「うたのすけ」さんの家に猫が来たというので、わが家にも昔は猫のいた時代があったのを思い出した。妻は猫好きだったが、埼玉の草加団地に住んでいる間は、公団の規定もあるので無理だった。仕事を始めて隣接地に土地を買い、家を建ててからは「ミーコ」と呼ばれる三毛猫がいた。誰かから貰ったのか、拾った猫だったのかは覚えていない。きょう聞いてみたのだが、妻も娘も知らないと言っている。
 とにかく子猫のときから「ミーコ」はいて、娘たちは小学生だった。おもに面倒を見ていたのは妻だと思う。ちょうどその時期に「主婦になってみた男の二週間」という記事を書ており、そこに「主婦になってみると、猫が廊下を汚したのまで自分の責任になる」と書いた記憶があるからだ。しかしトイレは決まった場所を守るし、基本的に人といっしょに屋内で暮らしていた。
 子猫がちょっとした物にも反応してじゃれる姿には、本当に楽しくてたまらないという感じがある。小学生の娘には、いい話し相手でもあった。「さっき教えてあげたでしょ、もう忘れたの」などと抱き上げてお説教をしていることもあった。雷雨の日に、ガラス越しに外を見せてやりながら、「これがカミナリって言うんだよ」と教えていた姿が忘れられない。娘も猫も、かわいい盛りだった。
 この「ミーコ」だが、子ができるのを心配するほどには長生きしなかった。2年ぐらいはいたと思うのだが、あるとき固い魚の骨を、喜んでバリバリ噛み砕きながら食べていた。たくましいものだと感心したが、それが結果的に良くなかったらしい。翌日に少し血を吐いて、食欲をなくしてしまった。時間をかけて消化すれば直るかと様子を見たが、獣医のところへ行ったときは、もう手遅れだったらしい。
 弱った体でもトイレを使い、自分の寝所で寝る律儀さが哀れだった。次の朝、気がついたら階下の和室にある堀こたつの中で、熱源の近くで固くなっていた。なぜスイッチの入っていないこたつに入ったのかは、わからない。長女はいつまでも大粒の涙をこぼしていた。遺骸は庭の南の隅に埋めることにした。大きめの穴を掘って、柔らかな土に寝かせた。妻と娘たちは、草花で大きな花輪を作って最後に載せた。まだ周辺には広い農地が残っている時代だった。
 それから半年ほどしてから、2匹目の「どんべえ」という茶色の猫を飼うようになった。この猫も、どこから来たのか今は誰も覚えていない。「ミーコ」とは対称的に、のんびりした猫で、鈍感なことから名がついた。暗い部屋の中で走って、猫のくせに夜目がきかないのかピアノの足に衝突して「ぎゃっ」と悲鳴をあげたので、あきれたことがある。
 この「どんべえ」は、東京の中野の家まで連れてきた。このころから家の仕事は忙しくなってきた。娘たちは中学生になった。「どんべえ」は誰からもあまり関心を持たれなくなり、家の柱で爪とぎをするような悪さ(猫にとっては大事な本能)が目立つようになってきた。そしてやむをえず、ある時からいなくなった。その事情はここにも書かない。周辺を探した長女も、やがてあきらめて、本気で高校の受験勉強にとりかかった。