かわぐち・えいこうさんのブログ「函館市とどほっけ村」を読んだのがヒントになって、次の東京オリンピックの呼び名が浮かんだ。1964年のときのような素直な期待感、高揚感がないのはなぜだろう、メランコリーになるというのだ。とっくに昔の人だと思っていた元総理の親玉が威張っていたり、福島原発事故の隠ぺいに使われたり、アベ日本の国威発揚の場に利用されたりすると思うと憂鬱になる。
 それに加えて、私などは真夏の東京の酷暑の中でのオリンピックと聞いただけで、とてもまともな計画とは思えない。少なくとも私は、どんな競技も絶対に見に行かないと決めている。(もっとも1964年のときも、何もリアルには見ていないのだが。)今さら返上も中止もできないだろうから、メランコリンピックというわけだ。
 それと、昨夜「そりゃないよ獣医さん」からいただいたコメントで知った岩谷時子の「眠れぬ夜の長恨歌」が強烈だった。越路吹雪が亡くなったときの弔詩だが、失くしてはいけないものを失くした者の悲しみを叩きつけている。2015年に、私たちは多くのものと多くの人を失った。その中には戦後70年の記憶も含まれる。大晦日の夜に、耳を傾けたいと思った。ネットで公開されているから、著作権の使用は許していただきたい。

  眠れぬ夜の長恨歌
               岩谷時子
 越路吹雪よ 四十年近い友情は 月日と共に昇華され あなたは今 私の胎内に宿る
……越路吹雪よ 遠い天国への道で もし責苦を受けるときは おんなに生まれながら まだ知らぬ陣痛を 私に起こせ 激しく激しく超こすのだ あなたの苦しみを 私は共に苦しもう あなたの痛みを 私は共に痛みたい 越路吹雪よ 寒くはないか 私は寒い
……越路吹雪よ 淋しくはないか 私は淋しい 越路吹雪よ 顔が見たい 声が聞きたい この息が絶えるときまで 私の中に抱き続けようとも もはや言葉を交わせぬとは
……越路吹雪よ そこは住みよい処だろうか 越路吹雪よ あなたとの別れは あまりにも早すぎ 私が希望を探すには 遅すぎた 越路吹雪よ 越路吹雪よ 逢いに行ってはいけないか 越路吹雪よ