「日本の最高裁を解剖する」(デイヴィッドSロー著・西川伸一訳・現代人文社)を読みました。「アメリカの研究者からみた日本の司法」という副題がついています。発行は2013年、民主党政権下で取材・企画された出版物です。日本の最高裁は、なぜ法律の違憲審査権を発動するのに慎重で、保守的であるのかを、関係者への精力的なインタビューを重ねて解明しようとしています。
 日本の最高裁判所が法律を違憲と判断した例は、現在までに8件しかないそうです。これは諸外国と比べても異例の少なさだということです。その例外的な8件も、尊属殺人の特別扱いを違憲としたなどは知られていますが、憲法9条の関係では「高度な政治的判断」には立ち入らない、選挙制度では「違憲状態にある」と言いながらも選挙自体は有効とするなど、総じて重要な問題では行政の立場を尊重した抑制的な態度が目立っています。
 日本国憲法では、国会による立法権、内閣による行政権、裁判所による司法権の三権の独立が原則とされていますが、最高裁判所を頂点とする司法が、所詮は官僚組織の一部として、時の政権に従属しているように見えます。これは戦後の改革が不徹底で、旧憲法時代の「天皇の裁判所」の職員が生き残ったことから始まった可能性があります。
 著者は、司法の改革に情熱を燃やす「サヨク」氏が、最高裁の長官に上りつめる可能性を検証するという面白い手法で、いかにそれが絶望的であるかを説明しています。裁判官の「方向づけ」は、司法研修所から始まります。裁判官、検察官、弁護士への振り分けをスタートとして、裁判官の生涯は、最高裁事務総局の管理下に置かれます。どこでどんな判決を出したかは、出世コースに乗るかどうかと無関係ではありえません。「サヨク」氏が、仮面をかぶったまま最高裁判事になるのは不可能です。
 最高裁の判事は、15名のうち裁判官6、弁護士4、検察官2、行政官2、法学者1の出身者で占められる慣例になっており、欠員があれば、それぞれの分野から補充されます。そして70歳の定年まで数年を残す人が選ばれるので、任期の長い人はいません。さらに在任中は事務総局の調査官が、膨大な判例の調査などを引き受けて「補佐」します。
 こうして政権と癒着した官僚組織としての最高裁が存在するのてすが、最高裁長官に大きな権限があることは事実です。民主党への政権交代が予想されたとき、異例の若さで長官になっていた人がいました。政権交代しても最高裁が揺らぐことのないように「埋め込まれた」人事で、外国ではよくあることだそうです。
 さて、こうして「おとなしい日本の最高裁」が出来上がりました。おかげでアメリカが望んだ事実上の再軍備も出来てしまいました。しかしその一面で、日本国憲法は一字一句の改定もないままで今に生き残っています。この本の最後に「最高裁が日本の憲法を守った」という、皮肉などんでん返しが待っていました。