「労働ダンピング」(中野麻美・岩波新書)を読みました。もっと早くに読むべき本でしたが、集会で著者本人の話を聞いたこともあり、何となくわかっているような気がして、遅くなりました。規制緩和の名のもとに進行している雇用ルールの破壊について、弁護士の立場でかかわる数多くの事例を通して、労働が商品としてダンピングされている現状を告発しています。
 現状の報告の部分は、すでに何年も前から問題にされていて、言い古されたことですが、まだ現状がよくわかっていない方は、本書で認識を改めてください。労働者の基本的人権を保障することが、繁栄する市民社会の基礎であった筈なのに、その根底が市場原理の導入によって「融解」を始めているのです。
 労働をコストとして徹底させるなら、安いほどいいのは当然で、競争入札で「値段と品質」を競わせればいいのです。成果主義を徹底させて正社員の一部に労働時間の規制をなくす「ホワイトカラー・エグゼンプション」を導入しようというのも、その流れです。雇用の融解は、正社員がパートや下請けに置き換えられることだけでは、終らないのです。この問題は「人は何のために働くか」という、本質の議論にまで戻さなければ、解決の方向は見えてきません。
 世界から貧困と暴力を追放するために必要なのは、すべての人が持っている「仕事をする能力」を活かすことである、というのは経済学の上からも常識です。そこから「公正な労働」という視点が生まれます。それは人が、ー分にふさわしい役割を果たして公正に報われ、∪験茲箏鮃、人格が尊重され、人間同士のつながりがあって、と展へのチャレンジができる、ということです。そのような人間生活を可能にすることこそが政治・経済の目的だと気がつけば、進むべき方向は見えてきます。
 これはただの理想論ではありません。主婦のパート労働の賃金の底上げは、家計の余裕となり、夫である正社員の働き過ぎへの圧力を減らすでしょう。運輸業界での公正労働は、悲惨な事故を減らすとともに、事故処理に費やされるさまざまな社会的費用を低減させるでしょう。 著者は最後に、いくつかの「公的契約」の事例をあげて、希望を託しています。地方自治体が工事や業務委託の発注をする際に、金額だけで競わせるのではなく、公正な労働基準や環境基準を満たしていることも点数化して、業者の選定をするというものです。まともに生活できる賃金を受け取る人が多ければ、地域の消費経済は活性化し、税収は上がります。一つの地域で可能なことは、国のレベルでも可能な筈です。