昨日のオペラ観劇のあと、すぐ地下鉄の日比谷線で帰途につくつもりだったところ、予定外のことが起こりました。反対方向が「北千住・東武動物公園方面」になっているのを見た妻が、「こっちへ行きたい」と言いだしたのです。日比谷線は北千住から東武線に乗り入れていて、私たちが草加に住んでいた時期には、よく乗った路線でした。これに乗ればそのまま草加まで行けるという思い付きが、彼女には魅力的に思えたに違いありません。
 背中を痛めてからは外出を好まなくなっていた妻がそんな発想をしたのは、オペラを見た感動と連動したのでしょう。草加の公団住宅で子育てをし、私はそこで自営業を創業し、団地に隣接する土地を買って家を建てるまでになった14年間は、私たちにとっては「輝ける成長期」そのものでした。その後、車で訪ねたことはあっても、二人で電車で行ったことはありません。私にも異存はありませんでした。
 高架線になっている草加駅に降り立ち、駅前から昔通りの道を団地まで歩きました。昔の団地は低層のテラスハウスでしたが、今は高層に建て変っています。それでも巨大団地ではなく、配置には昔の面影が残っていました。団地の端にあった食品雑貨の商店は今も健在で、そこのおばさんはよく覚えてくれていました。元は一帯の地主で、団地に入居してからも、数年間は春ごとに田植えの風景を見せてくれていた家族です。
 昔を思い出した帰り道の最後に、妻は小学校のPTA広報部のときにつきあいのあった人の家がある筈だと言いだし、薄暗くなった中で探し当てました。夫に支えられて出てきたその人は、もう86歳、立っているのがやっとの体調でしたが、妻との話は理解できました。「いっしょに新聞を作って、賞を取ったんだよね。表彰で浦和まで行ったんだっけ……」その後の会話が感動的でした。「私ゃバカなおばあさんだけじゃなかったんだ。偉かったんだよねぇ」という元気な声が出てきたのです。
 表札には、老夫婦だけではないらしい多くの名前が表示されていました。PTAでは、団地と地元の人たちとの交流が、日常ふつうのことだったのです。妻は広報部長としても、かなり優秀な仕事をしていたと思います。夜遅くまで新聞づくりをしながら、生き生きとしていました。私も少しは手伝うのが楽しみでした。
 「偉かった、みんな偉かったよ」と、元部員さんと、私も最後に固い握手をして別れました。その家の隣には小さな社があり、昔ながらの樹林が残っていました。