「改正」教育基本法は、防衛庁を省に昇格させる法律などとともに国会を通過し、間もなく公布、施行されます。これで本当に教育がよくなるのか、憲法との整合性はどうなのか、その前に、法案審議の段階での公聴会(タウン・ミーティング)が、やらせ質問などで汚染されていた責任はどうするのかといった議論は、すべて「後の祭」となりました。「たたかいは、これからだ」的な議論はブログの上でも見られますが、法律が出来てしまった事実は変りません。古くは安保闘争でも、三井三池闘争でも、デモ隊が国会を取り巻き、あるいは労働組合のピケが炭鉱を閉鎖しても、日米安保条約は締結されて、石炭産業の合理化は進行したのでした。
 国会で多数を占めている政党は、その政策を法律という形で世に出し、世の中を変えて行くことができます。その流れに対して違う立場をとり、反対を表明する人たちは、広く世間に訴えることで、次の選挙に勝ち、流れを変えることに希望をつなぎます。それが民主主義のルールですが、日本ではこの「選手交替」が何十年も起こりません。将来もずっとだめなのだろうかと憂鬱を感じていたとき、16日夜のETV特集を見ました。長靴を履いた菅原文太が「人と鯨のたどった道」を訪ねた番組です。
 日本の鯨文化とくに沿岸捕鯨の歴史が面白かったのですが、番組の中に「人体 失敗の進化史」の著者、遠藤秀紀氏との対談がありました。菅原文太が「こういう古いよいものがあった時代に、戻ることはできないんでしょうか」と言うのに対して、遠藤氏は「一度進んだ進化が、もとへ戻ることは、絶対にないんです。しかし、昔にあったよい性質を、新しいものとして獲得することはあります」と答えました。このとき私の中で、この遠藤氏の言葉と、出来てしまった教育基本法とが結びつきました。もとの教育基本法の中で、本当に守るべきものは何だったのか、それがわかっていたら、この次の改定に盛り込むことができる筈です。そのような「古くてよいものの守り方」も可能ではないかと考えたのです。そう思ったら、少し気分が明るくなりました。そして自分で教育基本法の中身を、しっかり読み直してみようと思いました。