昨日は第一次世界大戦が始まってから100周年の記念日に当っていた。20世紀は戦争の世紀とも言われるが、第二次世界大戦も1945年に終っているのだから、世界戦争をしていたのは世紀の前半の30年間だけだったことがわかる。ただし日本はその前に日清戦争(1894〜5年)と日露戦争(1904〜5年)をしているから、10年おきに4回も大きな戦争をしていた。
 第一次と第二次の世界大戦は、根底でつながっている一つの戦争とする見方がある。その30年の間に、戦争の様相は大きく変化した。戦術的には、兵隊が小銃で撃ち合い突撃で敵地を占領する古典的な地上戦で始まり、潜水艦や飛行機の発達で海中や空中をも含む立体戦となり、戦車、毒ガスなどの新兵器も続々と登場して戦争の犠牲者を増やして行った。第一次大戦後の国際連盟は、非人道的兵器の禁止など「公正な戦争のルールづくり」を試みたが、基本的には無益だった。
 第二次世界大戦では、相手国の生産力や国民生活をも「敵の戦力」とみなして、これを破壊する攻撃が大々的に実行された。そして戦争で殺される人数は、兵士よりも一般市民の方が圧倒的に多くなった。大量殺戮の戦術は、無差別爆撃からついには核兵器の使用に行き着き、ここで初めて戦争の終結を見た。
 世界大戦がなぜ起こったかについては、さまざまな研究があるが、大筋としては、世界各地で成立した近代国家が、最終的な世界秩序の構築で有利な地位を占めようとして合従連衡したことが大規模な対立を招いたと見ていいだろう。この世界規模の対立は、最後はアメリカ・西欧圏、対、ソ連・共産圏が対立する「冷戦」になったのだが、核兵器が強力になり過ぎて使えなくなり、その間にソ連が内部矛盾から崩壊して第三次世界大戦は発火しないままに決着した。
 この幸運な世界に、70年間という長い「戦後」が続いているという事実を、私たちはもっと自覚すべきではないだろうか。「戦後の平和」とは、戦争がなかった例外的な期間ではなくて、世界大戦の30年間こそが、人類が愚かにも戦争に未来を託した異常な期間だったと考えた方が、よほど無理が少ないのではないだろうか。
 もちろん戦後の70年間にも戦争と呼ばれるものはあった。朝鮮戦争もあったし、中東戦争や湾岸戦争もあった。しかしどの場合にも、有力国同士が宣戦を布告して総力戦を展開するような形ではなく、戦場は世界の一角に限定されていた。それらは戦争ではなくて紛争と呼ぶのが実態に合っている。
 国際資本は世界を舞台に支配力を強めているが、その資本の論理をもってしても、現代に「採算のとれる戦争」を企図することは不可能だろう。戦争に歯止めが利かないことは二度の世界大戦が証明している。核兵器による破壊は、どんな資本力によっても回復することができない。
 戦争は、もうしなくていい。してはならない。政治家は、自国の周辺に紛争を起こさないように万全の気づかいをすること。それを最優先の仕事と心得るべきだと思う。戦争のできる国づくりを急ぐ安倍政権こそ、時代に逆行している。