森友学園問題が国会で取り上げられて、ようやく世間の注目を集めるようになってきた。それはいいのだが、今のところ国有財産の払い下げが適切かどうかといった問題が中心になっている。疑惑解明の手順としては必要だろうが、数億の金の流れが適正ならよかったというだけの話ではない。今の政権・政治家が、軍国主義回帰の右派勢力と親和性を持っていたということが問題の核心なのだ。
 森友の幼稚園児たちの奇妙な言動や、そこで挨拶する首相夫人の姿などが、これからも何度も流されるだろうが、ワイドショー的に眺めて面白がっているだけでは何も変わらない。そこに出て来る人たちは、ふざけてやっているわけではない、しごく真面目に昔の日本はすばらしかったと思い込んでいるのだから。
 右派の者たちが好んで使う「自虐史観」という言葉がある。サヨクの者たちは敗戦のショックに打ちのめされて日本人ではなくなってしまった。すべて悪うございましたと懺悔して反日本人になり、過去の否定だけが生きがいになっているというのだ。そうした中で生き残った少数派の「本当の日本人」は、これから大いに権利を回復して、日本を正しい道へ戻さなければならない、ということになる。そして「愛国」が使命だと思い込む。
 だが「自虐」とは何なのか。自分の過去を呪う自信喪失の権化ではないのか。ならば日本軍国主義の「加害の歴史」に学び、未来への指針に役立てることはその正反対に立つ。個人もそうだが、人の集団である国家も、時として過ちを犯すことがある。時を経て冷静に真実を明らかにし、未来への遺産として継承することは、人間が文明のために貢献する最良の機会になる。反省することを恐れ、過去の記憶に沈んでいつまでも心を固くしていることこそが「自虐」ではないのか。それは国を愛するつもりで、逆に国を閉ざてしまうだろう。
 いま右派が政権の主導権を握っているこの国は危うい。彼らの信じる「愛国」へ向けて、一層の締め付けを加えようとしている。いま進行中の「共謀罪」から目を離してはならない。過去に3度も提案されて廃案に追い込まれたのは、規制が「話合い」という人の心の問題にかかわるからだ。今の法体系で、オリンピックを開けないほどの穴があるわけではない。「共謀罪」を設ければ安心になるのではなく、誰も安心できなくなるのだ。