政府はこの21日に都道府県の危機管理担当者を集め、北朝鮮による弾道ミサイルの発射を想定した住民の避難訓練を早期に実施するよう呼びかけたということだ(日テレNEWS24)。あまり大きな話題にもならず見逃していたのだが、内閣官房のウェブサイト「国民保護ポータルサイト」に掲載されているとのことで、見に行ったらその通りだった。ここで2004年に成立した国民保護法、正式名称は「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」なるものの存在を知った。憲法の下で戦争をしない国に住んでいるつもりでいたが、他国からの攻撃を受けることはあり得るということで制定されたのだろう。
 法律が出来た経過を見ると、その前年、2003年に事態対処法、正式名称は「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」というのが出来ている。この時期の政権は、小泉内閣の時代だった。解説によると、与野党の幅広い賛成を得て成立したと書いてある。言われてみれば遠い記憶の中に「有事立法」といった話題があったような気もするのだが、人の記憶とは頼りないものだ。「まあいいか」程度の関心で過ぎて行ったのだろう。
 こういう法律があること自体に私は反対ではない。ただ、中身に目を通すうちに、これで日本の国民が守られて安心だとは思えないことに気がついた。危機事態になったら自衛隊とも連絡を取り、危険が予想される地域には避難指示を出すことになっている。自治体は避難者の誘導や輸送に当り、生活物資の供給などでも支援することになっている。医療機関には支援への協力を義務づけているし、原子力施設が損害を受けた場合のことも想定している。要するに大震災災害と同等の想定をし、協力を義務づけて罰則も設けているわけだ。
 だがこれが、日々に流動して、どこにミサイルが落ちるかわからない戦争状態の中で機能するものだろうか。相手は悪意で攻めてくるわけだから、殲滅戦をやられたら、避難民を集めることは、かえって危険かもしれない。考えれば考えるほど、たとえば東京首都圏に住む人口を、堅牢で安全な構造物の中に保護するなどは、できっこないと感じられるのだ。
 近ごろ痛感するのだが、現代の都市は戦争への備えを何もしていない。交通機関も産業施設も原発も、みんな同じことだ。そしてこれは日本だけではなく、北朝鮮の平壌の「張りぼて」と呼ばれている高層ビル群も同じように見える。そして現代の戦争では、爆撃だって戦況によって近づいてくるのではなくて、いきなりミサイルとして遠方から飛んでくる。防ぎようがないではないか。
 要するに戦争は、やってしまったら現代文明の終りなのだ。そこには勝者はいない。確実に生き残りたかったら、敵を作らない外交で戦争を遠ざけるしかない。それは相手がどんな国であろうと、本質的には同じことなのだ。