昨日読んだ辺見庸の「1★9★3★7(イクミナ)」の本で呼び起こされた古い記憶が、一晩たっても頭から去らない。それは母子相姦の強制という、ショッキングな場面だった。気になって調べたら、初出は武田泰淳の「汝の母を!」だった。雑誌「新潮」の56年8月号に掲載された短編で、大学を卒業したばかりの21歳の私がそれを読んだのだった。
 日本にはないが世界的には普及している罵倒語として、「汝の母を!」というのがあり、中国語では「他媽的!(ツオ・リ・マア!)」と言うのだそうだ。「お前の母をやってやる」意味だが、原義とは離れて、女でも使うことがあると聞いたことがある。要するに母親を犯すというのが、最大級の罵倒になるわけだ。そんな悪口があるのかと、そのときに覚えた。
 この小説の舞台は南京大虐殺が行われた時期の中国だから、素材となる事実は著者の身近にあったのだろう。一組の男女を捕えた日本兵は、それが本当に母親と息子であることを確かめると、助命の条件として、その場で性交をさせ、みんなで見物することにした。それが佳境になったところで、日本兵の一人が、ろくに意味も知らずに「他媽的!(ツオ・リ・マア!)」と叫んだというのだ。真に「汝の母を!」の悪罵を受けるべきは、日本兵だったのではないか。しかも日本兵は、それをすれば助けてやるという約束は守らず、当然のように燃料をかけて二人を焼き殺したのだった。
 こういうものを読むと、今でも日本人であることがいやになる。彼らには母親はいなかったのか、母親の胎内で育ち、その股間から生まれたのではないのかと思うのだ。私は母親を末期のがんで失う直前に、姉と二人で宿直をし、おしめの交換で体を清拭する機会を得た。そのとき、自分も通ったであろう産道のあたりにも手をふれて拭いたのが、貴重な思い出になっている。母親の肉体は、いつまでも懐かしいのだ。
 こういうものを読むと、私は、今でも日本人であることがいやになる。