「幻の祖国に旅立った人々」(小島晴則編・高木書房)を取り寄せてみました。内容は昭和35年から39年まで(1960〜64年)5年間発行された地方紙「新潟協力会ニュウス」を採録合本して、前後に紹介文と関係者の「あとがき」を加えたものです。新聞の縮刷版ですから全部を通読してはいませんが、当時の社会情勢や雰囲気が、非常によくわかります。
 しかし、北朝鮮に渡った人たち(その中には少なからぬ日本人妻もいました)のその後がどうなったかについての、新しい情報や研究成果が得られるわけではありません。ただ、分断された朝鮮の北側への帰国希望者の送り出しが、全国的に盛り上がる熱気の中で行われ、冷戦下の共産圏との交流事業として、9万名帰国という大きな実績を残した事実は記録として残す価値があります。それは、まぎれもなく多くの善意の結集でした。
 新聞の紙面は、まだ見ぬ「朝鮮民主主義人民共和国」への期待とあこがれに埋めつくされています。そこへ帰れば住居が与えられて生活に不安はなく、能力に応じて教育も仕事も与えられると説明されていました。その反面で帰国者たちが訴えているのは、日本で暮らしていた間の苦労です。朝鮮人と呼ばれて見下され、二流市民としてさまざまな差別を受けてきました。まだ戦時中の記憶が生々しく残っていた時代です。
 帰国者の中には、活躍していた芸術家やタレントもいました。声優の永山一夫氏は、幼児番組「ブーフーウー」の狼の役で人気があり、私の番組にも出てもらったことがありました。出自については何も知らなかったのですが、やがて自ら希望して北朝鮮に渡ったと聞いたとき、声と同じように重みのある性格の人だったと思い当りました。
 編者の小島氏は、この新聞の事実上の編集者でしたが、自ら北朝鮮まで取材に行ってから現実の北朝鮮の官僚主義に疑問を抱くようになりました。もしかしたら、自分はとんでもない所へ人々を送ったのではないか。それが後になって、小島氏を拉致事件に取り組ませる動機になりました。
 かつて大日本帝国は、朝鮮人も台湾人も、無理やり「日本人に改造」しようとしました。その痕跡は、今も37万名の「特別永住者」として残っています。これは「負の遺産」には相違ないでしょうが、一面で隣国との間に切っても切れない深い縁を残したと言うこともできます。北朝鮮が希望に満ちた楽天地だという虚構は完膚なきまでに破壊されましたが、話はまだ終りません。
 「幻の祖国」は、誰かが用意して与えてくれるものではありませんでした。人が住んで幸せになれる場所が祖国になって行くと考えたら、また新しい世界が見えてこないでしょうか。