人間はどうなるのか

 私がこの本で考えたいのは、経済と人間との関係です。経済活動が人間生活を豊かにすることは疑いありません。戦後の復興期から高度成長期まで、日本人の生活は目ざましく向上してきました。かつては雲の上のようだったアメリカ人の生活さえも、手の届くところまで来たように思われました。海外への観光旅行やショッピングも、ありふれたことになりました。その経済的な余力は今も残っていて、バブル崩壊後のデフレ不況にも、日本社会の崩壊を防ぐ支えになりました。
 しかし今、日本の社会で進行しているのは国民の間の格差拡大です。企業の幹部として残ることのできた社員には従来通りか、それ以上の報酬が与えられる一方で、査定の低かった社員や、パート、派遣社員になった多くの人たちには、不安定で低い待遇しか与えられません。空前の利益をあげるまでに回復した好調企業がある一方で、中小企業や個人経営の事業者は生き残れずに消えて行く一方です。
 敗者となった人たちは競争の気力をなくして、社会の底辺に沈殿するしかありません。二〇〇〇年前後から大都市の公園などにホームレスと呼ばれる人たちの姿が増えてきました。同時に自殺者の数があらゆる年齢層で大幅に増加してほぼ一・五倍になり、交通事故死の三倍強に当る年間三万五千人の水準に高止まりしてしまいました。生活保護を受ける世帯の数は過去最多の八百七十万に達し、毎年記録を更新しています。苦しいのは敗者だけではありません。正社員として残った人たちには、毎日の厳しい競争が連続します。過労死が問題になるほどの仕事を負わされる人がいる一方で、まともな仕事につくことのできない失業者や半失業者があふれている姿は、やはり異常です。
 グローバル・スタンダードで資本の力をさらに強くして行けば、やがて経済活性化の恩恵が国民すべてに行き渡るのでしょうか。経済がグローバル化している現在、日本だけがかつてのような高度成長を再現するのは無理でしょう。それでは発展途上国を含めて、世界中がグローバル・スタンダードで今のアメリカのような開発された国になるまで待てばよいのでしょうか。それまでに、いったい何年待てばいいのか、それまでの資源・エネルギーの消費や環境破壊を心配しなくていいのか、疑問は尽きません。
 前に紹介した「人間の豊かさ指数」で、日本の後に第一位を占めるようになった国はカナダで、その後はノルウェーが常連になっています。どちらの国も、経済大国でも軍事大国でもありません。経済成長は、人間の生活を豊かにするために必要なものではあるけれども、それ自体が目的ではない筈です。経済成長のために人間の幸せを犠牲にするのは本末転倒ではないか、経済学者でない私にも、それくらいのことは言えます。