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 これは不思議な本だ。「ひとのあかし」というのだが、人であることの証しと読める。だが英訳は「What Makes Us」となっている。われわれは何で出来ているのかと問うている。どちらも深い内省から出ているのがわかるが、どちらが原文で、どちらが翻訳とは言えない気がするのだ。真理は言語の彼方にあり、人は自分が知っている言葉で表現するしかないのだと思う。
 読み物としての文章量は、驚くほど少ない。1992年から2011年5月にかけて作られた4編の詩を掲載しているだけである。それも、決して長いものではない。ただし最初に書かれた「みなみ風吹く日(1)」の最後には「来るべきものをわれわれは視ているか」の一行がある。チェルノブイリ原発事故で住民が消えた町のことを思いながら、福島の海岸で波を待つサーファーを眺めていたのである。だからこれは予言の書として読んだ人たちを驚かせ、書籍化の企画につながったようだ。
 「ひとのあかし」の書名は、冒頭に置かれた、唯一の震災後の作品から取られている。それによると、人は作物を栽培し、動物を飼育することで生きた来た。耕作と飼育をすることが「ひとのあかし」だというのだ。耕作のできなくなった農地、飼育のできなくなった草地に立つ人間は、「ひとのあかし」を失ったのではないか。詩と呼応する写真は、すべて現在つまり震災後の情景で構成されている。表紙に使われているのも、元は農地なのだ。
 最後に置かれている「神隠しされた街」は1994年に作られている。チェルノブイリで見た風景を下敷きにしているのに違いないが、子供をさがす鬼ごっこの鬼になって街をさがし歩いても、一人も見つけることができない。みんなはどこへ行ったのだ。ひとり残された鬼は、何かに背筋をぞくっと襲われて、その場に立ちつくすほかはない。
 この本は2012年1月の発行、著者・若松丈太郎、英訳・アーサービナード、写真・齋藤さだむ、発行所は清流出版蝓1700円の単行本。私はこの本の存在を、昨年11月に亡くなった義兄の長男から教えてもらった。