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 今回の函館への旅は、自分にとって何であったのか。写真を並べて考えてみることにします。まず、非常にさわやかな、澄んだ空気を感じた旅でした。北海道には梅雨がないと言われます。6月は新緑が鮮やかで、空は、東京なら「秋晴れ」と呼びたいような深い青なのです。
 函館山にケーブルカーで登ったときは、夕日が目いっぱいに街を照らしていました。右は太平洋で左は函館湾、夜景で有名なこの場所ですが、昼景では海と海の間が、びっしりと建造物で埋まっているのがわかりました。パラグライダーなら、どこでも好きなところへ降りて行けそうです。平地を埋め尽くすほどに繁栄している現代の人類。この風景は、永遠のものなのでしょうか。おそらく違うでしょう。
 人の住処としてなら、竪穴式住居の方が、ずっと安定しているように見えます。こんな家があって、付近の森や海に採取できる食料があるのなら、代々安心して住みつづけることが出来たでしょう。遺跡は多重に埋まっていて、何百年もの間、継続して人が住んでいたことがわかるということです。そしてそこに暮らした人たちは、国宝にもなるような土偶を作ってくれたのでした。冬は寒い北海道にも、縄文人は住んでいたのです。私たちの直接の祖先ではなかったかもしれませんが、この人たちが今の私たちと全くの無縁ということは、あり得ないでしょう。
 今の私が、自分の手では米一粒でも作ったことがないのに生きているのは、とても不自然に感じられます。カメラを持って撮影に行ったり、紙の上に台本を書いたりして収入を得ていたのは、いったい何だったのでしょう。創造的で高級な仕事をしている気になっていたのは、下司の驕りだったのかもしれません。
 4枚目の写真は、「かわぐちえいこう」さんと合流してから、函館公園で撮っていただいたものです。疲れない程度の軽い歩きの途中でした。しばらくベンチに腰を下ろして、吹き抜ける風を感じていました。このときの幸福感を、よく覚えています。ですからお願いして写真に残したいと思ったのです。同じ時間は、もう二度とありません。
 いろいろな人から、もっと気楽にしなさいと言われました。でも、本人が「これで終り」を自覚しているのです。しかしそれは、前途を諦めたことを意味しません。人生は最後まで、「いろいろあって面白い」のです。