(第9章 科学技術と人間)

戦争と科学技術

 科学技術は戦争によって進歩したと、よく言われる。たしかに戦争は生きるか死ぬかの問題だから、最優先で努力を注ぐのは当然で、科学技術もその例外ではないのだろう。ところが困ったことに、相手側も同じようにするから、どこまで行っても終りのない競争になってしまう。むじゅん矛盾とはよくも言ったもので、あらゆるたて盾を貫くほこ矛を作れば、あらゆる矛を防ぐ盾が出来るから始末が悪い。
 歴史から見れば、何かの事情で軍事力にすぐれた国が出現して、一時的に大帝国を作る例はいくつもあった。しかしながら大帝国が永続したことは一度もなく、いずれは外部の新しい強国に負けるか、内部から崩壊するかして消滅して行った。個人としての人間もそうだが、人間の集まりとしての民族あるいは国家にも一定の限界があって、絶対的優位に永続して立てるというものは存在しないのではなかろうか。
 長らく槍と刀で渡り合ってきた人間の戦いは、鉄砲の登場で一変した。日本では武田の
騎馬軍団が信長の鉄砲隊に敗れて以来、性能のよい銃を大量に揃えることが、戦国の世で勝ち抜く条件になった。ところがその後の江戸時代は戦争がなかったので、武器も進歩することがなかった。しかしヨーロッパはその間に何度も戦争をしていたから、幕末に黒船が現れたときは、日本と外国との間に段違いの戦力の差が出来ていたのである。
 明治政府による軍隊の創設は、産業の近代化と全く同じ段取りで進められた。「富国強兵」が当時のスローガンだが、経済力を高めることと強い軍隊を持つことは、近代国家になるための車の両輪だったのである。だが国民の負担はずっと重いものになった。戦争が武士という専門家集団の仕事から、国民全部の義務になったからである。
 二十世紀に入って発明された飛行機も潜水艦も、第一次世界大戦で早速、重要な武器として使われた。戦争は空中にも海中にも広がり、立体的に人間を包み込むようになった。
飛行機による爆撃は、前線と銃後との境界を取り払い、国の全土を戦場にしてしまった。
どうして人間は科学技術を戦争にばかり使うのかと嘆いても始まらない。それは、なぜ人間は戦うのかという根源的な問いを繰り返すのと同じである。
 太平洋戦争の最後に使われた原子爆弾は、再び圧倒的な戦力格差の実証になった。日本を屈服させるには十分だったが、その後の経過は従来と少し違っている。新技術はやがて世界に普及し新しい競争が始まる筈で、事実そうなりかけたのだが、核兵器があまりにも強力になりすぎたために、使われる機会がないまま国際的な不拡散の枠組みの中に置かれることになったのである。超大国本位の不平等な条約であり、破ろうとする試みも絶えない危うい条約だが、人類は初めて兵器の開発中止に合意したことになる。
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