昨夜のNHK「クローズアップ現代」は、「みんなのうた」を取り上げていました。1961年4月からですから、今年4月でちょうど50年になったのです。初期の担当者として私も取材を受けていたのですが、大震災の影響で番組化されるのが遅くなりました。
 担当していた当時は、むしろ単純なミニ番組という感じで、所属していた青少年部少年班の中では地味な存在でした。ただし先輩の後藤田氏は「日本の音楽の歴史に残る仕事になる」という強い意欲を持っていました。そのあたりの事情については、このブログにも書いたことがあります 昨夜の番組では、それぞれの時代を反映する歌を提供してきた鏡のような「場」であったという位置づけでした。50年を通してみれば、確かにそうなのでしょう。これほど長期にわたって1300曲もの歌を作り出しつづけた番組は世界にも例がないということでした。そこに参加するアーチストたちにとっても、大事な発表の場になっているに違いありません。
 しかし初期の雰囲気を知っている私として感じる最大の違いは、「新しいものを発掘しようとする担当者の姿勢」だと思いました。レコード資料などを山のように積み上げ、「いい歌」を徹夜で探す中から「線路はつづくよどこまでも」などが生れました。海外との資料交換テープの中から「歌うよカッコウ」などのポーランド民謡を紹介しました。うたごえ喫茶を歩き回る中で「かあさんのうた」を世に出しました。みんなで心から楽しめる歌でさえあれば、出典はどこからでもよかったのです。
 視聴者の熱い支持があって、番組開始から1年半の1962年文化の日に、早くも「みんなのうた特集」を放送したあたりで、番組の評価は定まったように思います。これは私がPD(プログラム・ディレクター)を務めた最初の長編番組でした。
 今にして思うと初期の熱気は、世界から良いものを吸収する「和魂洋才」の時代で、次の「国産化時代」を先導したのかもしれません。しかし当時はそのような時代認識は何も持たずにいました。社会番組を作りたかった私は、「みんなのうた」を1年半担当したところで希望を出し、青年班へと転属しました。楽しく働いた「みんなのうた」でしたが、当時の私にとっては、あくまでも「経験して通過する」番組に思えたのです。
 その判断がよかったのかどうか、今から考えても仕方がありません。ただ、この番組にかかわった経歴は、私の大きな財産になって今に至っています。
 放送当時(1962年12月〜63年1月)の音声で「線路はつづくよどこまでも」をお聞きください。歌は西六郷少年合唱団。冒頭のチャイムとアナウンス(友部光子さん)も入っています。アナウンスは「線路はつづくどこまでも」で、「よ」は抜いています

↓下のボタンで再生できます。