昨日から封切りの映画「母と暮らせば」を見てきました。期待通りで、それ以上と思える秀作でした。主演の吉永小百合に少しの不自然さもなく、この映画のために女優になったかのように、見事に演じていました。「父と暮らせば」では広島を舞台とし、原爆で死んだ父が娘の前に現れるのですが、この映画は長崎を舞台とし、原爆で死んだ息子が母親の前に現れます。設定は対照的なのですが、井上ひさしの未完の構想が生かされていて、字幕の最後には謝辞が表示されていました。
 吉永小百合の役は助産婦という設定です。それだけでも「生ましめんかな」の朗読を連想します。そして原爆死した息子が、何の不自然さもなく戦後の母親と婚約者にかかわってくるのです。それでも原爆死した事実は変えられません。原爆死者には、何度泣いても泣き切れない涙があるのです。それは母親も婚約者も同じことです。この映画は、それら無数の「泣いても泣ききれない無念」をしっかりと踏まえた上で、生き残った者たちの戦後を描いていました。
 吉永小百合は、原爆詩の朗読によって、原爆への怒りと非戦への願いを、数万の集会にもまさる力で世界に訴えてきた人だと思います。まことに、戦争で奪われた多数の命は、生き残った者が何をしようと生き返りはしないのです。生き残った者にできるのは、生きていてくれたらどんなに良かったろうと、涙を流すことだけです。しかし涙を力に変えて、怒りと祈りを作品として世に残すことのできる人もいました。吉永小百合は、そのような人の一人です。
 戦後70年、第一世代の語り部が退場して行く中でも、こういう映画の形であれば、教訓は若い世代にも確実に伝わって行くでしょう。私が今までに見た小百合映画の中でも、最高に輝いていたということを報告しておきます。