日が暮れて寒くなった夕方に、プリンターのインクを買いに中野ブロードウエイまで行ってきました。その近くのバス停前の歩道を通るとき、よく思い出す情景があります。2年近く前のことになるでしょうか、そこで一組の親子に出会ったのでした。
 自転車で通りかかった私は、自転車にまたがっている母親と、そのそばで大声で泣き叫んでいる3歳くらいの男の子を見ました。とくに珍しいとも思わず、そのまま通り過ぎて小さな買い物をしてきたのですが、帰り道でも、やはり同じように泣いているのを見て、ちょっと気になり、少し離れた所に自転車を止めました。子供は手足をばたつかせながら、何事かを全身で訴えています。その激しさは、通りかかる人の多くが、一瞬振り返って見るほどでした。異様だったのは、母親の姿です。全くの無表情のまま、無言で見下ろしているだけなのです。それは絶対に妥協しないという固い決意を表わしているようでした。インテリの母親に時に見られる、突き放し育児のつもりだなと思い当りました。さてどうするか。私も教職課程で一通りは児童心理学を学んだ人間です。放っておけないと思いました。
 まっすぐ子供の近くへ歩み寄り、すぐそばにしゃがみ込みました。「ボクどうしたの、どうして泣いちゃったの」と話しかけると、子供は意外な人物の出現に気をとられて、少し泣き声が小さくなりました。「おじちゃんにお話できるかな」と、時間をかけながら近づいて、おでこをくっつけてやると、泣きじゃくりながら「ボク困ってるの」と少しずつ話してくれました。ママが何かを買ってくれなかったというのです。「それはね、ママにも何かわけがあったのかもしれないよ。きょうはお金がないとか、もっといいものがあるとか。ママとよくお話したら、この次には買ってくれるかもしれない。お話してごらん」と言うころには、子供はこっくり頷くようになっていました。「じゃあ今日はどうする? 一度おうちへ帰るかい?」と聞くと、子供は「うん」と両手を私の方へ伸ばしてきました。そのまま抱き上げて、自転車の前席に乗せました。それまでの間、私は一度も母親の方へは顔を向けませんでした。母親はやはり固い表情でしたが、私に抗議する様子はありませんでした。「バイバイ」と互いに小さく手を振って別れるとき、母親も軽く会釈して行ってくれました。
 その後、この親子には会っていません。人覚えの悪い私ですから、会っても気がつかないのかもしれません。ただ、その場所を通ると、今でも懐かしく思い出します。