12月8日の前後には、太平洋戦争が始まった日のことを書こうと思っていましたが、いつの間にか日が過ぎてしまいました。1941年、昭和16年に私は小学2年生でした。その日は朝から臨時ニュースがあって、家中が異様な興奮状態になっていたことは覚えています。しかし、まだ子供だった私に時局への認識があった筈もなく、ちょっとしたお祭に近い感じだったように思います。
 うたのすけさんのブログでは、このところ連続して貴重な体験談を発表していますが、そこでも、開戦よりも終戦の方が、ずっと印象が強かったと述べています。終戦の間際には、日本国民の全員が、毎日のように生命の危険にさらされていたのですから、その戦争が終ったというのは、信じられないような突然の解放であったのです。思えば私たちの世代は、15年戦争と呼ばれる戦争の連続の中で成長していたのでした。「戦争だから」というのは、すべてのことを決める絶対の条件でした。それがどんなに異常な状態であったのかは、今にして思うことです。当時は戦争をしているのが日常であり常識でした。
 うたのすけさんのブログを読むと、必ず私も関連する多くのことを思い出します。互いに記憶の引き出しを見せ合うことで、さらに記憶が鮮明によみがえるようです。それを覚えているうちに、何かの形で残しておきたいと、本気で思い始めたところです。昭和の10年代、20年代に私たちが経験したのは、日本人が二度と経験しないような(二度も三度も経験するようでは大変ですが)生活の激変でした。それは戦争に関連することだけではありません。近代から現代へと移行する、庶民生活の大変動期とも重なっています。水洗便所を使い、家で風呂に入り、子供が勉強部屋を持つなどは、ありえない夢の彼方のことでした。それを今さら知って何になるかというと、大いに意味があると思うのです。
 うたのすけさんのブログへのコメントでも書きましたが、あの戦火の下での、肉親の切ない親近感は何だったのでしょう。互いに生きて再会した喜びを、平和しか知らない人たちへ、どうしたら伝えることができるでしょうか。それは理屈でも解説でもない、人間としての皮膚感覚です。大きな災厄だった戦争が、一つだけ私たちに良いものを残したとしたら、それは人間と人間とを結ぶ、原初の「きづな」を確かめさせてくれたことです。「人間とは何か」は、私の次に書く本のテーマでした。それは昭和10年代20年代の皮膚感覚を掘り起こすことと、どうやら結びつきそうなのです。