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 きょうの「朝日新聞」朝刊で、森友学園の問題が記事になっていた。ネットでおなじみになった文書の写真も、合成して載せている。ただし内容をよく読むと、国会の質疑で追及を受けたという報告になっている。これなら国会担当の記者が安心して書けるわけだ。
 朝日新聞には2000人の新聞記者がいるそうだ。ハイレベルの入社試験に合格した優秀な人が多いだろうが、ふだんはどんな仕事をしているのだろう。いろいろな情報源に目配りして、今はネット上の話題にも気をつけているに違いない。森友学園の問題についても、関心を持つ記者はいたことだろう。独自に取材を進めてもいただろうが、この学園と安倍晋三・昭恵夫妻との関係が出てきたことを、どう受け止めていたのか。特ダネだと思いながらも、相手が相手だけに、うかつには書けないと慎重になっていたのではないか。
 報道機関にいて特ダネをつかんだら、昔ならその記者の手柄になって表彰されたりもした。しかし今では、ほとんどの問題が、まずネットの世界から流れ始める。無数の個人が自由に発信するのだから、どんな敏腕記者でもかなうわけがない。そこで、素人の発信者がまず情報を出して、それを記者が追いかけるという逆転現象が起きることになる。だからネット情報を知っていた者には、「新聞がネットに追いついた」印象になるのだろう。
 しかし新聞に記事が出るというのは、やはり大事なことなのだ。それは「うわさ話」が社会的な「ニュース」になったことを意味する。ネット上の情報は、大多数の人間にとっては、その場かぎりの「うわさ話」として通り過ぎて行くものだ。しかし新聞の記事になっていれば、その日付で記録され、半永久的に検索が可能になる。ネットにも情報集積の機能はあるが、紙に印刷されたものの信頼性には、長い伝統と独特の重みがある。
 新聞に望みたいことは、やはり批判精神の堅持である。政府が発表する公式記録の伝達だけなら役所に任せればよい。ネットに流れる情報の中から、庶民の「うわさ話」として出て来る疑問や怒り、悲しみなどを、親身になって拾い出してほしい。昔は一軒ずつ訪ね歩かないと聞けなかったような打ち明け話が、今はネットで見られる便利な時代になったと考えたらどうだろう。ネット情報を信頼性が低いと見下してはいけない。尊敬と信頼に値する発信者が多くなっていることを、私は日々に実感している。