表題は、今年の「歌会始の儀」で天皇が詠まれた歌である。テレビニュースで朗詠の一部を   聞くことができた。今年の題は「人」だったが、天皇は昨年の慰霊の旅で訪れたパラオのペリリュー島で、沖合に浮かぶアンガウル島に向けて拝礼したときのことを歌にされたということだ。足を運ぶことのできなかった島にも、戦死した多くの日本兵がいた。「祈る人」としての天皇の気持がこの一首に込められた。
 何の技巧もない、見たままの情景が、そのまま歌になっている。それでいて、いろいろなことを考えさせてくれる。和歌の伝統がこのようにして生きているのも、文化の伝承者としての皇室の良質な部分と言えるだろう。
 それにしても、例年のことだが、朗詠者の独特の読み方が印象的だ。切れ目のところで、息の続くかぎり思いっきり長く声を響かせるので、東天紅など長鳴鶏のコンクールを思い出してしまう。これも伝統の中で専門職が伝えてきたものだろう。雅楽の演奏と舞踊もそうだが、伝統が長くなるにつれて、テンポが遅くなってきたという説を聞いたことがある。秒針の時計のない時代に、細部を丁寧に演じるにつれて所要時間が長くなったというのだ。その説にも一理あるような気がする。
 時代は急かされるように悪い方向へ展開して行きそうな年初である。しかしここで浮足立っては地に足のついた抵抗はできない。人間には、営々として築いてきた数千年の文化がある。思い上がった政治家が一代でやれることの高は知れている。朗詠を聞きながら、「安倍政治、何するものぞ」と思った。