映画「靖国」を見た同じ日の夜に、東京オペラシティーのコンサートホールで「小野雅楽会・百二十二年の会」の管弦と舞楽を鑑賞しました。特段の趣味があったわけではなく、当日の昼近くに、邦楽一家の友人から「切符が一枚あるの、いらっしゃいよ」と誘われたのでした。「急な話だね」と応じると、「こういうのは急に決まるのがいいのよ」という豪快なお誘いでした。ですからこの日は、靖国の映画と雅楽の舞台がごっちゃになって、さすがの私も整理がつかないまま、ブログも休んで寝てしまった次第です。
 パンフレットによると小野雅楽会は、民間の雅楽演奏団体として最も古い歴史を持ち、大陸的生命力と雄大な響きをめざしてきたということです。演目は第一部「管弦」が壱越調音取(いちこっちょうのねとり)、賀典(かてん)の破急、朗詠の嘉辰(かしん)でした。第二部「舞楽」は、振鉾(えんぶ)、萬歳楽(まんざいらく)、抜頭(ばとう)の3曲で、管弦は舞台の左右に分かれての演奏でした。
 演奏も舞いも、非常にゆったりとしたテンポです。以前に何かの本で「雅楽のテンポは、昔は今よりも早かったと考えられる。細部を丁寧に伝承している間に、時間が伸びてきたのではないか」という説を読んだ記憶があります。短い時間を計る時計がなかった時代には、音の高低よりも、時間の長さの方が変動した可能性はありそうです。それにしても、雅楽が、ゆったりとした悠久の時の流れを感じさせることに変りはありません。
 今日になって、Wikipedia 程度ですが、後学問で雅楽のことを調べてみました。ナマ演奏を見て聞いた後ですから、いろいろ思い当ることもありました。主要な楽器の笙(しょう)は、天から差し込む光を表すのだそうです。パイプオルガンのように複数の和音を奏でるのですから納得です。龍笛(りゅうてき)は横笛(おうてき)ともいい、天地の間を縦横無尽に駆け回ります。篳篥(ひちりき)は地上の人々の声だそうで、言われてみれば人間くさい親しみがあります。
 篳篥は音程の難しい楽器で、低めの音から出して探るようにして音を整えるということです。そこからあの独特の、漂うような音の流れが生まれるのでしょう。そのほか、鞨鼓(かっこ)を打つ先頭の人が全体の指揮者の役割をすること、笙は音程を保つために演奏の合間でも火で温めることなどを、友人から教えて貰いました。思いがけず貴重な経験のできた晩でした。