鶴見俊輔の「戦時期日本の精神史・1931〜1945」(岩波書店)を読んでみました。著者が1979年にカナダの大学で英語で行った講義の13回分を日本語に直したものです。そのタイトルを列記すると、以下の通りです。
1 1931年から45年にかけての日本への接近
2 転向について
3 鎖国
4 国体について
5 大アジア
6 非転向の形
7 日本の中の朝鮮
8 非スターリン化をめざして
9 玉砕の思想
10 戦時下の日常生活
11 原爆の犠牲者として
12 戦争の終り
13 ふりかえって
 カナダの人に「日本の戦争」を説明しているので、日本の15年間の戦争を、客観的に説明する文献になっています。日本という国は島国であるために、平時には「外国」が存在せず、外国は常に「海外」であったという世界でも稀な国民性を持っています。そのために同質性が強く、戦争を始めるために国民を騙した為政者は、騙された国民の熱気と同化して、戦争を止めることができなくなりました。特定の意思を強く持つ個人の指導者がいなくても、一貫して15年間も戦った理由がこれです。
 しかし全体を通して読んでみても、著者の骨太の思想といったものは、残念ながら読み取ることができませんでした。わずかに最終章の「ふりかえって」の中に、総括的なこんな文章がありました。「日本の伝統は……人間を縛るような普遍的断定を避けることを特徴としています。この消極的性格が、日本思想の強みでもあります。……目前の具体的な問題に集中して取り組むことを通して、私たちは地球上のちがう民族のあいだの思想の受け渡しに向かって日本人らしい流儀で、日本の伝統に沿うたやり方で働くことができるでしょう。それは西洋諸国の知的伝統の基準においてはあまり尊敬されてこなかった、もうひとつの知性のあり方です。」
 これは、見方によっては非常に「ゆるい」思想です。私がこれまで攻撃してきた「日本的無責任体制」をも許してしまいかねません。しかし、こういう人が隣人としていたら、住みやすい世の中になるとは思います。そしてその「ゆるさ」は、確実に私にも内在しています。柔はよく剛を制するのでしょうか。
 宿題の一つにしておきましょう。
(追補)非戦平和主義の、日本的発展のヒントが、ここから得られるといいと思います。それが西欧的「同盟」でないことは明らかです。もしかすると真正の「八紘一宇」が使えるかもしれません。