志村建世のブログ

多世代交流のブログ広場

2019年09月

この1週間の経過報告

 いろいろなことがあって、落ち着かない1週間だった。
 まず、21日夜に、にわかに腹痛に襲われた。下腹部の全体が、とにかく痛い。しばらく我慢していたが、とても眠れる状態ではないと見極めて、深夜になってから時間外受診を決断した。長女が7119番(救急通報するかどうかを相談する窓口)に電話して、近くの警察病院で時間外の診察を受けることにした。孫の運転で時間外受付から入り、ベンチで待っている間に午前0時を過ぎて22日になった。
 間もなく呼ばれて診察室に入り、ベッドで腹部を診察して貰うと、排尿障害ということだった。尿意は全く感じなかったのに、膀胱がパンパンに張っているというのだ。直ちに導尿が行われて、これが初体験だが相当に痛かった。カテーテル(細管)を、尿の経路を反対に、つまり出口から入れて膀胱にまで届かせるのだから激痛の連続になる。看護婦さんが2人がかりでやってくれたのだが、こちらは「痛い、痛い」の連続で、恥ずかしいの何のを考えている次元の話ではない。しかし、管が通って排尿が始まると、見る見るうちに苦痛が和らいで人心地がついてきた。
 あとで聞いた話だが、前立腺の肥大が原因の排尿障害ということだった。私の前立腺が肥大していて、膀胱を突き上げる形になっているというのは、10年以上前から知っていたが、貯水量が減って小水が近くなる程度のことだからいいやと思って放置していた。しかし、こういう怖い事態にもなるのなら、考え直さないといけないかも知れない。
 だから泌尿器科の専門医と相談する必要があるので、その予定は、すでに予約票になっている。長生きすると、人体にはいろいろなことが起きる。自動車なら故障が多くなる前に新車に乗り換えればいいのだが、人体ではそれが出来ない。一つしかない体を大事にするしかないのだろう。
 そんなわけで、22・23の連休はほぼ無為に過ごし、その間にカゼを引き、24日のボウリングはお休みとした。つづく25日、26日も微熱が続き、立っているだけで疲れるような倦怠感が強かった。そしてきょうの夕方になって、先ほど次女が部屋をのぞいて「もうすぐご飯だけど大丈夫?スブタだよ」と声をかけてくれた。「いいね、大丈夫だよ」と、やや元気に返事をした。

立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム

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 政権交代可能な野党を作るという趣旨で、国会に新しい統一会派ができた。その会派名が、「立憲民主・国民・社保・無所属フォーラム」という長い名になった。現憲法下での国会会派の名称としては、最長の19文字になるそうだ。ただし・(中黒点)も1文字にカウントするらしい。当初は「立憲民主党・国民フォーラム」にするつもりだったが、社保の名を残して欲しいなどの要望があって、このようになったらしい。
 ちなみに、従前の会派名の最長は、「生活の党と山本太郎となかまたち」の15文字だったということだ。名前の長さで人目を引くというのも一つの戦略かもしれないが、日常の使用には、あまり便利とは言えないだろう。
 この件で思い出したのが、昭和47年に制定された「男女雇用均等法」のことだ。採用や昇進についての男女の差別をなくすことを目的にしていた。ただしこの制定までには、業界団体の反対などもあり、かなり難航したことを覚えている。だいぶ骨抜きにされて、実効性には不安な面があった。私は当時、労働組合の教宣資料を作っていたから、「均等法と私たち」というスライド教材の中で、この法律の正式名称の長さを、落語仕立てで皮肉ってやったものだ。
「わーっ、すごく長い名前ですね。名前が長けりゃ、効き目もあるんでしょうか。」
「まさか、おまじないじゃあるまいし。」
といった内容だった。なんと「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」(42文字)というのだ。私の知るかぎりでは、一番長い名前の法律のように思われる。ただし現在では、内容の改定とともに、やや短い名称に変更されている。当初の名前が長かったのは、先行する「勤労婦人福祉法」などの、制定までの歴史経過を反映したからだった。 

