「新・戦争論〜積極的平和主義への提言」(伊藤憲一・新潮新書)を読んでいます。かなり重要な本を読んでいる実感があります。この本は安倍首相の「積極的平和主義」の理論的根拠とされているもので、非戦平和の立場でいる私としては、言わば「敵方軍師の指南書」を入手したようなものです。しかし書かれている内容は、一連の安倍イズムから受ける印象とは違うのです。
 議論の前に、まず「戦争」とは何であるかを決めなければなりません。ここでは「自立している政治単位(国家)が、他国との利害対立を解消するために、やってみなければ勝敗がわからない状態で軍事力行使を始めること」とします。「紛争」や「介入」や「反乱」とは違うのです。
 この意味での戦争は、人類史のどこから始まって、いつ終るのかを考察しているのが、この本のテーマです。結論を先に言ってしまうと、それは、ほぼ1万年前の新石器時代から始まり、21世紀はすでに戦争が終った時代に入っているのです。
 戦争は、大きく3期に分けることができます。「地域覇権戦争期」「世界分割戦争期」「世界覇権戦争期」の3つです。それぞれの期は、武器の開発とも関連していて、それは「刀槍弓矢」から始まって「銃砲火薬」へと発展し「核兵器」に至りました。兵器は「矛盾」の語源となったように攻めと守りの技術を競い合ってきましたが、核兵器にまで到達して、ついに「攻め」が勝って「守り」の方法がなくなったのです。
 人には人を支配したい本能があります。それは親子家族から始まります。遊牧狩猟の「獲得経済」から定住農耕の「生産経済」へ移行したときから人間の「政治単位」は拡大を始めました。やがて国土と国民と主権という「国家の3要素」が成立します。国家を維持するのが「国内政治システム」ですが、複数の国家が並立すると「国際政治システム」が必要となり、それは協調や戦争を経て、より大きな「国内政治システム」へと統合されて行きます。
 16世紀の初頭、大航海時代で世界分割戦争が始まる直前の世界には、「中華帝国システム」「中世欧州システム」「アラブ回教システム」「インド亜大陸システム」「ユーラシア内陸システム」という5つの大きな政治システムがあったと著者は述べています。
 この均衡状態を一挙に崩壊させたのが、ヨーロッパ諸国が主導した世界分割戦争でした。分割戦争は2回の世界大戦を経て、勝ち残ったアメリカとソ連という2強の対立を残しました。本来ならここで最終戦争で決着をつけ、世界大の政治システムが成り立つところでしたが、米ソは「冷戦」したのみで「熱戦」には至りませんでした。著者の定義による「戦争」が不可能になったからです。 
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