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 10日前に(その1)を書いたあとを続けてみる。安倍内閣が着々と進めてきた「日本改造計画」は、国会が閉じられた今、「粛々と実行」の段階に入って行くところだったが、ここへきて支持率の低下という想定外の抵抗を受けて見直しを迫られている。なんとか「問題ない」で押し通そうとした「加計学園問題」では、新しい文書が出てきて、逆に疑惑が深まってきた。野党は国会閉会中でも集中審議することを求め、さらには憲法の規定に従って臨時国会の開催要求まで視野に入れている。衆参いずれかの4分の1以上の議員の要求があれば、内閣は国会を召集しなければならないのだ。
 安倍自民党は衆参で多数を占め、何でも自由に決められるように思っていたが、民主主義のルールはいろいろなところに埋め込まれていて、多数の横暴に歯止めをかけられるようになっているらしい。安倍独裁と言えども万能ではないのだ。何よりも打撃になるのは、支持率の低下に違いない。今後さらに疑惑がふくらんだら、支持率は危険水域にまで下がる可能性がある。
 ところで、前回は「戦争しない平和な国」だった日本が変質して、「日本人だから殺される」時代になったことを紹介したのだが、第5章「日本沈没の戦犯たち」以降には、日本をだめにした自民党の大罪が列挙してある。その第一は「日本を借金大国にしたこと」であり、第二は「少子高齢化を放置したこと」であり、第三は「安全神話を作って福島原発事故を起こしたこと」が挙げられている。そして著者はこれらに加えて、第四の「日本を成長できない国にしたこと」と述べている。マンネリ化したバラマキ景気対策を続けて、結局は日本経済を、縮小の逆スパイラルに追い込んだというのだ。
 しかし古賀氏の論考は批判だけでは終らない。同時に日本再生の壮大な見通しを描いているところに価値がある。その説くところによれば、政治的立場を「旧守か、改革か」の二つに分けることができ、さらに「タカ派・軍事力依存か、ハト派・平和主義か」に分けることができる。これを左右と上下に配置すると、4つの象限に整理することができるのだ。旧守でタカ派の象限には、自民党がぴったりと納まる。共産党はハト派だが旧守に入る。民進党は旧守・改革もタカ・ハトも入り混じっていて分別ができていない。結局は「改革でハト派」に、ぴったり適合する政党が、今の日本には存在しないというのだ。だがそれは、「あるべき新党」の姿を指し示していることにもなる。古賀氏の表には、民進党「長妻」の名が、微妙な位置に書いてあった。
 今の民進党は、党をあげて「改革するハト派」になることはできないのだろうか。長妻昭が党首になったら、その可能性が出てくるのではないか。彼も政治家として働き盛りである。立ち上がるとしたら「今でしょう」と言ってあげたくなった。