きょうはいい日だ、こんにゃく座

(熊さん)ご隠居、お久しぶり。このところ、名物の「ご隠居、熊さん対談」がないねって、ファンの姉御たちが気にしてるみたいですよ。
(ご隠居)そう言われてみれば、そうかも知れんな。自分でもすっかり忘れとった。気持ちに余裕がなくなってたんだろう。それが、きょう見に行った「こんにゃく座」の公演が良かった。珍しく「ふしぎなたまご」と「おじいちゃんの口笛」の二本立てだったんだが、とくに「おじいちゃんの口笛」が良かったな。
(熊)そして、太田まりさんにも会って、赤ちゃんを抱かせてもらったんでしょ。
(隠)そうなんだよ、最初にまりさんに会ったのは、2007年春の大垣だから、もう12年以上も前になるんだね。最初から、女優さんにあこがれるって感じじゃなかった。自分の娘を見てるような気がしたんだよ。女優としての成長はもちろんだけど、何よりも彼女の「人としての幸せを願う」って気持ちが強かった。そんな不思議な「歌役者」さんだったんだよ。
(熊)わかりますよ、ストレートに出てくる、まじりっ気のない魅力でしょ。
(隠)そうだ、その通りだよ。それから私は許可も取らずに宿河原の稽古場に通ったりして、こんにゃく座のファンになって行ったんだ。いろんな舞台も見せて貰ったが、行くたんびに、来て良かったという収穫があったんだよ。それから「春のうた会」なんかも楽しかったな。
(熊)創立者の林光さんは、「日本人が聞いてわかる、日本語によるオペラ」を目指して旗上げしたんですよね。それがずっと続いている。
(隠)その通りだ。外国が「本場」で、上流階級が楽しむものだった「輸入オペラ」とは、そこが全然違うんだね。「日本人のためのオペラ」を開拓するというのは、決して易しい仕事ではないが、日本の文化のレベルアップのためにも、とても貴重な事業だと私は思っているんだよ。
(熊)ご隠居が元気になって、日本の文化も元気になるんなら、こりゃ八方よしだ。きょうは、いい日でしたね。良かったね、ご隠居。

(今回の公演は俳優座劇場にて、18日(水)14時からが最終回です。)

箱根の緑の中で

 昨日の昼まで、姉の一家とともに箱根にいました。夏は終りに近くても、木々の緑は、まだ全盛期のままです。最近の東京では聞かれなくなったひぐらしの声が、遠くから聞こえていました。姉家族の帰り支度を待つ間に、ベランダの椅子で休んでいた私は、知らぬ間に居眠りをしていたようです。
 一瞬、私は自分がどこにいるのか、わからなくなりました。ただ、懐かしいような安心感がありました。私は夏の箱根にいる。まだ高校生なのかもしれません。緑の中にいて、風に吹かれているのが好きでした。近くには父親がいて、剪定した枝で焚火をしていたに違いありません。もちろん暖をとるためではありません、ゴミを減らして灰を肥料にするためです。山育ちの父は、箱根に山小屋を購入してからも、毎日のように山仕事をしていました。それは楽しみのためというよりも、自分に課した仕事のように見えました。安楽椅子に深く腰を下ろして休んでいるような父を、見たことがありません。「俺は山猿だ」というのが、死ぬまで変わらなかった口ぐせでした。
 この父のおかげで、私も箱根の山を、自分の第二の故郷のように感じるようになりました。ただしそこには何の生産性もなくて、ただ気の向くままに山歩きするのが好きになった、というだけのことなのですが。
 その箱根から帰ったきょう、頭の中が、少しすっきりしているような気がします。あるべきものが、あるべきように見える、ということでしょうか。個々の人間は、所詮は本人の大きさに応じてものを考えるしかないのでしょう。それらすべてを統括した外側に、緑の風が吹いているのです。余計な心配は、要らないのでした。
 

なんという夕焼けだ

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 昨日の夕方、西空の夕焼けがみごとだった。すぐに連想したのは、母が見送った最後の年末に、箱根の山荘の居間で綴っていた日記帳の言葉だった。それは私の知らない母の、祖父母や父母へ向けた感謝と愛の告白であり、大自然に託して「この世に生きたこと」への、尽きることのない喜びを述べたものだった。
 西方浄土に、今は亡き父母や、もろもろの会いたい人たちがいるのかどうか、私は知らない。私がこれまで考えてきた「思想」に従えば、それらはむしろ幻想だろうと思う。にもかかわらず、こういう夕焼けに対面すると、私でも心がさわぐのは、なぜだろう。
 こういう空を見ていると、私でも「あっちへ行って母に会ったら、何を話そうか、と思ってしまうのだ。
 ただし、私の妻は、まだ「あっち」にはいない。祭壇の骨壺の中にいて、今でも毎日、ほとんど一日中、私と会話している。

風邪ひいた週末

 この週末、みごとに風邪を引きました。微熱あり、咳が多発、喉が痛くて、頭がぼうっとしています。エアコンの使い方が下手で、半袖の腕がちょっと寒いと思っているうちに、咳が始まってしまいました。家族内にほかの患者はなく、ウィルスがどこから来たのかは、わかりません。昨夜から葛根湯と「アネトン」を飲みはじめましたが、今のところ効果は出てきません。
 幸い、どこへも外出の予定などはないので、ただただ家の中で謹慎しています。軽率な行動はするなと、誰かさんが警告してくれたのかも知れません。心配してくれる人がいるとしたら、それはたぶん、私の亡妻でしょう。こんなときに妻がいてくれたら、どんな意見を言ってくれるだろうかと、何度も思いました。「私には、わからないよ」と言ったかも知れませんが、それでもいいのです。
 「あんたにも、わからないか。そうだよな、誰にだって、先のことがわかってりゃ苦労しないよ。」と、私も応じたでしょう。
 昼のニュースは、台風の接近を伝えています。それと同時に、にわかに大粒の雨が降りはじめました。洗濯物の取り入れに少しあわてて、これから昼食にします。
  「あの世」とやらに本当に妻がいるのなら、私も急いで後に続きたいのですが、どうなのでしょうか。遺影との会話は毎日のようにしていますが、本当のことはわかりません。私が少し不満なのは、あんなに親しかった妻が、未だに一度も夢にさえ出てこないことです。現世で充分に良かったから、もういいやと思っているのでしょうか。
 

