昭和天皇の崩御は、直ちに皇太子が天皇に即位することを意味する。その日付は、昭和天皇が崩御した昭和六十四年(1989)一月七日の当日である。この日から皇太子は天皇となった。新しい年号は「平成」であると翌日に内閣から発表された。
 在位中の天皇は「今上(きんじょう)天皇」と呼ぶのが正式だが、この呼び方は日常的には使われない。常に天皇は一人しかいないのだから「天皇陛下」または「陛下」と呼ぶだけで事実上の固有名詞になる。あえて第百二十五代の天皇を特定するには「平成天皇」と呼びたくなるのだが、近代の天皇制では諡(おくりな)として没後に年号をその時代の天皇の名とするので、在世中の天皇を呼ぶのは失礼になるだろう。そこでこの小説では単に「天皇」または「建仁(たけひと)天皇」と呼ぶことにする。
 また、昭和の時代が終ったあとは、年号には平成を使わず、西暦に一本化したい。昭和生れの者にとっては、六十三年も続いた昭和の年号は絶対的に近い時間尺度になっていたのだが、それが終ったあとは昭和の呪縛から解放されたいのだ。
 思えば建仁親王が皇太子でいた年月は長かった。生まれてすぐから五十五年間も待たされていたことになる。少年時代は戦争の渦中だった。そして敗戦とともに皇室もゆらぎ、父・天皇の立場も大きく変ったことを目の前で見てきた。少年期に受けた厳しい「国軍の大元帥」になるべき教育は、戦後は開明的な「自分でものを考える」ことを重んじる教育へと変化した。そうした中で外国の王家のことを学び、日本の天皇制についても客観的に学ぶことがてきた。学生生活では、何でも話し合える友も得た。
 中でも大きかったのは、青年期の恋と、それを貫いて生涯の伴侶を得たことだった。人として生きることと、皇太子・天皇であることを両立させるという奇跡のようなことが、この妃を迎えることで可能になったのだった。そして家庭人の幸せを実現した上での即位だった。即位の礼は、世界の百ヶ国を超える国々から元首級の賓客を迎えて盛大に行われた。その式場で天皇は次のような「お言葉」を述べた。
 「さきに、日本国憲法及び皇室典範の定めるところによって皇位を継承しましたが、ここに即位礼正殿の儀を行い、即位を内外に宣明いたします。
 このときに当り、改めて、御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願いつつ、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い、国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。」