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 写真集「北辺の機関車たち」を見ました。大木茂さん(大木晴子さんのお連れ合い)ほか2名の機関車好きが、現役の学生時代に撮りためた写真を再編集した復刻版です。発行元は(株)復刊ドットコム(本体価格4000円)です。
 ここに登場する機関車たちは、私にとっても懐かしいものばかりでした。私の実家は、駒込、田端、上中里の3駅からほぼ等距離の位置にあり、高台から見下ろす田端の操車場も、その続きにある田端機関庫も、子供時代からしょっちゅう見に行く気に入りの場所でした。戦時中には、間近に見る機関車の力強い姿は、「日本はまだまだ大丈夫だ」という、安心感を与えてくれました。田端と駒込の中間で、山手線と合流する貨物線の列車がトンネルを抜け、全力で煙を噴き上げる機関車に引かれて坂を上がってくる姿は、声援を送りたくなるような勇ましさでした。時には力尽きて途中で止まってしまい、急発進で動輪を空転させることで力をつけ、ようやく再び動き出すこともありました。
 それにしても、蒸気機関車とは、何という人間臭い存在でしょうか。石炭を食べさせて熱を作り、水を蒸気に変えてピストンを動かし、無骨な鉄筋を振り回して車輪を回して行くのです。車輪と連動する煙の噴き上げは、遅くなると苦しい息継ぎのようになり、蒸気は吐息のように感じられるのでした。
 大木茂さんの鉄道好きは、これを転機として機関車に集中して行ったのでしょう。晴子さんと知り合ったのも、この時期だったとのことです。そして大木茂さんは写真を本職として今に至るまでになりました。蒸気機関車とは、それほど「絵になる」工作物なのです。それはおそらく、機関車が「人間との共同作業によって、はじめて動いていられる」構造を持っているからでしょう。
 この写真集は「50年ぶりの復刻」だそうです。この50年で、世の中はこんなにも変りました。機関車がもう交通の主役でないことは、誰でも知っています。それでも、ある時代の主役であった事実は変りません。「何かのために」、あるいは「何かとともに」生きる長さとしてなら、50年には充分な長さがあります。それは「誰かのために」、あるいは「誰かとともに」生きる長さとしても足りるのではないか、何の脈絡もなく、そんなことを思って感動しています。