ行ってきます。婿殿の母上に会い、孫息子はレンタカーで北海道の大地を走りたいのだそうです。
 私としては、たぶん飛行機に乗る最後だろうと思っています。
 私が初めて北海道へ行ったときは、まだ学生だったと思います。版画家の河野薫さんに案内されて、竹久夢二の相続者のいる道南の様似まで、冬の時期に行ったのでした。父の「野ばら社」で、「竹久夢二詩歌集」を出版するためでした。河野さんには登別温泉にまで案内していただいて、帰りに連絡船で青森まで着いたとき、河野さんに宛てて「ホクカイノ ユキアタタカク ワカレケリ」という電報を送ったのでした。
 成人してからは、ただ「宗谷岬から樺太を見てみたい」一心で、正月休みに一人で出かけたこともありました。このとき、「冬の北海道の戸外には、液体の水は存在しない」ことを知りました。
 そのあとは、ゼンセン同盟の「返せ!北方領土」の運動にかかわり、若い組合員グループの「トレーニングツアー」に同行して、記録をスライド作品として制作したこともありました。夏の北海道は、本当に快適です。仕事のおかげで、私も長期にわたって、活発に各地を歩き回ることができました。
 今になってようやく、「年相応に、楽にしているのが一番いい」と思えるようになりました。朝夕に見かける亡妻の遺骨も、「それがいいよ」と言っているような気がします。私よりも若い妻が、私より先に逝くとは思いませんでした。
 今回の旅が、遠くまで出かける最終回になるのかどうか、あまり固く考えないで、まずは楽に行ってきましょう。
 
 

安倍自民長期政権の下で

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 世上を騒がせた「森友問題」も、どうやらここまでで「お開き」になるようだ。朝日新聞社の幹部は、なお「徹底検証を」と呼びかけてはいるが、国会の主導権を握れる野党も存在しない現状で、目のさめるような「どんでん返し」が起きる可能性は、非常に少ないと思う。
 安倍内閣が、「第3次」を発足させてからだけでも、もう丸2年以上を経過した。「第1次」からだと、2006年からだから、13年以上も続いているわけで、これは日本の近代政治史の上でも、佐藤栄作内閣と吉田茂内閣(いずれも7年間以上)を抜いて、すでに第一位の長さになっている。これだけ長期にわたって最高権力者である「総理・総裁」の地位を占めているのだから、指揮される官僚組織が、それに適応する組織体制を固めていることには何の不思議もない。
 この長期政権が、なぜ成り立ったかと言えば、それは「選挙で勝ち続けたから」という単純な理由から来ている。最近は「勝つのが当たり前」になり過ぎて、逆に投票率の低下まで招いてしまった。棄権した過半数が参加すれば結果は変ったかも知れないと思うのは、たぶん幻想だろう。結果が見えていると思って投票に行かなかった人たちが投票に行っても、結果は似たようなものだったろうと私は思う。
 だが長期政権が続くと、必ずと言っていいほど政治家と官僚の倫理は低下する。国民を軽く見て、勝手なことを始めるからだ。この新聞の見出しを見ただけでも、不愉快な感想を持つ有権者は、決して少なくないだろうと私は思う。だから次の選挙では、必ず投票に行って欲しいのだ。
 そのとき、「誰に投票したらいいかわからない」と思う人がいたら、私からは、次のように提案したいと思っている。理由をくわしく説明するのは面倒だが、長年の経験から、自信をもっておすすめする。
 〕薪泙慮補者よりも、野党の候補者の方がいい。
◆|棒の候補者よりも、女性の候補者の方がいい。 
 つまらない候補者よりも、面白い候補者の方がいい。

