第7章 米国の対日政策
第8章 真珠湾への道に反対を唱えていた人たち
第9章 人々は真珠湾攻撃の道に何を学び、何を問題点と見たのか
第10章 暗殺があり、謀略があった
 アメリカは基本的に、日本に対して悪をなす国ではありませんでした。文化の面でも経済的にも、日本に多くの恩恵を与えてくれた国でした。にもかかわらず真珠湾攻撃に至るほどの敵意の対象になった理由の大半は、日本がとった政策への反射でした。それは大陸の利権独占への反発から始まり、ドイツと組んで公然とアジアでの覇権確立へ進むのを見て、世界平和への脅威として危険国家に認定するに至ります。
 それでも当時のルーズベルト大統領には、海外の戦争には参加しないことを公約して当選したという大きな制約がありました。そのためにイギリスがドイツの攻撃を受けて苦境に陥っても、公然と参戦できないことに苦慮していました。さらに当面重要なのはヨーロッパの情勢であり、アジアの日本は、とりあえず封じ込めて置ければ後回しにしたい存在でした。その状況を変えたのが、日独伊の軍事同盟でした。
 この集団的自衛条項により、日米間で戦争が起こればドイツがアメリカに宣戦することになります。受けて立つ戦争ならば、アメリカは参戦しやすくなりました。理想的には、日本がアメリカと小規模な戦争を始めてくれることで、その前提ならば日本に圧力をかけることは合理的な政策です。日本の弱点は石油でした。
 日本が本気でアメリカと戦う気になったのは、開戦の年、昭和16年(1941)になってからです。わずか一年足らずのあわただしい戦争準備でした。石油の輸入を止められて、備蓄が2年分しかなかったのです。このとき、インドネシアの石油を取りに行くだけの作戦も検討されましたが、局地戦でなく全面戦争を選んでしまいました。
 あとは国をあげて「米英撃滅」の戦時体制となり、周知の通りの歴史となりました。勝てると思う指導者がいなくても、「座して死を待つよりも死中に活を求める」大ばくちへ進んでしまったのです。慎重論を唱える人たちも、時流の中で沈黙して行きました。
 真珠湾攻撃があと2週間遅れたら、ドイツ軍のソ連での敗戦が明らかになって慎重論が復活したかもしれません。天皇が開戦絶対不可を貫いたら、激しい抵抗を受けたでしょうが、天皇を廃位するほどの反乱が当時の軍部から起きたとは思えません。開戦を避ける方法は、いくらでもあったのです。ただ、今から見ればそれがわかるだけなのです。