「花てぼ」さんのところには、秋の「休ブ届け」が出ていました。ブログは義務でも義理でもないのですから、管理人の都合で休むのも自由です。本来届けも要らないのですが、休み中に見にくる人のことを思うと、「休ブ届け」を出しておきたい気持ちは、よくわかります。
 「よく毎日つづけられるね」と、私もよく言われます。そんなとき「昔は日記も書いてたし、習慣だから苦にもしてませんよ」と答えるのですが、建前で言っている部分は確かにあります。私だって時間がなくて夜になり、このまま寝た方が楽だと思うことはあります。そんなとき短くてもいいから時間内に書いておこうと思い直すのは、昔の「書かないと父親に怒られる」習慣よりも、今は「待っている読者がいるかもしれない」というプロ意識に近いものになっているようです。
 ところがこれも一人相撲のようなもので、逆の立場で一日一回のブログ友巡回をするときは、更新されていない記事タイトルを見ると、「これは読まなくていい」という一種の安心を感じるのです。取材で資料を漁っている感覚に近いもので、その時点では「友好ブログ」の歴訪が、一種のビジネスになっているのでしょう。
 要は、親しい人の消息が毎日わかれば安心というほど心理的に近ければ、一日休ブでも気になるが、資料として見ておこうということなら、たまの休みは楽に感じられるということではないでしょうか。すると問題は、いったい自分は誰のために書いているのか、ということになります。それについての答えは明らかです。自分のために書いているのです。
 ならば自分の書きやすい方法でいいのではないか。たとえば日曜日は休ブにするとか、週5日制にしてもいいのかもしれない。それで自分の生活リズムが改善し、ブログの内容も充実するなら、誰に遠慮する必要もないわけです。「休ブ届け」もあることを知って、そんなことを考えました。
 ここでは結論を出すつもりはありません。毎日書くのを絶やしたくなくて、苦しまぎれに思いがけなく良いものが書けてしまう場合もあります。そして自分のために書くと言いながらも、読んだ人がどう思ってくれるだろうと期待がふくらむことも、間違いのない事実なのです。