きょうもブログを書けずに終りそうな気がしていたのだが、人の個性と神仏の普遍ということを考えた。人には個性があるから、いろいろなことをする。よいこともするし悪いこともする。いろいろな個性がまじり合って世の中がまわって行くから、いろんなことが起こる。人間業とも思えないような、立派なことをする人だって出てくる。でも本人には当り前のことだったりもする。
 私は一神教の信者ではないが、この世に神仏が一切いないとは思わない。一人では弱い人間だが、信念を持てば強いことがある。その強さが、人間だけに由来するとは思えないのだ。いま生きているだけが自分の人生のすべてだとは思いたくない気持が、どこかにある。その昔、恋をしたときに、信じてもいない神仏に感謝したいと思ったことがあった。あの気持は、どこから来たのか。
 人は人であることを超えては生きられないが、人を超えた想念を抱くことが、たしかにある。その想念には、名前をつけない方がよいと私は思う。名前をつければ、人それぞれの「神」が出来てしまう。それぞれに違う神を奉じてしまったら、神の争いを人間が代行することにならないか。
 この世に起こるすべてのことは、それなりの理由があって起こるのだ。人はそれぞれに人事を尽くして努力をするしかない。そして結果として得られるものが何であろうと、それはたぶん「神の心のまま」なのだ。