高江洲さんが「読谷の風」ブログで紹介してくださった琉球新報1月5日の社説を転載させていただきます。沖縄のアメリカ軍基地は、設置の当初から国際法違反であったことが、公開された3件の機密文書によって明らかになったという重要な指摘です。国としてこの検証もできないようでは、独立国の名を返上しなければなりません。(以下引用)

  基地形成過程 「国際法違反」検証し対応を 
 国際法に反する形の在沖米軍基地の形成過程に光が当てられた。
 人口が集中する純然たる民間地であろうとも、米軍は沖縄戦の前から日本本土攻撃をにらんだ軍用機の発進基地を置く最適地を物色し、収奪する意思を持っていた。
 在沖米軍基地の過重な負担の源流と言える基地の成り立ちを示す米国の三つの機密文書が明らかにした事実である。1945年3月末に始まった沖縄戦の1年半前から計画されていたことが特徴だ。
 まず1943年10月、米軍は沖縄本島を占領した上で嘉手納基地、普天間飛行場、那覇空港と同一か近接地に滑走路建設を検討していた。連合国軍最高司令部が作成した「ドイツ制圧から1年以内の日本制圧」を表題とする文書である。
 さらに、44年7月の「琉球諸島の制圧計画」は沖縄本島の南半分に人口が集中していたことを把握していた。同年11月に出た「琉球諸島の制圧」は望ましい航空基地候補地を三つ列挙し、いずれも「サトウキビ畑」と記していた。
 3文書とも米軍の軍事合理性が最優先され、苛烈な地上戦の被害を受けることが確実だった沖縄住民への配慮はうかがえない。
 戦闘状態や占領などに関する取り決めであるハーグ陸戦条約は戦争中の民間地収奪を禁じている。その第46条は「私有財産、之を没収することを得ず」、第47条は「略奪は之を禁ず」と定めている。
 沖縄の米軍基地は、沖縄本島に上陸した米軍が住民を収容所に押し込んでいる間に白地図に線を引くかのように必要な土地を囲い込んで構築したケースが大半だ。米軍は具体的な国際法上の根拠も示さずに占領し、住民への補償さえ認めなかった。三つの文書によって、米軍が沖縄戦前から民間地に狙いを定めて収奪した国際法違反が濃厚になったと言えよう。
 さらに、人口密集地に基地を建設する意思を証明した文書によって、米政府や米軍幹部らが再三示す「戦後、住民の方が危険な基地に近づいてきた」という論理が破綻していることも補強された。
 戦後70年たっても米軍基地の重圧に変化はない。日本政府は沖縄の米軍基地建設過程が国際法に違反するかを独自に究明し、そうであるならばその是正、すなわち撤去を求めるべきだ。それが主権国家のあるべき姿だ。「普天間」に代わる新基地建設など論外である。