私の年末は、なかなか治らないカゼの咳に悩まされている間に、激しい咳の衝撃で持病の腰痛が悪化するという、最悪に近い身体的コンディションになってしまいました。その中でも、先日の土曜日には「野方土曜スクール」という、地域のイベントの撮影取材に行ってきました。旧知の区会議員さんとのつながりで、かねてから約束していたボランティアとしての仕事です。土曜スクールは、地域の複数の小学校の子どもたちが集まり、町会の大人のサークルなどの指導で、歌う、絵を描く、ものを作る、料理をするなどの活動を通して交流するものです。今回は、クリスマスのケーキつくりと、地元の老人ホームを訪問して、お母さんコーラスといっしよに合唱するのがテーマでした。
 イベントそのものはすばらしい成功だったし、私も体は少しつらかったけれど、気持ちよく仕事ができました。そして夜になってから、自分の気持が不思議なほど明るくなっているのに気がつきました。考えてみると、私はその日は一日中「あいさつのできる」世界にいたのでした。「お世話になります」「よろしくお願いします」「ご苦労さまです」「ありがとうございます」といった言葉が、ふんだんに身の回りにあふれていたのでした。そうした温和な人間関係の中にいたから気分がよかったということは、最近の自分は、決まりきった人間関係の中で、やや硬直した状態になっていたのではないかと気がつきました。
 親しい家族の間では、互いに気づかいをしません。互いに遠慮しなくていいからこそ家族ではあるのですが、それは相手への無関心、不干渉、そして共感の喪失にもなりえます。複合家族では、孫の年齢が上がって、かわいい一方ではなくなり、上下2層の親子関係の複雑さが現れるとともに、過剰な干渉と過剰な反発という、やっかいな問題も出てきます。それを避けるための過剰な不干渉は、不自然な無関心という、精神的ロスの大きい荷物にもなります。親しい筈の家族の中でさえ、つくづく人間関係とは、難しいものだと思います。
 コミュニケーション学の講演というのを聞いたことがありますが、あいさつは「質問と答え」でも「会話」でもなくて、「感情を共有する確認」なのだそうです。家族の中にも、あいさつは必要です。こだわりを捨て、無条件にあいさつを復活させることを、自分から率先してやってみよう。ボランティアの一日が、意外な反省の機会になりました。