(第9章 科学技術と人間)

機械を封印した国

 空想ついでに、もう一つの空想小説を紹介しよう。十九世紀に書かれたイギリスのふうし諷刺作家サムエル・バトラーの「エレホン(Erewhon)」という小説で、題名はNowhere(どこにもない)を逆に綴ったもの(ただしwhは一音扱いでそのまま)である。訳本が出ていないようなのであらすじ荒筋から紹介しよう。
 ある冒険旅行家が南半球の奥地で未知の国を発見した。その国にはかなり高い文明をもつ異民族が住んでおり、よく見ると鉄道や駅のこんせき痕跡まであるのだが、なぜかそれらはみなはいきょ廃墟となっていた。冒険家がその国に滞在して言葉と文字を覚えてからわかったことは、その国にはヨーロッパの先進国に勝るとも劣らない機械文明の栄えた時代が存在したのだった。ところが機械の急速な発達に対して危険を感じる人々が増え、反機械派を形成して、機械は便利だから開発を進めるべしとする機械派と対立するようになった。反機械派の歴史的な文書とされる「機械論」の論旨は次のようなものである。
 機械は最初は人間に従順な道具の延長だった。しかし発達し大型化するにつれて時には人間に危害を加える危険な性格も示し始めた。近年の機械の成長ぶりは加速度的に人間の制御の限界に近づきつつある。やがて機械自身が意思を持つようになり、機械が機械を発達させぞうしょく増殖させるようになるのも時間の問題であろう。そうなってからでは人間は機械の恐るべき力に圧倒されて抵抗が不可能になる。制御が可能な今のうちに、厳しく制限を加える必要がある、というのである。
 機械派と反機械派の対立は国論を二分する大論争となったが、最終的に反機械派が多数を占め、ついに議会は一定年限以降の機械を禁止する法案を可決した。その結果、近代的な機械はすべて破壊され、博物館に一点ずつを保存するだけとなったのである。そして人々は、武器は弓矢と刀だけ、交通機関は馬車までという、中世ヨーロッパの程度の機械文明にもどり、その中で平和に暮らすことになったという。そのほかこの国では、病気が犯罪のように罰せられ、犯罪が病気のように手厚く看護されることになっているが、それは犯罪を生み出す社会的背景が問題だというふうし諷刺になっている。
 私が面白いと思うのは、産業革命後間もないイギリスに、すでに機械文明を一定のところで止めることを考えた人がいたという事実である。そしてまた、機械が機械を増殖させて、人間が機械に使われる時代が来ることも予見している。機械がそれ自体の意志を持つようになるというきぐ危惧も、私がこの小説を読んだ五十年前にはありえないこちょう誇張だと思ったが、今ではパソコンが自己のりゅうぎ流儀をしつよう執拗に主張するために、使い手である私がやむをえず妥協するような場面が、日常的に起こっている。
(原文で漢字につけた「ふりがな」は、該当する字の前に表示されます。)