ソ連が崩壊し冷戦の構造が消滅したことで、地球はかなり安全な星になった。なにしろ冷戦中はアメリカ本土の上空には、原爆を積んだ複数の爆撃機が、交代しながら常時飛んでいたのだ。いつ戦争が始まっても敵のミサイルによる先制攻撃を避け、直ちに敵国への攻撃を開始するためだった。そんな張りつめた警戒が必要なくなった。
 共産圏の壁が消失したことで、アメリカの資本は世界のどこへでも進出できるようになった。それをサポートするアメリカの軍事力は、文字通りに世界無敵になった。アメリカは一応は国連の権威を利用しつつも、事実上の世界の警察官を自任するようになった。それに対抗する力としては、経済統合を先行させて政治的にも協力関係を強めてきたEUがあるだけだった。
 この時期の軍備優先から経済優先へのシフトは「平和の配当」と呼ばれた。ベトナム戦争の泥沼で傷ついたアメリカ社会でも徴兵制は廃止になった。それ以後、アメリカにおける軍人の就業人口に対する比率は1%程度で推移している。これは冷戦中の5%に比べても隔世の感のある数字で、西欧先進国ではいずれも徴兵制は過去のものになりつつあり、徴兵制を残していても「良心的徴兵拒否」を認めている国が多い。
 こうした中で、日本でもアメリカとの関係を見直し、駐留軍の規模を縮小する機会があった筈である。しかし、そんな先見性のある大物の政治家はいなかった。むしろ社会党の崩壊後は「保守」対「革新」の構図が崩れ、政策の軸を持たない政治家集団が離合集散する流動化の時代が始まった。
 さらに細川内閣が唯一の置きみやげとして残した衆議院の小選挙区制は、二大政党による政権交代を期待したにもかかわらず、自民党の一党支配を温存する結果になった。本来は政党本位の選挙を実現して死票を減らすことを目指し、比例区を主として小選挙区を従とする構想だったが、小選挙区が主体となってしまった。細川首相は最低でも比例と小選挙区の配分を同数にと抵抗したが、最後に押し切られて激怒したと言われている。
 日本の政界が内輪の抗争に明け暮れている間に、日本は経済的にも軍事的にも、より強くアメリカに支配されるようになった。そのスローガンになったのが「グローバル時代への対応」であり「日米同盟の深化」だった。原発導入の推進、金融市場の開放、そして自衛隊装備の更新とアメリカ軍との共通化が進められた。
 世界は戦争から遠ざかると思われたのだが、そうはならなかった。中東・アラブの不安定化、イスラム過激派の台頭などに、アメリカは直接に介入するようになった。そこへロシアの復活、中国の台頭という新しい仮想敵も加わってきた。