夏水仙が2輪になった

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 夏水仙(じつは「タマスダレ」)の花が、二輪になった。つづいてあと三つぐらいは、すぐにも咲きそうな花芽がある。このプランターの花の咲き方をレポートしていると、当分はブログのネタに困らずに済むかもしれない。
 私の父は、子供たちに日記を書かせることに熱心だった。自分が青年期に日記を書き続けていて、それが精神的な支柱になっていた記憶があったらしい。私の日記の習慣もそこから始まっていて、今のブログにもつながっているのだが、子供にもいろいろな個性がある。私の下の姉は、日記を書くのがきらいというか、不得意だった。それでも父は日記を書くことを強制していたから、女学生時代の姉はつらかったろうと思う。さらにいけないのは、時々書いた日記を見せろと言って検閲までしていたのだから気の毒だった。
 そこである時期、姉は、当時家の庭で飼っていた鶏が生んだ卵の数を、日記に記録するようになった。それなら書くのが楽で、長く続けられると思ったのだろう。他に書くことがなくても、日記帳が空白にならなくて済む。ところがその日記の書き方が、安易だと言って責められる事態になった。父はそれを見たら、子供にも得意なことと不得意なことがあるのを悟るべきだったと、今の私は思う。でも父は結局、死ぬまで頑固者としての性格を変えることはなかった。
 下の姉は、のちに友人のつてでスペイン大使館に手伝いとして入ったのだが、そこで短期間のうちにスペイン語の会話に上達して私たちを驚かせた。教科書的な学習ではなく、コミュニケーションとしての外国語習得には、すぐれた能力を発揮したのだった。自信をつけた彼女は、やがて私に「英語を教えて」と言ってきた。少しだけつきあってあげたら、次は「生まれて初めて試験で100点取った」と、私に笑顔を見せてくれたのだった。
 その姉は、やや高齢になってから理解ある夫を得たのだが、子供は授からなかった。数年前に、「もう私のことは心配しないで」と、さびしいような電話をかけてきたのだが、その声は明るかった。寡婦となって住んでいた家は、行ってみたら整地されて分譲地になっていた。
 

「夏水仙」が一輪

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 ベランダに置いてある夏水仙が、一輪だけ咲いた。植物に疎い私は、ウィキペディアで確かめようと思ったのだが、そこに「夏水仙」の名で出てくる画像は、どうもこの花とは違っている。しかも水仙の仲間ではなくて、彼岸花の属だと書いてあった。するとこの花は、いったい何なのだろう。
 この花とのつきあいは長い。草加団地に住んでいたときに、家に入る戸別の玄関前通路の両側に、この花が植えてあったのだ。植えたのは妻で、「夏水仙、きれいでしょ」と自慢していた。まだ幼児だった長女は、白い花が並んでいる、「きれいな玄関前を通ってお家に帰るのが楽しかった」と言っている。それからずっと、私たちは、これが「夏水仙」だと思ってきた。
 長女はそれを覚えていて、最近になって近所を歩いていたときに、「夏水仙」を見つけて、種をもらってきたのだと言う。それが数年かかって増えて、プランターに一杯になってきた。
 妻が最初にこれを植えたときは、たぶん誰かに分けてもらったのだろうと思う。そのときに、これは「夏水仙」と呼ばれていたのだろう。この画像から、正しい名前を教えてくださる方がおられたら有り難い。画像から正しい名前を知るというのは、ウィキペディアでは、なかなか難しいのだ。
 ものの名前というのは、何だろう。その原点は、「会話する仲間同士の共通認識」であればいいのだ。たとえば「おじいちゃん」は、家庭の中では固有名詞として通用している。「父さん」「かあさん」も同じことだ。そしてその呼称は、「その家庭内の、最小年齢者を基準として決まる」という一般法則がある。
 話がやや脱線しそうだが、本日のテーマは、「この花の名前をご存知でしたら、教えて頂けませんか」ということだ。ただし家庭内の会話では、「夏水仙」のままでも一向に差し支えはないのだが。

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プロフィール
志村 建世
著者
1933年東京生れ
履歴:
学習院大学英文科卒、元NHKテレビディレクター、野ばら社編集長
現在:
窓際の会社役員、作詞家、映像作家、エッセイスト

過去の記事は、カテゴリー別、月別の各アーカイブか、上方にある記事検索からご覧ください。2005年11月から始まっています。なお、フェイスブック、ツイッターにも実名で参加しています。
e-mail:
shimura(アットマーク)cream.plala.or.jp
著作などの紹介
昭和からの遺言 少国民たちの戦争 あなたの孫が幸せであるために おじいちゃんの書き置き
「少国民たちの戦争」は日本図書館協会選定図書に選ばれました。
詳細はこちらをご覧ください
→著作などの紹介と販売について
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