持続不可能な末路ではないのか

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 きょうの朝日新聞によると、福島第一原発の汚染水は、あと3年で場内にタンク増設の余地がなくなるそうだ。破たんした原子炉の冷却水は、流入する地下水も含めると、毎日150トン以上のペースで増えている。大半の放射性物質は除去できるが、トリチウムは残るので、タンクに貯めて置くしかないのだそうだ。そのタンクの増設スペースが、3年後の夏には満杯になってしまうという。国の方針では、タンクの水もいずれは薄めて海に流すつもりだったが、漁業関係者には風評被害への懸念が強くて、未だに実行できずにいる。
 一口に「風評被害」と言うのだが、これが本当の「風評」だけかどうかは、誰にもわからない。トリチウムは無害だと言われても、何世代にもわたって摂取した例は今までに存在しないのだし、後になってから「やっぱり良くなかった」とわかっても、もう手遅れになってしまう。わけのわからないものは体に入れたくないという気持を、「風評」で片づけていいものだろうか。
 現代から未来に向けての人類の課題は、「持続可能なサイクルの中に生きる」ことだと思う。きょうの新聞の第3面には、「原発の共同事業化」という見出しもあった。東電・中部電・日立・東芝の4者が、共同で原発事業に乗り出すというのだ。どれを見ても、日本を代表するような大企業だが、こんな優良企業でも、単独ではリスクが大きすぎると考えているとしたら、それは原発事業の難しさを、逆に告白しているのではないかと思った。そしてまた、「たかが発電の仕事に、なぜ原子力を持ち込む必要があるのか」という、素朴な疑問に立ち返らざるをえないのだ。
 太陽光でも風力でも、電気を作ることはできる。わが家の屋上も候補地になったぐらいで、つい先日も、太陽光パネルの設置を勧誘されたところだ。発電効率は、今後もますます改善するということだった。どこからどう見ても、原子力が発電の主役になることは、将来に向けて考えられない。日本は事故という形で、原発の弱点を知ることができた。「小難」のおかげで「大難」を免れたと言ってもいいのかも知れない。

脅迫犯人の逮捕は朗報だが

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 今回の「表現の不自由展」について、脅迫ファクスを送った男が逮捕されたとのことだ。愛知県警の機敏な対応で一安心だが、テロ予告も含めて、抗議の電話やファクスは他にも相次いだということだ。犯罪にならない範囲でのいやがらせも多かったようだ。警察が乗り出すためには、「威力業務妨害」といった犯罪要件を満たす必要がある。今回はファクスという、足のつきやすい道具を使ったことで逮捕できたわけだが、一罰百戒的な「見せしめ」としての効果を期待している面もありそうだ。
 展覧会というのは、一つの「意見表明の場」と見ることができる。意見にはいろいろあるから、自分の気には入らなくても、それは一つの意見だ。見て不愉快を感じるとしても、すべての人間の感性が同じではない。いろんな意見が交錯するとしても、気に入らなければ見なければいいので、その意見が大事だと思っている人の邪魔をしてはいけない。それが言論・表現の自由というものだ。
 考えてみると、この「表現の不自由」問題は、現代日本における時代思潮の変わり目を示す、かなり大事な問題のような気がする。だから私も興味があったので、結論を早く言えば、「たてまえとしての自由・平和・平等」が「飽きられてきた」ような気がするのだ。自分でものを考える人たちが、くたびれて来たのかもしれない。「自分が為すべきことを、誰か他人に決めてもらいたがっている」人が多くなっているのではないか。選挙での投票率の低下も、その現象の一つの指標なのかもしれない。
 そう思うと、とても不気味なのだが、「命令されて、一億一心で突撃することに喜びを感じてしまう日本人」のイメージが、亡霊のように立ち上がってくる。折から原爆忌があり、終戦記念日が来るのだが、それが「あやまちを繰り返さない」ための誓いだった筈だが、みんなが一斉に同じことをする「一億一心」に見えてしまう瞬間があるのだ。
 そんなのはたぶん私の妄想だと思うが、この暑さの中でも、熱に浮かされない冷静な心を取り戻したいと思っている。きょうは立秋だそうだが、秋の気配はまだ感じられない。昭和20年の8月も暑かった。天皇の放送があって、「戦争は天災ではなくて、誰かが止めると言えば終る」ものであることを知って驚いた。
 いろいろなことを見てきた86年間である。一億には一億の心があっていい。それぞれの人生を抱えて、味わい深く生きて行こう。ただし私については、戦争につながるものは、もう何も要らない。あれはもう充分だ。

   

