新聞のない朝は、ちょっと間が抜けている。食卓には「きのうの新聞」が置いてあって、もう読んだ見出しが見えている。だが内容目次のところを見ると、まだ読んでいなくて面白そうな記事も、なくはない。なにげなく読み飛ばしていた記事が、改めて読んでみたら意外に良かったりすることもある。もし次の新聞が順調に来ていたら、読まれなかったであろう記事に目が届いたわけで、記事にも運と不運があることになる。
 でも総じて新聞を読む時間はずっと少なくなった。言わずと知れたインターネットのおかげで、新聞に使う時間の10倍ぐらいをかけて、あちこちの気になるニュースを見ていることになる。入り口は、たいてい、バソコンを開くと最初に出て来るmsnニュースになる。そこから入って、個別記事を見て行って、くわしく知りたい部分があると、Google の検索にかけて、さらにくわしい情報を引き出すことになる。
 その過程で気がつくことがあるのだが、ネット上の情報でも、新聞記事を根拠にしている場合が意外なほど多いのだ。ただし今の新聞はだめだという批判も多いのだが、その場合でも、新聞が情報の「表通り」であることを言外に認めていることになる。そこで「表通り」とは何かと考えると、結局は「紙に印刷してあって、簡単には消せないメディアである」ことらしい。
 新聞には誤報もあるが、訂正も紙に印刷して発表するから記録としては残る。そこがネット上では「お詫びして削除」で消えてしまうので、その手軽さが「裏通り」の特徴なのだろう。だから記者会見を開いて公表し、多数のメディアに印刷や映像として残すことと、ツイッターやフェイスブックで勝手な言い訳をするのとでは、効果も重さも全然違うのだ。
 だから新聞をバカにしてはいけない。ネット情報に漬かって、新聞は第一面の見出しだけ見ていればいいと思いかけていた自分は軽薄であったと、かなり反省をしているのが、今朝の私なのであります。