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 かながわ県民センター(横浜駅・西北口から6分)で、この28日まで開催中の「戦争の加害パネル展」を見てきた。「知ることで未来が見える」との副題を掲げている。戦時の日本が何をしてきたかを知らなければ、未来を語る資格はないだろう。加害者側は忘れていても、あるいは知らされずにいても、被害者の側は、おそらく孫・子の代まで忘れられずにいることだろう。
 展示のおもなテーマは、従軍慰安婦の問題、中国戦線における毒ガス、細菌戦の実証、南京大虐殺関係の資料、太平洋戦争でのマレー、シンガポール占領に伴う華僑の虐殺から成っていた。主催は県下の市民団体で、昨年につづいて今回で2回目になるということだ。隣接するホールでは、関連の映画・ビデオの上映や、講演会も行われている。
 マレー、シンガポール関係は今年から取り上げられたとのことだが、掘り出した白骨が身につけていたという遺品の現物が展示されていた。それらは時計、印鑑、家の鍵、万年筆といった貴重品なのだ。死ぬ瞬間まで手放さなかった「暮らしの貴重品」への執着が哀れで、戦争はこのようにして人を殺すのだと思った。

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 そのほか、沖縄戦も住民への加害の視点で語られていた。そのコーナーで異彩を放っていたのが、琉球新報社が2004年から2005年にかけて14回発行したという「沖縄戦争新聞」だった。戦後60年を機に、言論が統制されずに自由に書けていたら、戦時中でもこんな新聞を出したかったという「書くべかりし新聞」を形にしたものだという。2005年に新聞協会賞を受けたとのことだが、今まで知らなかった。
 書くべくして書かなかった悔恨が、今の沖縄の新聞の反骨を支えているのではないかと思った。今の本土の新聞人たちは、これをどう思うだろう。何十年かたったあとで、あの時にもっとしっかりした新聞を出しておくべきだったと後悔することはないだろうか。北の独裁者の家族が一人死んだニュースにかかり切っている間に、掘り起こし批判すべきテーマを取り逃がしつつあるのではないか。それが日本に独裁者を招いたら、長く悔いを残すことになるのではないか。