きょうは「民主党」の最後の日になる。明日の党大会で「民進党」として再出発するからだ。新聞によると、今の民主党が発足したのは1996年で、初代代表の鳩山由紀夫が「民が主役の民主党」を唱えて旗上げした。財界の利益を代表する自民党、労働組合を支持基盤とする社会党の双方から距離をとって、初めての「市民一般」の利益を代表する党になろうとしたわけだ。
 選挙で政権公約を文章化した「マニフェスト」を公表したのも新しい試みだった。二大政党制を志向した選挙制度にも助けられて、一度は実際に議会で絶対多数を占め、政権を担当するまでにもなった。しかし長年の保守基盤によって固められていた日本の官僚機構を、根本から直ちに改革するのは荷が重すぎた。官僚の抵抗に立ちすくんでいる間に、東日本大震災・原発事故の大災害に見舞われる不運もあった。その後の国民は、安定志向で自民党に回帰し、民主党による改革の夢を見限った。
 簡単に要約すると、これまでの経過と現状は、以上のようになる。ところが復帰した自民党は、安倍政権の下で一挙に戦前回帰へと暴走を始めてしまった。党利優先の選挙戦術を駆使して、今や半永続の権力独占への欲望を隠そうともしなくなっている。本来ならば民主党との間で何度かの政権交代を繰り返すことにより、安定的な二大政党制を育てて行く好機でもあったのだが、安倍自民党にはそのような謙虚さはなかった。憲法にまで手をつけて国の骨格を変え、彼らのイメージする「新・日本国」に君臨しようとしている。
 しかし民主主義は、本当に「日本の国民には向かない」政治思想だったのだろうか。もとより民が主役の民主党は、民主主義に立脚している。民主主義からの乖離を深めている自民党に対抗して、もう一度政権交代可能な位置にまでもどって来ることを私は期待している。憲法の問題でも原発の問題でも米軍基地の問題でも、国民の多数が自民党の政策に賛成していないことは各種の世論調査でもわかる。にもかかわらず安倍政権への支持率が下がらないのはなぜなのか。その原因は「交代できる受け皿がない」と思われているからに他ならない。
 だから民主主義をあきらめるのでなければ民主党は再興させなければならない。じつは名前はどうでもいいのだ。戦前の創業期には変な名前だと思われていた「講談社」は、今や堂々たる一流の出版社としての名声を得ている。世論調査で決めたという「民進党」の軽さは気に入らないが、呼び名にはこだわらないことにしよう。以上で「民主党」への弔辞と、「民進党」への祝辞とする。