不自由を言えなくなる不自由さ

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 このニュースには、よくわからないことが多い。「ガソリン缶を持って行く」などの脅迫をした犯人への捜索は、適正に行われたのだろうか。警察が協力して、当日の会場で持ち込み品の検査を厳重にするなどの対策は、考えられなかったのだろうか。テロの予告は、表現の自由という普遍的な価値への挑戦ではないか。それを野放しにしたのでは、「公安」を守るべき警察が役に立たなかったことになる。
 今の日本で、どのようなものが「公表してはまずい」と思われているのか、私も興味があったから、会場が近くなら見に行きたいと思っていた。人間が批判の精神を持つというのは大切なことだ。情緒に流されて「進め一億、火の玉だ!」で進んだ果てにどうなったかは、育ち盛りの小学生の頭で考えても、よくわかったものだ。何かに興奮して単純な考え方しかしない人間が増えると、ろくなことがない。
 この展覧会も、そんな批判精神に満ちた、すぐれた人たちが発想したものだろうと思う。テロの予告があったのなら、警察に相談して、警備を厳重にしてもらうことは出来なかったのだろうか。まさか「テロを予告されるような展示は止めなさい」とは言わなかったろうし、絶対にそんなことを言ってはならない。問題は表現の自由を守ることであって、展示内容が刑法に触れるものでない限りは、無条件に保護されるべきなのだ。内容の価値判断は、観客に任せればよい。
 この問題で一つだけ良かったのは、これが世界に知れ渡るニュースになったことだ。なるべく早く、新しい機会を作って、改めてちゃんと見せていただきたいと思う。

映画「夏少女」を見てきた

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 「幻の名作」と呼ばれていたという映画を、東中野ポレポレの初日に見て来た。緻密に仕上げられた、本当の名作だった。これが、完成から23年間も封印され、世に出ていなかったとは、信じられない。劇場できょう貰ったチラシには、「製作時の諸事情から」としか書いてないのだが、主演の桃井かおりさえ、未だに出演料をもらっていないとは、いったい何が起こったのだろう。その事情のわかるドキュメンタリーの「第2部」を、同時上映して貰いたいものである。
 脚本は早坂暁が書いている。どうしても書いておきたかった、自身の戦争体験に根ざした実話を下敷きにしているということだ。ただそれを、わかっている人にしか見えない異次元の少女の姿に昇華させている。戦争(原爆)で失った大切な人が、まだどこかに生きているような気がしていた、そんな雰囲気が今よりも濃く残っていた時代だからこそ作れた映画なのかもしれない。
 戦争は悲惨なもので、庶民の中に数知れぬ悲劇を作り出す。それは平凡な「ふつうの人」が、簡単に「悲劇の主人公」になってしまうことを意味する。その感覚は、爆弾がいつ頭上に落ちて来るかわからない暮らしを少しは経験した私にも、よくわかるのだ。親しい人との笑顔の別れも、次回があるかはわからない。一日の中で、何度も真剣勝負を繰り返しているようなものだ。それは人の恋しさにも近い。
 当時は小学生だった私だが、もう少し年上だったら、本当の恋もできたかもしれない。だが、いま「夏少女」を見て、リアルに思い出す恋人の幻影に悩まされずにいられるのは、幸運と言うべきだろう。妻がいたらいっしょに見に行って、もっと深い話も出来たろうが、それはまた別な話である。

日米安保見直しの好機にしよう

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 きょうの新聞によると、アメリカのトランプ大統領は、在日米軍の駐留経費について、日本側負担の大幅な増額を言い出しているらしい。「今の5倍」という数字も出ていた。「守ってやっているんだから、今までが安すぎた」と言いたいのだろう。この人らしい短絡的な発想なら、言いそうなことである。しかし日米安保が今のようになったのは、アメリカの主導で固めてきた結果ではないか。早く言えば、それは「占領軍としての米軍特権の固定化」の結果だった。日本における米軍は、今も「占領軍としての特権」を、色濃く残している。
 たとえば沖縄の巨大な米軍基地は、「日本を守ってやる」ためにあるのではない。米軍の世界戦略の中の、有力な出撃基地として整備されているのだ。日本の本土の真ん中にも、「横田空域」と呼ばれる広大な米軍管理の空域があり、民間航空路の円滑な運用を妨げている。これも米軍の世界戦略の中で、手放したくない既得権となっている。今は自衛隊も整備されてきて、「自分の国は自分で守る」体制が整ってきている。米軍が居座っているのは、「アメリカのために必要」という戦略があればこそだろう。経費がかかって困るのであれば、駐留の規模を、必要最小限にまで減らせばいいだけの話ではないか。
 在日米軍については、「思いやり予算」という、名前からして怪しげな支出が日本側から行われていた。今もあるかどうかは知らないが、脱法的な支出をしてまで、アメリカ軍に「駐留して居ていただく」必要が、今の時代にもあるとは思えない。占領軍時代の特権を完全に洗い落とすためにも、日米安保条約は、「一度破棄して結び直す」ぐらいの抜本的な見直しが必要のように思われる。
 
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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
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